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土生神社・森からの手紙・平成二十三年早春号
無縁社会なんてあり得ない。
地域はたくさんの縁に守られ支えられている
大きく姿を変えていく地域の中でこれからどんなまちづくりをしてどんなふるさとを未来に残していくのですか。一度足をとめて地域のことを見つめ直してみませんか。
というわけで十月祭礼に東岸和田駅前に地車が集合する十一町のまち歩きのイベントを昨年から企画しました。土生町、修斉地区の八田町・真上町として、去る一月二十九日(土)作才町の歴史と民俗を訪ねてのまち歩きを行いました。まち歩きはその町が歴史の中でずっとあたためてきたもののぬくもりに触れながらその町を見直すことです。町の歴史とのふれあいと参加者どうしのふれあいという交流イベントなのです。今回は二十五名の参加がありました。
東岸和田駅に集合し作才町に向かいました。途中再開発地区に移設して説明版を設置した道標について今回特別参加戴いた熊野古道案内人の月山渉氏に解説して戴きました。
今回の作才町の案内人は昭和四年生まれの森下正義氏でした。作才村の元庄屋のお家に生まれ作才の歴史と民俗について詳しく研究されておられます。以前一度土生神社でもお話をして戴いたことがあります。初めに町会館で作才町についての概要を説明して戴きました。大正十一年の大阪府全志にある通り作才村はもともと土生村でしたが天正年間に分村したと言われています。作才と言えばまず逃散のことが思い浮かぶわけですが森下家に伝わる短い一つの古文書のみがそれに関わる史料で詳細はわかりません。中野好風氏の小説「逃散」はほとんどフィクションです。
ところで現在作才町は旭・太田地区に属し十月祭礼に地車を曳行しているわけですが、氏神様は岸和田天神宮となっています。もともと現在山下住宅になっている神明山に作才の氏神様が祀られていたのが上松の菅原神社に合祀され、さらに上松の菅原神社が現在の岸和田天神宮に合祀されたため作才は岸和田天神宮の氏子となっているようです。会館の近くにある夜泣き石の前に天保五年の石燈籠一対がありますが、これは神明山の氏神様に献燈し遥拝するための燈籠であったようです。それにしてもどうして隣の郷の村の神社に合祀されたのかは謎です。この夜泣き石はもともと町内を流れる式部川にかけられていたようです。付近には和泉式部の伝承がありますが、付近にある字名の「しきち(敷地・式地)」から生まれた伝承と見られます。
さてまち歩きは蛙鳴かずのどんび淵跡・恋ざめの淵・恋の淵(上松町)・びわ淵跡・神明山跡 そして洗い場と訪ねたわけです。恋の淵は現在でも澄んだ水が湧いているかのように見えますが、実は作才の洗い場と同じ水源から今は水を引いているのですね。水源は辰巳職布の横辺り 作才と上松の境界上にあるわけですが、現在消防署になっている弧池を埋めた時から水量が減少したようです。それでも洗い場まで水が来ていたわけですが現在は途中で漏水し洗い場に水がありません。地域のコミュニケーションの場として洗い場の復活が期待されています。
ところでこの洗い場が昔NHKの新日本紀行という番組で全国に紹介されました。今から四十年近い昔の話ですが、昔ながらの地域コミュニティがふだんの生活に残る岸和田の町の象徴のように映し出されました。勿論番組自体は地車祭がメインの構成でしたが、洗い場の場面は印象的なシーンでした。
私事になりますが、この新日本紀行に岸城神社の宮司であった私の父も登場しています。自転車に乗って田んぼの中の道を自転車で走り地車をお祓いに行く父の姿が映っています。当時小学生であった私は自転車で後を追いかけてその撮影を見に行った記憶があります。田んぼの道を走って地車をお祓いに行く町など当時もありませんでしたからこれはやらせです。しかし数年前実家でその映像を見て懐かしい気持ちがこみ上げてきました。
私の父はその番組に出演した数年後私が中学一年の時四十八歳で亡くなりました。その父の年齢に私は近づいてきています。あらためて父のことを最近よく考えますが、自分の人生を見つめ直してこれからの人生を大切に生きていかなくてはならないと感じます。
私が土生神社の宮司に就任させて戴きもうすぐ丸八年となります。就任二年目からは父と親しかった矢代寸神社の南前宮司様の後も継いで兼務しています。世間知らずで浅学非才 頼りないかぎりの私が重すぎる責任を背負って八年を何とか氏子の皆様にご協力戴いて過ごしてきましたが、十分に責任を果たせず限界を感じることも多いです。やはり神社や地域のためにも私も家庭を持ってパートナーを持って神社を守ることが望ましいに違いありませんが、欠落していることも多い私はそのような縁になかなか恵まれません。
昨年のNHKの特集番組以来無縁社会という言葉がよく聞かれるようになり、事実目の前に現象として人と人のつながりが希薄な無縁社会が大きく横たわっているようです。私でも今は宮司として地域との関わりを持っていますが、宮司としての勤めが果たされなくなればたちまち地域とのつながりを失い無縁社会の住人ということになりかねません。
しかし神社の立場であらためて無縁社会と言われる現象をみると、目に見える現象は無縁でも、私達はこの世に生まれて来た縁 この時代に生まれて来た縁 この地域に生きている縁 さまざまな縁の中に生かされ生きており無縁社会なんてほんとはあり得ないのです。ただその縁を見失っているだけです。
まち歩きを通してあらためて気づくのですが、新旧に関わらずこの地域に住んでいる人は氏神様に見守られ先人に見守られて現在を生きています。小さな道標一つさえその歴史を通してこの地域の住民をあたたかく見守ってくれているのです。その縁に守られ支えられていることに地域の人が一人でも多く気づいて戴けるように そこからまた新しいつながりが生まれるように神社から発信し続けていきたいです。
私個人のパートナーも見つかればより宮司にふさわしいあり方が持てるでしょうからまだその希望を捨てずにたくさんの人に支えて戴いていることへの感謝の気持ちを忘れず新しい一歩を踏み出す春にしていきたいと願っています。 |
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2011年02月11日
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土生神社郷土史講座特別企画
(鎮守の森地域交流会)
旧土生郷村啓蟄ウォーク
地域の小さな神様に春への願いをこめて
開催日 平成23年3月6日(日)
集合時間 午後1時30分
集合場所 土生神社
コース 土生神社ー歯神さん−西の幸ノ神(さのかみ)さん−東の幸ノ神
(さのかみ)さん−作才・夜泣石(神明山を遥拝)−熊野古道・
道の池−波多神社−火伏神社−極楽寺牛神(どろくじ地蔵)−
極楽寺住吉堂-流木町牛神−土生神社
参加費 無料
啓蟄の日虫達が這い出してくるように私達も外に出て旧土生郷村の土生町作才町畑町極楽寺町流木町をウォークしながら地域に祀られた神様に幸の多い一年を過ごせるようにお参りをしましょう。
どなたでもお気軽にご参加下さい。
お問合せ 電話426−7287(土生神社)
主催 土生神社郷土の歴史を学び伝承する会
共催 鎮守の森地域交流会
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