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土生神社・森からの手紙・平成二十五年春・特別号           
 伝統に守られ感謝の一歩一歩を歩む     
          土生神社宮司 阪井健二 
 
 いつもお世話になりましてありがとうございます。私が土生神社の宮司に平成十五年四月に就任してよりこの三月で丸十年となりました。この十年間神社と私を支えて戴きました氏子の皆様をはじめ多くのご縁ある方々に心より感謝申し上げます。
 
 宮司に就任して二年目よりこの地域の神社にしっかり根を張ってご奉仕しようと参道が通る拝殿の蜘蛛の巣を払って蜘蛛に神社の留守番をさせないで私が毎日拝殿に座って参拝者を迎えるようにしました。初めの頃はよく参拝者から「宮司さん 今日はお祭りですか?」とか「今日は何かあるのですか?」とか不思議そうな顔で尋ねられました。ふだんひっそりとしていて参拝者も少ない地域の神社ではそれまで拝殿を毎日開けて宮司が座っているなんて考えられなかったことかも知れません。それが時が経つにつれて当たり前の光景になり、何かあるのですか?なんて尋ねられることもなくなりました。
 
 当初は気負いもあって何とか地域の神社にもっと参拝者がたくさん増えて盛り上がるようにとがむしゃらに頑張る気持ちが強かったです。しかしそれは空回りするだけで思うようにうまくはいきませんでした。それでもわずかずつではあっても地域の神社を大切に思ってお参りされる人が増えているようにも感じられました。ただ数だけ増やすのであれば大きな神社ですればいいこと そんなことに虚しさを覚え、地域の神社を大切に思ってお参りされる一人の人を大切に迎えることが地域の神社には大切なんだと感じるようになっていきました。そう感じるとまだまだ心のこもったご奉仕が出来ていないことが痛感されることも増えました。そして自分の力で何かをする前に氏子さんに支えて戴いている神社であることに気づき、感謝とお返しの気持ちでご奉仕していかなくてはいけないのだと気づかされるようになりました。
 
 これまで何度も書いていることですが、平成十六年十月二十三日発生した中越地震でお伺いした山古志村で出会った牛の角突きの名人松井治二さんは全村避難となった村から牛を救出し翌年には避難先で闘牛大会を開催 村民が再び山古志に戻っていく原動力を作っていった人です。その松井さんが言われた言葉が私に大きな指針を与えて戴きました。松井さんが言われたことは「皆さんから私達が伝統文化を守ったと言われるが私達が伝統文化を守ったのでなく伝統文化が私達を守ってくれたのです。」
 私達も地域や神社の伝統文化を私達が守る前に伝統文化が私達を守ってくれている そのことをよく感じて感謝の気持ちで継承し次代に伝えていかなくてはいけないのだと教えて戴きました。
 
 ところで毎月一日は兼務している矢代寸神社の月次祭に出かけますが今月一日矢代寸神社に向かう車中からふと町会の掲示板を見ると氏子さんの訃報が出ています。神社の座老を勤め神社によくご奉仕もして戴いた方でしたので矢代寸神社から戻るとあわてて告別式に参列させて戴きました。告別式から戻ると神前で氏子さんの訃報を奉告する祭詞を奏上させて戴きました。氏子さんに赤ちゃんが生まれると初宮参りをして氏子入りするわけですから、氏子さんが亡くなった時も氏神様に奉告するのが当然のことですがそういう習慣がありません。総代さんに万が一氏子さんにご不幸があったら神社にも知らせて戴くようにお願いしていますがなかなかうまくいきませんし自分で注意していても見逃すこともあります。
 
 お通夜でお寺さんが説法の中で故人との思い出を話されるのを聴いているとお寺さんと檀家さんの結びつきの強さを感じます。神社は役を持っておられる時は関係が強いですが、役を離れると関係が薄くなることが多いですし人数も限られています。ただ土生神社では年に一度でも宅神祭があって氏子さんの家に神主がお伺いすることが氏神様と氏子さんのつながりに果たしている役割は大きいです。
 氏子さんでもご葬儀はほとんど仏式でされ仏様となってご浄土に行かれるのかもしれませんが、それだけとは思えません。氏子さんの御霊はまた氏神様ともひとつになってこの地域や子孫を見守り続けると信じています。そういうこともあって氏子さんが亡くなられたら氏神様にも奉告するのは当然のことではないかと思います。
 
 この氏神様という言葉ですが現在は地域の神社を表す産土神(うぶすながみ)様と同義語で使われています。しかしもともと氏神様というのは一氏族が自分の祖先神を祀ったものです。それが一地域を支配した一氏族の氏神様と土地の神様である産土神様がいつしか同化して氏神様と呼ばれるようになったと思われます。
 
 この土生の地にもかつて土生氏がおり、和泉三十六郷士の中にも名前が見えます。しかし岸和田城に岡部氏が入城した際強訴した罪を問われた土生十右衛門は打ち首?となりその家は紀州に立ち退いたと伝わります。そこから土生氏は全国に分散し、土生町を本貫地とする土生さんが時折ご自分のルーツを求めて土生町を訪ねてこられ土生神社にお参りされます。中には毎年お参りに来られる土生さんもおられ、土生さんにとっては土生神社は文字通りの氏神様と言えるかも知れません。そんな中ある時宮城県から関西の大学に来ている息子さんを訪ねてきたご両親が宮城県ナンバーの車で土生神社に参拝され自分達の姓は土生だと言われ、宮城県にも土生さんがいることがわかったのです。それから宮城県から出ている土生さんが東京や北海道などからも訪ねてくるようになり、宮城県でも亘理郡の辺りに土生さんが多いことがわかってきました。亘理町の前身の一村吉田村の最後の村長は土生利助という人です。また山本周五郎の妻は吉田村出身で旧姓土生きよいというのです。現在のところ土生町を本貫地とする土生さんと宮城県の土生さんのつながりは不明ですが、震災の支援活動でつながりが出来た八重垣神社さまは亘理郡にあり、不思議なご縁も感じました。宮司さまに聞いたら亘理郡では土生という姓は珍しい姓ではないそうです。偶然かもしれませんが土生氏のご縁で亘理郡にも呼ばれた気もしないではありません。
 
 長い歴史と伝統とご縁に守られていることをこれからもよくかみしめながら地域の神社を守るご奉仕に感謝の一歩一歩で歩んでいきたいと十年の節目に心を新たにしています。
 

花になって

花になってあなたに会いにゆこう。
あなたの美しい瞳に映ってあなたの心の中を旅しよう。
あなたの人生の光と影を深く知る春になるだろう。

神道の生き方とは

神道のもっとも大切なところは生きることの絶対肯定である。
生きることを絶対肯定し、伝統を受け継ぎ歴史を積み重ねる中に人間の救いがあることを伝えてきた。
よって生きることを無意味に思うことと目先や自分のことだけを考えることを最大の穢れとしてきた。
その穢れを祓い助け合って過去現在未来と続くこの世を守り続けることが神道の生き方であろう。

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