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明日は合同清掃 その後社務所にて責任役員、氏子総代、祭礼団体役員らで例大祭祭礼の打ち合わせを行います。 いよいよお祭りが近づいてきます。 |

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明日は合同清掃 その後社務所にて責任役員、氏子総代、祭礼団体役員らで例大祭祭礼の打ち合わせを行います。 いよいよお祭りが近づいてきます。 |
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平成二十六年度例大祭を迎えて
矢代寸神社宮司 阪井健二
氏子の皆様には平素矢代寸神社の護持運営にご協力を賜りまことに有り難く感謝申し上げます。
さて今年も一年に一度の矢代寸神社の例大祭を執り行う日が近づいてきました。
氏子の皆様には今年も例大祭が厳粛に滞りなく行われ、祭礼が安全に麗しく行われますようにご協力をよろしくお願い申し上げます。
先代の故南信夫宮司の後を受けて私が宮司に就任した年より組織された神社運営委員会は昨年度十周年を迎え、当番町も今年度の極楽寺町で三巡目に入っています。この十年を振り返りますと一番に思い起こされるのはやはり平成十九年に斎行しました御鎮座千五百年大祭のことです。この折御神輿の神幸祭も行いましたが、例年の神須屋町の御旅所への渡御のみならず氏子五町全域を巡幸して各町に御旅所を設けて神事を行いました。その時を機にそれまで各町のだんじりを曳く時のはっぴで御神輿も担いでいたのをあらため神社で白いはっぴを準備して着用して戴くようにしました。以後毎年の例大祭の神幸祭においても神社の白いはっぴを着用して御神輿を当番町で担いで戴くことになっています。
いつも申し上げることですが、明治時代に神社合祀令が出るまではほとんどの地域では一つの村に一社の産土神・氏神を祀るのがふつうでした。矢代寸神社の現在の氏子である五町でもそうでしたが、この地域では一村に一社の産土神様・氏神様を祀ると同時に矢代寸神社を郷の惣社として五つの村で宮座を祀り守ってきたのです。矢代寸神社が現在でも「一の宮」と呼ばれているのはそのためです。氏子五町の地車の宮入りは十月祭礼の中でも特に注目されている宮入りですが、自分の町のことだけでなく地域全体の共存共栄を祈ってきた神社の祭祀の伝統が地車の宮入りの力強さに現れていることを毎年感じます。
そして当番町によって御神輿が担がれ、御旅所まで渡御神事が行われます。各町の伝統と誇りを大切にしながら同時に地域が一つであるという神社と地域の歴史伝統への感謝の気持ちをこめて五年に一度の当番の年は氏子としての心を新たに神社の白いはっぴを着て御神輿を担ぐことは素晴らしいことではないかと思います。
御神輿の御旅所となる神須屋町の諏訪神社跡は現在は児童公園となっていますが、もともとここには諏訪宮がありました。延喜式に「矢代寸神社二座」とあり、現在の八田町の一の宮とこの諏訪宮の二座で矢代寸神社であったのが、明治四十年諏訪宮が一の宮に合祀され、その跡地が一年に一度御神輿の御旅所となっています。
今年の当番町である極楽寺町では例大祭の後の十月十七日毎年町内の極楽寺地蔵尊の前で宮座の座老と町会役員によって古祭が行われています。地蔵尊の前で行われるので現在は僧侶が来てお勤めされますが、本来神社に関係する宮座の行事であるはずです。郷の総氏神である矢代寸神社の例大祭を終え、自町でのしめくくりの祭と直会として行われていた行事であり、各町で行われていたと推察されます。自町の伝統を重んじつつ同じ水系の地域共同体の共存共栄の象徴としての矢代寸神社の歴史伝統の意味を今年も祭礼を通して深くかみしめていきたいと思います。
ところで平成十六年に発生した新潟県中越地震からこの十月で十年となります。中越地震では特に当時の山古志村(現在は長岡市に編入)で大きな被害がみられ、全村避難を余儀なくされる事態となりました。一時期村を離れて避難生活を送った住民は現在は見事に復興を遂げた山古志地域に戻り平穏な生活を取り戻しておられますが、はじめ自分の住み慣れた地域を離れる時はいつまたもどれるのかと不安があったのではないでしょうか。そんな中山古志の名物である牛の角突き、つまり闘牛の名人で知られる松井治二さんは震災直後から牛を避難させ避難先で翌年には仮設の闘牛場で闘牛大会を開催し山古志村への帰村と復興への原動力を作っていかれたのです。初めて山古志で松井さんに会った時、松井さんが「伝統文化を私達が守ったように言われるが伝統文化を私達が守ったのでなく伝統文化が私達を守ってくれたのです。」と言われた言葉が忘れられません。
私達の地域においても地域の伝統文化に私達が守られていることは言うまでもありません。だんじりも大切な地域の伝統文化ですが、先人は常に地域と人々を守って下さっている氏神様に感謝してお祭りを行い、まずは神様の心を和め喜んで戴くためにだんじりを曳き、子孫が幸せにこの地域で暮らしていくように願いをこめてきたのです。その伝統を感謝の心で受け継ぎ、祭礼を通して氏神様への感謝の心を次代へと伝えていかなくてはいけないのです。
お祭りというのは長い歴史の伝統であると同時にその原点に立ち返る時でもあると思います。この地域の先人がこの地域に住み始めた時にこの土地の神様産土神様を祀ったのが地域の神社の始まりでありましょう。今もその神様がこの地域を守って下さっており、その存在を感じ感謝することなくして神社もお祭りも存在はしないのです。
また地域の神社というのはもともとのその土地の神様である産土神様と先人が信仰で祀った氏神様が一つになって祀られています。たとえて言えば産土神様はおかあさん、氏神様はお父さんのような存在でその両親に産み育てられ守られているのが氏子です。一年に一度の例大祭は子供が両親の誕生日を祝い感謝する日に等しいと思います。
しかしながら現代の人の中には神様の存在を実感するのが難しいという人も多いかも知れません。それでも今こうして自然の恵みを戴いて生かされこの地域で暮らしが出来ていることは決して自分の力だけで出来ていることでないことだけは明らかなことです。その感謝の気持ちを表す場として神社に参拝しお祭りに奉仕して戴くと、徐々にでも人間が目に見える世界だけでなく目に見えない世界からの力で生かされているということが実感できるようになってくるはずです。
ふだんはひっそりとしていて静かに地域を見守っている氏神様ですが、一年に一度の大祭は一年分の感謝の気持ちを込めて盛大に行い神様の存在感を現す時だと思います。今後も末永く地域が発展し繁栄するように今年も感謝の気持ちで麗しいお祭りが行われますようにお祈りしています。よろしくお願い申し上げます。(平成26年9月21日 記)
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雪害があった地域 雪も大分溶けて生活に支障をきたすことはなくなってきているようですが、農業などの被害は深刻なようです。 大阪でも柏原のぶどうなどかなり被害があるようです。 お見舞い申し上げますと共に早く希望の光が見えてきますようにお祈りいたしております。 |
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土生神社と矢代寸神社の車での移動に苦労しました。 雪の被害のあった地域にお見舞い申し上げますと共に平安をお祈りいたしております。 |
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人形に心身のけがれを移して祓い清め、清らかに新しい春を迎えましょう。 写真は矢代寸神社の節分祭の後の直会の光景。 |
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