今日の出会いに感謝して

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万代でサザエが目にとまり、生まれて初めて自分でサザエを買いました。
高校時代四国の太田屋さんに下宿していて、夏の接客のアルバイトをした時によくサザエのツボ焼きをお客さんに出したのを思い出しました。

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高校時代から私は平和運動に関心があり、世界軍縮会議が開かれたのに合わせて広島で行われた二十万人平和集会に愛媛から出かけていって参加しました。団体で参加しているわけではない私は一人で世界平和を訴える言葉を書いた紙を持って行進しました。
その夜日本軍の通訳をしていた中国人の話を聴く集会に参加したりしました。
私は高校時代から左翼的な思想に染まっていました。

その頃坂村真民先生とも出会っていましたが、平和運動に批判的であれはブームですぐに終わると言われてました。

大学時代沖縄の伊江島の阿波根昌鴻さんのもとで十日間ほど滞在して学び、反戦地主で沖縄のガンジーと言われた阿波根昌鴻さんの大地に足を着けた平和活動に影響を受けました。
阿波根昌鴻さん自身表面的には左翼的思想に洗脳されていましたが、その生活に根ざした活動はすごく深くて、今でもその本質には真実があると感じています。
阿波根昌鴻さんの活動が今日の沖縄の反基地活動とつながっているのも事実ですが、本質は全く違うもののように感じられます。

恥ずかしい話ですが、私は神職になってからも天皇陛下の存在を否定していました。
宗教は反権力で弱い人を救わなくてはいけないという強い思いがありました。
目に見えない神様の存在のことがわからなかったのです。
もちろん改憲など絶対反対でした。

しかし神職としての仕事をするかたわら釜ケ崎や被災地での支援活動などをしていくうちに宗教者の活動が人間中心の考えでおこなわれていることに疑念を感じるようになりました。

やはり人間中心の考えでなく、人間の力を越えた神仏の存在を中心として考えなくてはいけないと気づいた時に、それが国として大切にされてきたのが天皇陛下を戴いている日本の国柄ではないかと気づいたのです。
そして目に見えない世界の力を大自然を通して戴いて生かされていることを忘れないように天皇陛下は祭祀を行い、全国津々浦々の神社や地域でもお祭りが大切に行われているのが日本の国柄です。
もしこれが一神教のように人間中心で自然を征服し開発することが人間の幸せとするような考えに侵略されていたら日本は日本でなくなっていたのです。
まちづくりにも歴然とその違いが現れているでしょう。確かに整然と建物が建ち並び、まちのところどころに公園が整備されている欧米的な街は美しいかも知れませんが、どんなに町になっても鎮守の森を残したり、身近に里山があったりする日本の町は大自然と対立や支配関係にあるのでなく、融合しながら、共にあることを大切しています。それは日本の国柄そのものであり、政治権力の上に天皇陛下を戴いて人間の力のおごりをつつしんできたことが日本全国に染み込んでいるのです。

憲法9条を守ることが平和を守るのではなく、日本を守ることが平和を守るのです。
憲法を改正したからと言って急に安保体制を抜け出せるわけではありませんが、日本はこの日本の国柄を自分で守るのだという意識を持つことが世界平和への一歩をほんとに踏み出すことになるのです。
そうしなければ、憲法9条を盾にしていつまでも戦争的な価値観に協力し続けなければいけない状態が続くのです。
憲法9条を守れ!基地は反対と言い続けていて平和になればいいのですが、日本の平和ボケをいいことに虎視眈々と日本の領土を狙い、勢力を拡大しようとしている国もあることを忘れてはいけないですね。
氏子さんが心込めて栽培されたスイカをお供え戴き、神前からのお下がりを切り分けてご近所の方にももらって戴きました。
いつも神社を見守って戴いてありがとうございます。

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若い頃から魂のふれあいをさせて戴いてきた友が末期ガンであることを知らされ、ちょっと動揺しています。

私はクニちゃんのことを思い出しました。
ブログで偶然知り合ったクニちゃんが息子さんや友人を伴って土生神社に訪ねてきたのは平成十九年二月一日のことでした。
クニちゃんは末期ガンで余命宣告をされていました。北海道で生まれ育ち、東京で暮らしていたクニちゃんが訪ねてきたのは、『昔から祈りをずっと積み重ねてきたような場所を訪ねてみたかった』とのことでした。
岸和田の七宮詣りをご案内させて戴きましたが、途中で、『私は死ぬことは恐くない。ただ人としてどう生きたらいいのか知りたい』と言われました。そんなこと私に答えられるわけもありませんでした。

クニちゃんが去ってから一週間後私は市民病院で検査の結果が出て自分が甲状腺ガンであることがわかりました。
えらいこっちゃというわけで、神戸の専門病院に行って手術したのが五月のことでした。
その年は矢代寸神社で創建千五百年記念事業に取り組んでおり、いろいろ大変でしたが、何とか神社の仕事に復帰しました。
自分の健康も落ち着いたので、東京からわざわざ訪ねて戴いたクニちゃんのお見舞いに行こうと思い立ち、上京したのが六月十二日のことでした。その日は私の母の誕生日でありましたが、クニちゃんに対面して初めてその日がクニちゃんの誕生日であることを知りました。しかも誕生日までご自宅におられて明日から入院することになっていることがわかりました。
そしてその年の夏クニちゃんはこの世を去りました。

人の命には必ず終わりが来ます。
その終わりまで精一杯生きることが出来たら素晴らしいことですが、命の終わりが見えたら、死の恐怖とか、不安とか、虚しさに挫けてしまいそうになる弱さも人間にはありますね。
その時神様の存在を感じて戴けるようにするのが宗教の役割かも知れません。
神道の立場から言うと、神様は人を救う存在ではなく、共にいて下さる存在のようにイメージ出来るのではないかと思います。

元気な時は自分が生かされていることなど忘れがちで自分の力におごりがちですね。
でも病んだ時 そして死を意識した時にそのおごりに気づかされますね。
私達は生かされているのだから、おごることなく、神様のお手伝いが少しでも出来るように生きていきたいですね。
それは何よりもまず人への思いやり 温かい心を届けたいと願っています。

国境のない鳥になる

昨日書いた石川洋先生の本に坂村真民先生の最後の言葉について書かれていました。
私も見たことがありますが、真民先生が最後に色紙に書いて残されたメッセージは
『国境のない鳥になる』
です。

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鳥に国境がないように本来大自然には国境がありません。
人間が勝手に境界線を引いて領土や領海を決めているに過ぎません。
大自然に根ざす神道にも本来国境はありません。
その土地で生活させて戴くのにあたり、その土地の神様に感謝してまつり、土地の自然に敬意を持ちながら暮らす価値観を共有し伝えてきている日本民族が長い歴史の中で国を形成してきましたが、その土地はその土地の神様が支配しているものであって人間が線引きする境界線などはないのです。その価値観を守るために価値観の異なる民族や国と線引きをして国境を定めているというのが神道からの視点です。
しかしその曖昧さが平和ボケと相まって、領土領土が侵されることでその価値観も危うくなっている現実がありますね。

先日のアメリカの独立記念日の軍事パレードのような式典をニュースで見たでしょうか?
私達が憲法九条によって平和が守られるという幻想から目を覚まさない限り、永遠に私達はあのアメリカの価値観から抜け出すことが出来ず、あの価値観を支え続けるということになります。アメリカに守られている平和とは何でしょうか?
アメリカの基地が日本にたくさんある安保体制は日本を守るだけでなく、アメリカを守る国益もあるからですが、これからも共に歩んでいかざるを得ないでしょう。
しかし自分の国は自分で守るという気持ちを持った時に初めて私達は自分の国の価値観を守ることが出来ると思うのです。そうして初めて私達は他国の価値観からほんの少し抜け出して真の平和へと一歩を踏み出すことになると信じています。

無一物無尽蔵

昨年の西日本豪雨から一年
あらためて亡くなられた方々の御霊の平安をお祈りしますと共に未だ復興途上の被災地の再生をお祈りさせて戴きます。

昨年の七月六日はまた麻原彰晃らオウム真理教事件の主たる人達が死刑になった日です。
この事件はまだ完全に解決されたとは言えませんし、私達も忘れてはいけない事件だと思います。
地下鉄サリン事件と同じ年に起きた阪神淡路大震災は私達の一つの原点として令和の時代も忘れることなく見つめ続けていきたいです。

昨日は若い頃より私を導いて戴いた石川洋先生のご命日でしたが、先生が亡くなってもう四年ですね。
ご命日に先生の最晩年の著書『生きる覚悟』を開いていたら、ちょうど前回の亥年に書かれた文章がありましたので、一部を書き写しておきます。ちなみに前々回の亥年は阪神淡路大震災・地下鉄サリン事件の平成七年でしたね。

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『今年(二〇〇七年)の干支の「亥」はイノシンでありますが、この「亥」は、分かりやすく絵にすると「根」という字になります。つまり、根っこの年であり、循環の終わりです。
この循環の終わりの「根の年」が何を意味するのかということが、きょうの勉強の中心だと思っております。
冬枯れです。外は何もない。けれども、終わりは失われたことを意味するものではない。大地の中は、来年の春、もっというなら、これから始まる十二支の循環のエネルギーに満ちているのです。このエネルギーに満ちていることを漢字で書くと「無」。これが中国思想でいわれる「無一物中無尽蔵」です。大地の中はエネルギーに満ちている。今年はそういう年なのです。これからの十二支の循環を生み出す力に満ちているのです。
ないということは、何もないということではない。エネルギーに満ちているだけです。それを形にしていく大きな時なのです。
鈴木大拙先生が天皇陛下に「無」と「空」とはどう違うのかとお尋ねになられ、お返事に困られたという文章を読ませていただいたことがございます。私に分かるはずもございませんけれども、私が自分自身の中で思っておりますことは、「空」というのは、どちらかというとインド思想です。大きな空、大地、とらわれないこと、偏らないことです。大きな世界です。
中国思想は無の思想でして、働きを生み出す力です。老荘思想がなぜ活力を持っているか。それは生み出す力があるからです。「無一物無尽蔵」です。』

宗教と独居と結婚と

小学校低学年の頃に引っ越していってからもずっとつながっている友達が訪ねてきて、差し入れのたこ焼きを戴きながら社務所でしばらく話をした。
もう五十五年も生きてきたんやなぁ 
もう結婚する気持ちないの?
そうやなぁ 昇太さんみたいに還暦前に結婚するかな?

あんまり自分のことより地域のことや社会のことを考えて一緒にやっていこうという女性と出会えたら、若い時とは違うと思いますが、結婚しようかな?

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令和四年にはもう独居世帯が全体の三分の一を越えるそうです。
宗教者の社会活動で寄り添いということが大切なキーワードとしてあると思いますが、宗教者が寄り添うことで神様が寄り添って戴いているということが伝わる感じてもらえることが大切だと思います。
そういう願いをこめて土生神社では独居御守を授与し、一人暮らしもいつも神様と共にという願いを伝えさせて戴いています。
そして神様の存在を感じるところからまた新しい縁が生まれることを祈っています。

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夕方におすそわけに戴いた太刀魚を食べながら
過去をたち、未来へ未来へ
という思いがこみ上げてきました。

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