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今日も静かな地域の神社で参拝される方をお迎えしています。

阪神大震災時に阿部宮司さんが私達神職がやるべき活動は一般のボランティアとは違うはずだと言われたことに対して当時の私はちょっと反発する気持ちもあったわけです。
神社界が神社の復旧支援活動にばかり力を入れていることになんだか自分達のことだけ考えているように思えて、もっと一般の人への直接的な支援を神社界はしたらどうだろうと思っていました。そういうことで大阪府神道青年会に仮設住宅に入って活動してもらったりしました。もちろんそれは私がしたのではなく当時の神青の役員さんが実施したことですが。その中で神社界や組織がすることも大切であるが一人一人の神職が自分の問題としてささやかでも神社や地域から取り組むことが大切であると感じました。 
そのことがきっかけで私は土生神社に呼ばれることになったと思いますが、その後もさまざまな被災地に通う中で結局目に見えることに関わる活動はすべて一般のボランティアと変わらない活動でただ立場によって関わる現場が違うだけだとわかりました。それも大切であるが、私達神職にはもっと根本的な使命があるのではないかと思いました。それはやはり人間の力を越えた神様の存在を伝えるというか、感じてもらうことが私達の役目としてあるのではないかということです。そんなことは神職なら当たり前の話で、それを大前提にして神職のすべての活動があるはずですが、私自身よくわかっていなかったため、目に見えることだけで判断していたのだと思います。
神職なら神様を信じ畏れ敬う気持ちでお祭りをし、地域の活動をし、支援活動をしていると思うのです。でも私は神様を信じる気持ちがなかったから神社の復旧支援活動よりもっと一般の人を直接支援する活動が大切だと感じたりしていたのでしょう。逆にNGOの人から両方大切だと言われたりしました。
しかし私は神様ということがまずよくわかっていなかったために混乱もしていましたし、心が不安定にもなっていました。
そんな中で日本人の神観にふれるうちに日本人にとって神様は人間の力を越えた存在ではあるが人間の想像を越えた存在ではないということがわかり心に平安を取り戻していきました。
日本人にとって神様は人間の力を越えた自然とか、偉大な先人の営みとかであるが、その神様自体がもっと人間の想像を越えた存在の神様と人間のなか取り持ちなのではないかと思います。人間の想像を越えるとは時間や限られた自分という意識や命というものや死というものがない永遠の世界です。そういう世界とこの無常の世界のなか取り持ちとして神様が存在しながら人間の想像を越える存在を直接拝むことはさせず、また人間の想像を越えることを思う気持ちを穢れやおごりとして祓い清め、この世に生きる時間や命や歴史を大切にするように導いて戴いている神様なのだと今は感じます。そう信じて神様の存在が地域の人に伝わっていくように日々勤めることが私達の役割ではないかと感じますがどうでしょうか

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