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土生神社・森からの手紙・平成二十九年早春号
地域の時間の流れの中で
宮司 阪井健二
土生神社の参道の梅の花も咲き始めました。その花の一輪一輪の奥から春
の静かなまなざしを感じます。
さる二月十一日建国記念の日に恒例の稲荷祭を執り行いました。これは伏
見稲荷大社が二月の初午の日に創建されたことから二月初午に例祭を行って
いることに因んで二月に行っていますが、他の行事との兼ね合いもあって近
年は午の日にこだわらずに二月十一日に行っています。土生神社には建国記
念の日にも関連する神武天皇を祀る肇国神社があり、稲荷祭の直会の席で必
ずその話をさせて戴きます。もちろんその日肇国神社の例祭を宮司は行って
います。今年の初午はその翌日の十二日でした。
稲荷祭は宮座の主管で行って戴いていますが、氏子総代、宮座々老、氏子
世話人の皆様が参列されます。神社の運営の一端を担って戴いている水利組
合の役員改選が先日あり、今回の稲荷祭より総代、世話人さんが新しく就任
されて参列されました。この年中行事に参列される皆様が神社の柱となって
支えて戴いています
。
その皆様のお力を戴いて宮司も日々勤めることが出来ており、感謝のほか
ありませんが、土生神社はとても立派な地域の神社で、まして人口も増加し
て発展している地域で、もっと能力のある宮司であれば神社も大変発展する
に違いありません。私にはそんな力もなく、一人なので何をするにも限界が
あります。よその地域で地域の神社を発展させお参りの方が増えているのを
見るにつけ自分の無力を感じるばかりですが、著しく変化し発展する地域の
中で昔と変わらない鎮守の森がひっそりと静かに存在し続けるのも大切なの
ではないかという思いもあります。今はただ一人でも多くの方に地域の神社
の大切さを知って戴いてお参りして戴けるように自分の出来る範囲で心を込
めて勤めてゆこうという思いでいます。
今年は稲荷祭の翌日が二月の第二日曜日ということで水利組合では初堰
(はつゆ)が行われたようです。これは土生水利の水源である津田川上流の
諸井堰の土生への分水地点より外環道路あたりまでの用水路の溝掘り(掃
除)。いよいよ今年の田植えへの段取りがスタートしたということです。和
泉葛城山に降った雨が津田川となり、その水を堰から用水路で引き、地域の
田んぼを潤して米作りをしてきたのです。この土生の用水路を紅葉川と呼ん
でいますが、名前の由来はわかりません。美しく色づく紅葉のイメージに秋
の実りへの思いを込めたのかも知れません。紅葉川は土生神社の横を通り
、村のために尽力した土生氏を弔うために祀られているともいう歯神さんの
横を流れています。歯神さんのあるところは大門と言われ、古代から中世に
かけてあった土生廃寺の大門の跡とされます。紅葉川はその門前を流れてい
たことになり、紅葉川を基軸にして土生の村は作られたのでしょう。水が何
より重要であった村の成り立ちには当然のことだと思います。人間の力を超
えた大自然から恵みを戴きながら人間の知恵と協力によって米をはじめ作物
を作り暮らしてきた村の基軸の川が土生神社の横を通り土生廃寺の門前を流
れていることが土生のまちづくりの原点だと感じます。人間の営みは常に人
間の力を超えたものへの畏敬と感謝と共にあったのです。
ところで昨年末の十二月二十二日糸魚川市で大規模火災が発生 百四十七
棟を含む類焼面積約四万㎡に及ぶ火災となりました。新潟県により災害救助
法が適用され、火災で初めて被災者生活再建支援法が風害により適用されま
した。過去の経験から南風が吹いたら大火になるとの言い伝えで早く避難し
たことで幸い死者はいませんでした。しかしこれほどの被害が出た原因とし
て私もちょっとご縁を戴いている防災のエキスパート兵庫県立大学防災教育
研究センター長室崎益輝先生が木造密集地である、発見通報が遅れた 瞬間
風速二十mが長時間吹いた ポンプ自動車十台しかなく消防力が低かったこ
とをあげておられました。糸魚川市はちょうどフォッサマグナの西端糸魚川
静岡構造線の谷間を風が吹き抜けてくるのですね。火も生活にかかせないも
のですが、感謝と共にその恐ろしさを侮らないことと、住んでいる土地の特
徴を知ることがまちづくりと防災の基本ですね。
まちづくりと言えば、大ヒットとなったアニメ映画「君の名は。」を私は
自分の地域と重ね合わせて観てしまいました。
三年前に彗星災害で滅びた土地の御霊が少女の都会に憧れるイケメンに憧
れる気持ちを使って未来に生きる人と交流する物語に感じました。飛騨地方
の田舎の町と東京という設定になっていますが、一つの町の過去と未来だと
受け止めることも出来るかも知れません。彗星が落ちて滅びる町は新しい時
代の流れに昔からの姿が滅びて東京と同じような街になってしまった私達の
町かも知れません
。
昔その町に生きていた人の名前は思い出せないが、好きですとか人として
生きる思いは変わることなく、私達は今生きていて知らず知らずのうちに昔
生きていた人の魂と交流している時もあるかも知れません。それが祭りの場
であったり、私達が日々地域の神社でしていることとこの映画はどこかリン
クしている感じがしました。主人公の一人女子高生三葉の祖母は神主で土地
の氏神様のことを「ムスビ」といい、神様がなせるすべてのこと、人の体に
入ったものが魂と結びつくことや時間の流れも「ムスビ」であると言ったの
が印象的です。それは神道にも通じるものがあり、私達もこの地域の時の流
れの中で地域の結びつきを受け継いで良い縁を育ててまた次の時代に伝えて
いかなくてはいけないと感じました。
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