東日本大震災四年復興祈願祭次第
平成27年3月8日(日)
於 土生神社
○本殿において復興祈願祭(午後一時半〜)
祭典に先立ち東日本大震災で亡くなられた方々の御霊の平安を祈念して一分
間の黙祷を捧げます。
一、修祓
二、斎主一拝
三、献饌
四、斎主祝詞奏上
五、斎主玉串奉奠
六、参列者玉串奉奠
七、大祓詞奏上
八、撤饌
九、斎主一拝
○土生町内の小祠、地蔵尊巡拝(午後二時〜)
地域の平安を祈ることと被災地のことを祈ることは一つのことであるというこ
とを共有しながら地域の小祠や地蔵尊を巡拝
○巡拝コース
紅葉川水門そばのお地蔵さん−歯神さんー西(裏鬼門)の幸の神さんー札場の
道標地蔵さんー北(鬼門)の幸の神さんーJR踏切近くの道標地蔵さんー小栗
街道(熊野古道)道の池堤道標地蔵さん
○社務所にて南相馬市からの避難者伊藤早苗さんによる
福島民話紙芝居と体験談 (午後三時半〜)
○直会(懇親会)(午後四時半〜)
午後六時頃終了予定
東日本大震災四年復興祈願祭にあたって
土生神社宮司 阪井健二
平成二十三年三月十一日午後二時四十六分発生した東日本大震災から四年の節目となる日を迎えようとしています。
本日の復興祈願祭にご参列戴きました皆様に心より感謝申し上げます。
震災直後からささやかなつながりを被災地、そして避難者の方と持たせて戴き交流させて戴いてきましたが、このような大災害が起きた時ことさら支援活動とかボランティア活動とかいうことでなく人と人 地域と地域が助け合うことは当たり前のことではないかと思いますし、特別なことをしているという気持ちでなく、日常生活の一部として被災地との関わりを持ち続けてきたつもりです。
被災地では地域の人達の心のよりどころである神社も多数被災し、帰還困難区域においては今後の祭祀の継承が危ぶまれてさえいます。ただ神様と人の仲執り持ちである私は震災をあらためて考えると大震災も神様の降臨であったと感じます。そして地震や津波によって神社が破壊されたのでなく、神様が降臨され新たに神様を祀る時がきたということだと感じます。これまで祀られてきた神様も神社の歴史もありますが、その復興だけでなく、今回の震災の神様を祀ることが大切なのです。そういう思いを込めて復興祈願祭を斎行させて戴きます。
次に地域で巡拝させて戴くお地蔵さんなどについて昨年書いたものを引用しておきます。
○紅葉川水門そばのお地蔵さん 土生神社の横を流れている紅葉川は土生でもっとも重要な水路で、この水路から細い水路が枝分かれして田んぼに水が引かれるわけです。この水路を遡ればいくつか池もあって土生の水源である津田川上流の諸井堰(もろゆ)にたどり着きます。かつては水をめぐる争いが繰り返された場所であり、その歴史は養水祭によって神社でも伝えられ、水争いの歴史は水の大切さを伝える歴史でもあります。神社の横に分水をする水門が設けられ、そのそばにお地蔵さんが祀られています。そのお地蔵さんは神社境内の牛神さんと向かい合っています。農作業に欠かせない牛を神様として祀り、旧七夕の牛神さんのお祭りには紅葉川で牛を洗って牛神社にお参りしたと聞きます。この紅葉川の水門そばに祀られたお地蔵さんにもそんな水に関わる先人の切実な思いも込められていると感じます。現在この水路の水を災害時生活中水として活用しようということも考えられています。先人のご苦労と水の大切さに思いをはせ、合わせて被災地の平安と復興をお地蔵さんに祈念。
○歯神さん 土生交番の裏手に歯神さんと呼ばれる小祠があります。中をのぞくと立派な五輪塔です。岡部氏が岸和田に入城した時年貢を下げることを求めて強訴に及んだ百姓の代表の一人として打ち首になった土生十右衛門を弔うため表向きは歯の神さんとしてお祀りされてきたと言い伝えています。もともとこの辺りは大門と呼ばれ、古代土生廃寺があった場所です。お寺の名前は伝わりませんが、孟正寺池という池が現在あり、この孟正寺がその寺の名前ではないかとも言われています。この孟正寺池が万治年間決壊し、お隣の作才村を壊滅させ、村人は逃散したとの言い伝えが残っています。それはさておきこの歯神さん 土生さんを弔う場所として全国から訪ねてくる土生さんを必ずご案内させて戴いています。以前北海道の土生さんが訪ねてきてご案内しましたが、ご自身の苗字と同じ交番が珍しくて写真を撮っておられましたが、不審に思った警官が出てきて尋ねられたので事情を説明したことがありました。この地を一族のふるさととして全国に土生さんがおられ、まだつながりはわかりませんが宮城県にもおられて今回の震災で被災されている。時を越えてつながり、時を越えて見守っている縁があることを思いながら、歯神さんに被災地の平安を祈念。
○幸の神さん 土生町には鬼門と裏鬼門に幸の神(さのかみ)さんが祀られ、それぞれ近所の人に大切に守られ、十月には宮司が呼ばれてお祭りをしています。疫病などの悪いものが村に入ってこないように村の境に祀られてきた神様です。村を閉鎖的に守るしかなかった昔の人の思い 願いが積み重ねてこられた場所でもあります。今回の巡拝では鬼門に祀られた北の幸の神さんで大祓詞を奏上 先人の地域を守ってきた願いに思いをはせ、被災地や避難者の人の地域 ふるさとを思う心への共感を重ね合わせ被災地の復興を祈念。
○札場の道標地蔵さん 土生の中心地札場に祀られている道標地蔵さんです。札場は高札場があった場所でお上からのお達しなどが張り出された場所 そして葛城道大熊街道泉光寺道の五叉路で情報が集まり広がっていく場所。被災地と私達の地域の未来に良き道しるべを与えて下さいと祈念。
○JR踏切近くの道標地蔵さん いよいよ高架が姿を現しだしたJR踏切近くに祀られたお地蔵さんです。今はマンションのそばに仮におられますが、工事の前は踏み切りのすぐそばにおられました。工事にあたって現在の場所に仮に移られる時お地蔵さんではありますが、私が呼ばれてお祓いをさせて戴きました。もともとこのお地蔵さんはマンションがまだ牛ばみ池だった頃岸和田方面から上ってくる葛城道が池の堤にぶつかって道が二手に分かれる所にお祀りされていました。ここで葛城道は一方は土生の集落の中を 一方は集落を外れた田んぼの中を進む道となり、集落を超えた所でまた一つになっていました。村に用事のある人は集落の道を 先を急ぐ人は田んぼの中の道を行ったのでしょぅ。このことを教えて戴いたのは熊野古道の案内人月山渉先生で、その話を聞いた時私はふと人生にも二つの道があるなと思いました。一つはみんなと共に歩む道 一方はまっすぐひたすら行く自分の道 両方大切な人生の道ですね。変わりゆく私達の地域の平安と被災地のより良き復興を仮安置の道標地蔵さんに祈念。
○小栗街道(熊野古道)道の池堤の道標地蔵さん 今回の巡拝の最後は小栗街道(熊野古道)が通る道の池の堤に祀られた道標地蔵さんです。街道が池の堤を通っているのは人が行き通うことで堤を踏み固める作用があるからです。この道の池は水利の池としての役割をなくし、周囲の宅地化で苦情もあって埋め立てることが議論されている池ですが、地域の遠い未来を見据えて文化遺産として残すべきだと私は考えています。この小栗街道の行き着く先は言うまでもなく熊野の地です。土生神社の創建伝承も白河法皇の熊野参詣に関わっており、本殿の横に富士山形の石で熊野神社が祀られています。震災と同じ年の九月台風十二号が熊野地方を襲い、大きな被害があった那智勝浦町の支援を土生神社でも少しさせて戴きました。震災の被災地である東北地方にも各地に熊野神社が祀られています。仙台空港に降り立ち初めにお参りする下増田神社にも熊野神社が合祀されています。大船渡市末崎町の仮設住宅を訪問した時地域の氏神様である熊野神社に参拝しましたが、境内に樹齢千四百年という日本最古最大の椿があり、神社にも工芸品など貴重な文化財がたくさん伝わっています。宮司さまは仮設住宅住まいでしたが、神社は浸水線ぎりぎりに残り、過去の津波でも被害をのがれてきた場所であったことがうかがえました。地域の歴史や情報が神社に留まり、神様と共に地域を見守っていることを感じました。これからの地域の復興にも大きな心のよりどころとなるはずです。海は大きな災いをもたらしましたが、大きな恵みをもたらす海でもあり、そしてたくさんの情報を伝えてくれる海でもあります。東北地方に祀られている熊野の神様も海を渡って伝えられてきたものでしょう。熊野の神様に被災地の復興を見守って戴いていることに感謝の祈念をさせて戴きたいと思います。
今回の巡拝には入ってませんが、土生のお隣の畑町に袖取坂という坂があります。曲がりくねった見通しの悪い坂で、昔の人はここで転んだりすると験が悪いと片袖をひきちぎって神様に捧げ足早に通り過ぎたことから袖取坂というと伝わります。現在の考えからすれば見通しの悪いところは道をまっすぐ付け直して安全安心な町を作るということになるのかも知れませんが、昔の人は地形に沿って道を作り自然に合わせて生活してきたのです。そして何かあると身を慎んでお祭りをし神様に手を合わせてきたのです。今回の震災も私達は昔の人が片袖をひきちぎって神様に捧げたような気持ちで受け止めることが大切ではないかと考えます。そう考えると、これだけの災害をうけながら今また経済優先で原発の再稼動に踏み切ろうとしている政治には疑問を持たざるをえません。神道の原点に立ち返って政治に訴えかける神社界であることを望みます。
今回の震災で宗教の社会貢献ということが見直されたり、問われたりしましたが、宗教者として私達に出来ることはひたすら神様に手を合わせお祭りをすることしかないということです。そして後は一人の人間として地域に根ざしながら地域を超えた助け合いの輪に参加していくことが大切だと感じます。
災害は明日はわが身ということもありますし、自分自身が地域に根ざして生きていてこそ、遠い被災地のことも共感を持って思うことが出来るのです。そして一番身近で私達を守って戴いている地域の神仏に私達の地域の平安を祈ると同時に被災地の復興や平安を祈ることが一番深く強い祈りを生むと信じています。