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こんにちは、ゲストさん
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平成二十六年度例大祭を終えて
土生神社宮司 阪井健二
今年の土生神社の例大祭も十月十一日十二日と滞りなく執り行われ、ご協力戴きました氏子をはじめとする皆様に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
前週の地車試験曳行の日と二週続けて台風の影響が心配されましたが、いずれの日もずれて祭りへの影響を免れ何よりでした。
本宮の翌朝に台風か最接近するとの予報で本宮の午後には神社境内の提灯を氏子総代さん氏子世話人さんに下ろす作業をして戴き、ふだんの神社の光景に戻って、夜はあまり明かりもない神社に最終の曳行を終えた地車が帰ってくることになりましたが、いつもの通り町会長、役員、祭礼団体各長が神前に終了の奉告と御礼参拝して締めくくって戴きました。この最後の締めくくりの参拝は以前は行われていませんでしたが、現在は毎年必ず行って戴けるようになっており、とても大切なことだと感じています。
毎年お祭りを迎えるにあたり土生町では町会役員と祭礼団体の懇親会か開かれていますが、その場に宮司も出席させて戴くようにしています。今年も出席させて戴き、「私が出席するような場ではないかもしれませんが、祭礼の運営にご協力ご尽力戴いている皆さんに感謝を申し上げるために出席させて戴いています。」と挨拶させて戴きました。
そして地車試験曳行前に梃子祭、宵宮の曳き出し前に安全祈願を例年通り行ったわけですが、わかりやすく安全祈願と言ってますけれど、本来は神事に入る前の清め祓いであり、安全に自分達が十分に気をつけて祭礼を行い神様に見て戴くのが本来のお祭りの姿であるはずです。
ふだん神社はひっそりとしていて静かですが、氏神様は氏子地域の皆様が意識しようとしまいといつも守って戴いています。そのことに感謝して宮司は毎日神様にお供えをしお祭りを行っています。その一年分の感謝の気持ちを込めて盛大に行うのが例大祭であり、地車の曳行に関わっている人だけのお祭りではなく、氏子地域すべての人のお祭りなのです。誰も決して他人事に思うことなく神社に参拝し、お祭りに参加する気持ちで地車曳行を見て感謝の気持ちや願いを託すことが大切だと感じています。
今年の東岸和田だんじり祭のポスターに受け継がれし伝統とありましたが、だんじりとかお祭りの形は伝統かもしれません。でもお祭りの核心は神事であり、それはお祭りの原点に帰ること 伝統である前にまず神様の存在を感じて神事を行うこと 毎年原点の神事を行なうことがお祭りの核心であり、それは積み重ねられてきた歴史や祭礼文化を尊重しつつ歴史や文化の全くないゼロの地点に帰って神様をお祭りすることにほかならないのです。先人の積み重ねてきた歴史や文化に感謝しつつ同時に人間が作ったものでない神様の存在に向き合って感謝の心が届くように行なうのが例大祭であり祭礼なのです。そのことを伝えるためにお祭りを行ない継承してきた先人の心をあらためて深くかみしめていきたいと今年の例大祭を終えて感じています。(平成26年10月31日 記す)
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平成二十六年度例大祭を迎えて
土生神社宮司 阪井健二
氏子の皆様には平素土生神社の護持運営にご協力を賜りまことに有り難く感謝申し上げます。
さて今年も一年に一度の土生神社の例大祭を執り行う日が近づいてきました。
氏子の皆様には今年も例大祭が厳粛に滞りなく行われ、祭礼が安全に麗しく行われますようにご協力をよろしくお願い申し上げます。
言うまでもなく氏神様の例大祭ですから地車曳行の祭礼に参加する人だけのお祭ではなく、氏子すべての人 地域全体のお祭です。祭礼に参加していなければ他人事に感じている人もいるかも知れませんが、この地域を守って戴いている氏神様に感謝するお祭としてこの地域に住むすべての人に関係するお祭です。まずは氏神様にふだんお守り戴いていることへの感謝の気持ちをあらためて込め参拝しましょう。そして地車の曳行に関係している人はもとより直接関係していない人も氏神様への感謝の気持ちを地車に託す気持ちで祭礼に参加していくことが大切だと感じます。
私が宮司に就任して二年目の頃拝殿の蜘蛛の巣を払って授与所とし毎日参拝者を迎えましたところ、初めの頃は参拝者から「宮司さん 今日はお祭りですか?」とか「今日は何かあるんですか?」とかよく尋ねられました。確かに地域の神社はふだんひっそりとしていて人気もあまりないのがふつうなのに、授与所が開いていて宮司が社番していると不思議に思われても仕方なかったでしょう。でもひっそりと静かにいつも身近に見守って戴いている氏神様に氏子にかわって感謝の気持ちで日々奉仕する責任の重さを痛感しながら勤めさせて戴いてきました。
そのようにふだんは宮司が神様に仕えてお祭りをし、総代座老世話人がお世話を戴いて守られている神社ですが、一年分の感謝の気持ちをこめて、その気持ちが神様に届くように例大祭の祭礼は盛大に行い麗しく行うことが氏子のつとめではないかと感じます。
神様と言っても現代の人の中にはなかなか実感出来ない人もいるかも知れませんが、こうして人間としての命を与えられ、自然の恵みを受けて生かされていること、決して自分の力だけで生きているのではないことは明らかなことです。そして現在この地域や町に生きているという事実があります。ふだん感謝の気持ちを忘れて自分の力で生きているように錯覚しがちですが、お祭りを行うにあたっては日々生かされていること、この地域や町に暮らしていることへの感謝の気持ちで取り組んで戴ければと思います。そして決してお祭りは誰かの力を誇示するような場ではなく、感謝と謙虚の気持ちで一人一人の力を合わせて行っていくとふだん忘れている大切なことが見えてくるのではないでしょうか。
私達は自然の恵みを受けて生きているわけですが、自然は恵みだけでなく時には災害となって襲いかかってくることもあります。生きている限り恵みだけ戴いて災いを断るというわけにはいきません。恵みもあれば災いもあるのが自然の姿であり、災害が起きて騒ぎになるなら毎日恵みを戴いていることにもっと騒がなくてはいけないはずですが、そんなことは出来ないので一年に一度祭礼を行い感謝の気持ちを表していると言えるでしょう。そしてその祭礼を行うことで地域の結束が固まると共に知らず知らずのうちに地域の防災訓練になっている面もあると考えられます。
今年も各地で豪雨による災害が相次いでいますが、広島市の豪雨による土砂災害では七十四人もの犠牲者が出る痛ましい大災害となってしまいました。私も発災から三週間が過ぎた頃一度だけ現地に行かせて戴きました。現地に行くと想像以上の被害であることが実感され、巨石が家の中に襲ってそのまま留まっているお宅の泥だし作業などさせて戴きましたが、自然の力には到底人間はかなわなず防災といっても最後は逃げるしかないことを感じました。最大の被災地区八木地区に光廣神社という神社があり、神社の石段下まで土砂で埋もれましたが社殿は無事でした。私が行った時は石段下の土砂はきれいに撤去され神社に参拝出来るようになっていました。休憩時間にお参りに行くと同じように参拝しているボランティアの姿も見られましたが、破壊された町並みの中から歴史を感じさせる社殿の前に立つとほっとするものがありました。過去にも同じような災害があった地区のようで災害の被害を受けにくい場所に神社を祀り地域の平安を祈ってきたことが感じられました。人間の力をはるかに超える自然の力を神様と感じておそれと感謝の気持ちから慎んで神様を祀ってきたのが日本人だと考えられます。
当然のことですが、神社があるから神様がおられるのでなく、神様がおられるから神社が祀られているのです。東日本大震災で社殿と氏子地域のほとんどを流失した宮城県山元町の八重垣神社さまとつながりを持たせて戴いていますが、震災後社殿も何もない本殿の跡地に立ち入り禁止区域になっているにもかかわらずどこからともなく氏子さんがやってきてはお賽銭を置いてお参りされている姿を見てこれが本来の日本人の信仰であることを感じたと八重垣神社の藤波祥子宮司さまが語っておられました。長い伝統があるからそのようになるということもあるかもしれませんが、建物とか目に見える存在の前にまず神様を感じ手を合わせることから神社は始まっているのです。
この十月で平成十六年十月二十三日に発生した新潟県中越地震から十年となりますが、一時期全村避難となった山古志村から闘牛の牛を避難させ避難先の仮設闘牛場で闘牛大会を開催し山古志村への帰村と復興の原動力を作って行った闘牛名人松井治二さんに初めて会った時「私達が伝統文化を守ったと言われるが私達が伝統文化を守ったのでなく伝統文化が私達を守ってくれたのです。」と言われた言葉が忘れられません。
私達も地域のお祭りの伝統に感謝する気持ちで取り組むと共に、お祭りはまたその伝統の原点に立ち返る時だと思います。先人がこの地域に住んでまずこの土地の神様である産土の神様を祀った心に立ち返り伝統を受け継いでいくお祭りになるように奉仕し、今後もみんなが幸せに暮らしていける町であるようにみんなで祈念をこめてお祭りを行っていきたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。(平成26年9月21日 記)
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土生神社・森からの手紙・平成二十六年春・特別号
東日本大震災三年
震災を風化させて復興は出来ない。
宮司 阪井健二
平成二十三年三月十一日から三年の時間が経過しようとしています。
あの日私はいつも通りの静かな一日を神社で過ごしており、午後からも拝殿の授与所にいて時折来られる参拝者を迎えていましたが、ふと見た携帯のツイッターの画面から地震で仙台駅が大変なことになっているとの文字が目に飛び込んできて地震があったことを知り、あわてて社務所に戻ってテレビのスイッチを入れたのです。まもなくテレビの画面でリアルタイムで仙台平野をいとも簡単に飲み込んでいく津波の姿を見ることになりました。
あの日から三年が経過しようとしている現在私はあの日と全く変わらない静かな日々を神社で過ごしていますが、それまで同じような静かな日々があったであろう被災地ではあの日を境に地域の風景も人々の生活も一変してしまいました。
この震災が歴史的に年表に平成二十三年の出来事として記されるとしても三年を迎える今日まで一日も途絶えることなく震災は続いており、被災地はその真っ只中にあることは変わりありません。今後も残念ながらまだまだ続いていくように思われます。一方で被災地を遠く離れている私達の生活や地域の中ではもはや震災のことが話題にのぼることも少なくなり、過去の出来事のようになっています。災害の大小にかかわらず被災当事者にとっては大変なことは変わりありませんが、一地域の災害であれば地域も個人もほとんどの場合一時的な支援が必要なだけで立ち直りが早いものです。しかし今回の震災のように規模が大きく、原発災害まで含んでいると、もはや一地域の災害と言えません。
そう考えると今回の震災は被災地にだけあるのではなく、被災地を遠く離れて他人事に考えたり無関心になっている私達の姿も震災の一面だと思えてきます。その私達の無関心も震災を作り出している要因のひとつだとも言えます。
今回の震災の復興は被災地だけで出来るものではなくするものでもないと感じます。また震災を風化させて復興は出来ないと思います。被災者の生活再建が最優先であることは言うまでもないことですが、被災地の復興と同時に被災地とそうでない地域 被災者とそうでない人が一つになって震災の経験と教訓を生かすことこそ、真の復興ということではないでしょうか。
震災の年の六月にこれまたツイッターで出会った福島県いわき市豊間からの避難者遠藤雅彦さん(不思議なことに遠藤さんが関西の大学在学中に土生町出身の友人がおられました。)と出会い、毎月土生神社で彼を招いて交流会を開いてきました。今回の震災ではその規模の大きさと特徴から全国に避難された方が多数おられ、遠い被災地だけでなく私達の身近にも避難者被災者がおられるということです。やむなく避難されている皆さんですが、その方達と出会うことはわざわざ被災地まで出かけなくても私達の日常生活の中で被災地とつながることが出来るということであり、それだけ今回の震災が大きな災害であったことを実感出来ることです。遠藤さんもいわき市のご自宅を津波で失われ放射能汚染から大阪に避難して来られましたが、初め出会った頃は避難して間もないこともあり、生活も気持ちもとても不安定なものが感じられました。毎月交流会に来て戴くうちに徐々に落ち着いてくるのが感じられ、その後ご自身と同じような立場にある被災者避難者を支援する活動を始められました。現在その活動は社団法人東日本大震災復興サポート協会となり、同じ福島県からの避難者高野正巳さんと共に活動されています。その活動の一環に東日本大震災の経験を語り伝える活動があり、各地でお話をされていますが、震災を風化させることなく被災地に関心を持ち続けてもらうことが被災地の支援につながると同時に将来必ずやってくる関西での大災害の減災にもつながるという両面を持っている活動なのです。
毎月の土生神社での交流会に今月大阪の津波碑の研究者である長尾武氏が突然お見えになりました。私は以前から長尾氏の研究に注目して文通したりしてましたが、お目にかかるのは初めてでした。交流会で長尾氏は大正橋東詰にある安政南海地震の津波碑についてお話下さいました。もともとあの場所には宝永の地震津波の後に供養のためお地蔵さんが祀られていましたが、安政の津波で流され、その後に現在の津波碑が建てられ、現在でも地域の人はその碑のことをお地蔵さんと呼んでいるとのことです。その碑には大地震と津波の教訓が刻み込まれ、「心あらん人、年々文字読み安きよう墨を入れ給うべし」と締め括られています。その言葉の通り地域の人達はその碑を守り、犠牲者を弔うことと災害の教訓を伝えることを一つにして伝承してきたのです。
私は震災の翌年岩手県の被災地を訪問した際に山田町から重茂半島に入り、宮古市姉吉地区を目指しました。対向車が来たら困るような山の中の細い道をひたすら走ってようやくたどりついた集落で尋ねるとまだここから三つ先の集落だと教えられました。各集落に津波の被害が見られ、過去の津波碑も確認できました。昔はかなり辺鄙な土地であったことが想像され、今もその雰囲気が残っていました。初めて行くので距離感がわからず、やっとの思いで到着した姉吉地区であの有名な「此処より下に家を建てるな」と刻まれた碑を見た時の感動は忘れません。漁村でありながら山の中の集落という感じで曲がりくねった道をかなり下りていかないと海は見えてきませんでした。明治と昭和の津波で全滅に近い被害を出し、碑を建てて教訓を守ったことで今回の津波から集落は守られました。その碑自体は信仰の対象ではないのですが、過去の津波の犠牲者や教訓を伝えて来た先人の御霊がそこにも鎮まっているようで私は思わず手を合せました。
震災犠牲者のご冥福、また被災地の復興と平安を祈ると同時に私達の地域でも氏神信仰と共に伝えられている先人の経験と教訓をあらためて見直し今後に生かしていけるように神社から発信していきたいと震災三年に心を新たにしています。 |
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