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こんにちは、ゲストさん
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新年をお祝いしています。 |
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受けられた氏子の皆様にご加護がありますように。 |
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十月十七日 例年の通り極楽寺町の古祭に参列。地蔵尊前でのお勤めの後町会館で直会は伝統のいも いかで。 |
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平成二十五年度例大祭を終えて
矢代寸神社宮司 阪井健二
去る十月十二日十三日と行われました平成二十五年度の例大祭と祭礼も滞りなく終了し、ご協力戴きました氏子をはじめとする皆様に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
祭礼も天候に恵まれ、大きな事故などもなく終了できたことは何よりでした。神様にも祭礼に関わった皆様の真心が届いたことと信じています。
当社では毎年例大祭を迎えるに当たり、氏子五町合同による神社境内清掃の日に合わせて例大祭と宮入り式の打ち合わせ会議を行っています。このような会議が神社で行われているのはおそらく岸和田市内では当社だけだと思うのですが、これは私が宮司就任の年に提案させて戴いて始めたことで今年で十回目となりました。私が宮司に就任してちょうど二巡目の最後の町ということになります。
その時も申し上げましたが、矢代寸神社の地車の宮入りは十月祭礼の中でも最も注目されている宮入りではないかと思います。それは祭り前の挨拶でも書きましたが、当社の歴史と伝統がそこに現れているからではないかと感じています。
江戸時代までほとんどの地域では一つの村に一社の産土神を祀るのがふつうでした。矢代寸神社の現在の氏子である五町(村)でもそうでしたが、この地域では一村に一社の産土神を祀ると同時に矢代寸神社を郷の惣社として五つの村で宮座を構成して祀り守ってきました。矢代寸神社が現在も「一の宮」と呼ばれているのはそのためです。自分の村のことだけでなく、地域全体の共存共栄を祈ってきた神社の祭祀の伝統が地車の宮入りの力強さを生んでいると感じます。
そして当番町によってお神輿が担がれ、お旅所まで渡御神事が行われます。以前までお神輿を担ぐ時も当番町は自町の地車を曳くはっぴで担いでいましたが、平成十九年の御鎮座千五百年祭を機にお神輿を担ぐ時の神社のはっぴを作りました。各町の伝統と誇りを大切にしながら同時に地域が一つであるという神社と地域の歴史伝統への感謝の気持ちをこめて五年に一度の当番の年は氏子としての心を新たに神社のはっぴを着てお神輿を担ぐことは素晴らしいことではないかと感じます。
今年の十月祭礼を特集した岸和田市広報にお神輿を担ぐ三社の様子が写真で紹介されていましたが、他の二社(積川神社 山直神社)はお神輿を担ぐための白い装束を着ておられる様子が写っていましたので、当社も地車のはっぴでない神社のはっぴで担ぐようにしてよかったと感じました。
今年お神輿を担いだ当番町は神須屋町でしたが、ちょうどお神輿のお旅所となる諏訪神社跡は神須屋町にあります。ここにかつて矢代寸神社下社とも呼ばれた諏訪神社がありました。八田町の現在の矢代寸神社とこの諏訪神社の二座の神社をもって矢代寸神社と総称されていたのです。この諏訪神社は明治四十一年に八田町の矢代寸神社に合祀され、その跡地が現在例大祭の折のお神輿のお旅所となっているのです。
今年当番町である神須屋町には諏訪神社だけでなく同じく矢代寸神社に合祀された現在も祠が残されている天神山荘園内の天神社や町内にいくつか神様を祭っているところが見られます。また矢代寸神社のお祭りに参拝する際上字の村(八田、真上、神須屋)と下字の村(極楽寺、流木)の氏子が行き合った場所が神須屋町の行遇堂だと言われています。このように神須屋町は矢代寸神社の祭祀を行う上で重要な村であったことがわかります。神と地名についていることからも神祭を行う場所だったと考えられます。
もともと矢代寸神社は付近を開拓した波多氏が祖神である波多八代宿禰をお祀りしたのが始まりと見られます。日本書紀に記載されている捕鳥部萬公は難波の地より奥さんの実家である波多氏のいるこの有真香邑に追われてきて自害して果てています。現在もその墓と伝わる大山大塚古墳が天神山町に 隣接する神須屋町にその犬塚が残っています。おそらく天神山一帯がもともと付近を開拓した氏族の御霊が眠る場所であって、その方を向いて矢代寸神社も建てられています。
毎年萬公の命日である旧九月二十六日になると萬公のお墓を代々に亘って守ってこられた塚元家において萬公を偲んで縁のある人が集まる慣わしがあります。現在は命日に近い日曜日に開かれていますが、当日の朝私は萬公のお墓の前で墓前祭を勤めさせて戴いています。
一方犬塚の方は神須屋地にあり、個人の所有地となっていますが、神須屋にも関連した伝説として平成二十年に新調された神須屋町の地車に伝説に因んだ彫物が見られます。
その犬塚に近い場所に最近若い夫婦が家を建てられるのに地鎮祭をさせて戴きましたが、地鎮祭を始める前に少し時間がありましたので萬公と義犬にまつわる伝説についてお話をさせて戴きました。ご存知なかったようで、「すごい場所なんですね。」と言われました。ちょうど矢代寸神社の正面を望む場所でもありましたが、時間というものはただ流れ去るものでなく、歴史となって地域に積み重なり、その地に住む人々を見守ってくださるものだと感じます。地域の歴史に見守られながらこの地で新しい生活を始める若い夫婦に幸あれと祈りました。
地域の歴史の礎を築かれた先人の御霊が眠る場所に向かって神社が建てられており、お祭りには意図したわけではないかも知れませんが、地車もまずその方向に向かって入ってきて、そして本殿に向けて留められます。氏神様に守られ、悠久の歴史に見守られている地域の感謝と誇りの気持ちが込められた一年に一度の例大祭と祭礼を今後も大切に心をこめて執り行い次代に伝えていくことが現代に生きる私達の責務だと感じます。
なお毎年宮入りの際やりまわしをして参道に入る直前各町青年団がクラッカーをならすなどしてセレモニーみたいなことをされていますが、大切な神事を行う宮入りの前にそうしたことを行うのには疑問を感じます。誇りある伝統の祭礼を行うためにも来年に向けて一考戴ければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。
(平成25年10月30日 記)
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