ナースな妻のつれづれ日記

今年もぼちぼち更新しますので、よろしくお願いします。

学生時代の思い出

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夏休みの宿題

 職場には看護助手さんからナースを目指して、看護学校に通っている努力家の方がいる。夏休みや週末などはアルバイトに来てくれている。どんな宿題が出ているのかなど、話題になった。

 私が学生のときは、産婦人科系で出た宿題が一番凝っていた。


・地域の母親教室に参加して、レポートを提出。出産の心得を聞いたり、妊婦体操を一緒に受けてきまし
 た。妊婦になっていた中学生時代の恩師と偶然の再会もありました。

・どこかの病院に取材して、出産費用を聞いてくる。私が聞きに行ったのは公立病院で、当時の費用は
 30万円ほどでした。今ではありえなさそうな金額です。

・自分だったらこんな出産がしたい、というレポートを書く。当時は夫立会いで、自宅出産を、なんて
 書い てました。

・マタニティー関係の雑誌を買ってのレポート。何を目的にレポートを書くかは忘れてしまったけど、
 書店でマタニティー雑誌を買うときに、妙に気恥ずかしかったのを覚えてます。


 他の教科からも宿題は出たけど、細かい内容は覚えていない。今でもそんな宿題があったっけ、と思い出せるくらい、インパクトはあったんだと思う。小児・産科系とは縁がなく仕事をしてきたので、残念ながら今の私にはほとんど生かされていないことばかりで、恩師には申し訳ないと思っている。


 宿題じゃないけど、アニサキスを見つけるのに、スーパーに刺身を買い出しに皆で行った、という思い出を持っているドクターもいた。「そういうことしなかった?」と、やってきた研修医に聞いては、ドン引きされてました。「20年も前の話だし、今はそういうことしないだね〜」とそのドクターはしみじみしていた。

 体験重視の課題というのは、何年たっても印象に残る、というお話でした。皆様は今でも覚えているような、インパクトのある課題とかありますか?

ドクターとアトピー

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 学生時代、皮膚科の講義に来てくれたドクターはアトピーだった。

 専門家でも治すのが難しいのだろうか? ストレスフルな業務なのだろうか? アトピーだったから皮膚科医を目指したのだろうか? などなど思ってしまったけど、誰も質問しなかった。というか、出来なかった。

 顔に出てしまうことだから、患者さんの診察とかしててもイメージダウンではないか? おせっかいながら色々想像してしまった私たちだった。

 講義を聴く傍らでこんなことを想像していた不真面目な生徒ですいませんでしたm(_ _)m  

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 化学療法中の子ども部屋で1日遊んで過ごした日の出来事。4〜5才の男の子と女の子の二人部屋
で、女の子(以下Kちゃん)のほうへドクターが採血にやってきた。

 テーブルについて、ドクターが「Kちゃん、血を採りに来たんだけど、いいかな?」と若いドクター
が話しかけた。Kちゃんは黙ってうつむいてしまった。どうするのか少し離れたところで私は見ていた。

 ドクターはそれからずっと黙ってKちゃんのほうを見て、待っていた。数分してからKちゃんが顔を
上げてドクターのほうへ腕を差し出した。『痛くないようにやってね』と言うとドクターは、
「分かった、痛くないようにやるよ」と一発で採血していた。Kちゃんはその間、痛いと声を出すこと
もなく、一人でじっと動かずに頑張っていた。

 小児の穿刺というと、何人かで取り押さえるシーンしか記憶になかったので、それはそれは感動して
しまった。後でKちゃんのお母さんが面会に来たとき、「Kちゃん、頑張っていて偉かったですよ〜。
私も将来頑張らなくちゃ!ってKちゃん見て思いました。」と伝えておいた。

 髪の毛も抜けてしまい、部屋からも出られずにいること、治療のため採血も必要だと4歳の子なりに
理解して頑張っている様子にとても感動したし、励まされた。当時は十分な知識もない学生だったけど、
そんな私に貴重な1日を与えてくれた、小児病棟師長さんには感謝している。

 ナースになった私を支えている思い出の一つでした。

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 看護学生時代、夏休みは毎年母校の大学病院でアルバイトをした。時給もそう悪くなく、勉強にも
なってありがたかった。ある病棟で「学生さんのアルバイト代っていくらくらいなの?」って研修医
から聞かれて教えたら、彼らはポトッと手帳を落として「俺達の時給よりいいー!」とこぼしていた。
時給換算したら、当時の研修医より安い時給なんてそうないと思うけどさ。

 おかげで中材室や外来、ICUまで手術室以外の場所はほとんど行くことができた。学生のうちに色々
内情を見てしまったので、残る気持ちにはなれず、お世話になりながら申し訳ないとも思っている。

 小児病棟に行ったとき、化学療法中で部屋の外に出られない子の部屋で1日過ごすことがあった。
4歳くらいの男の子と女の子2人がいて、1日遊んで過ごした。一番ウケた遊びが、私が彼らを
オモチャの車に乗せ、室内を走り回ることだった。スピードを出して走り回り、ドアや壁ギリギリで
止まるのが面白くて、キャッキャッと手をたたいては「もっともっと〜!」と喜んで、なかなか私を
解放してくれなかった。

 ヘトヘトとになって、もういい加減にしようよー、と思い、疲れて帰ってきた。子どもの成長に遊び
は重要な役割を果たしている。小児病棟のナースは、病気の治療の他に、子どもの成長・発達を考えて
関わっていかなくてはならないことを、夏休みの後の授業で学んだ。

 当時の小児病棟には常駐の保育士さんもいなくて、遊びの部分はどうしても不足しがちだったから、
部屋から出られないでずっと過ごしているあの子達にとって、私と1日遊んだ日は、とっても貴重
な日だったんだろうなー、と授業を聞きながら思った。それを知ってから小児病棟へアルバイトに
行っていれば、同じ遊ぶにしても、もう少し違った心構えでいけたのに、と反省した。

 小児と産科は学生時代縁がなく過ごしている私の、数少ない小児に関する思い出でした。

植物を育てる

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 学生時代に授業である先生から言われたこと。「将来あなた達は人のお世話をする仕事をするのだから、
その勉強には一番いいのは子供を生んで育てたり、ペットを飼うこと。だけど今のあなた達だとそれは
難しいので(その時点で子供はまず生めないし、自宅通学の子は10人もいなかった)、何か植物を育てて
みなさい。ただ育てるのではなく、言葉をかけたり、手間をかけることで絶対育ち方に違いが出てくるから。」

 そう言われて育てたのが、写真にあるスパティーフィラム。最初に育てたのは10年くらいたったとき、
引越し時の管理が悪くて根腐れしてしまい、今のは2鉢目。時々思い出したように花も咲くし、何より
手間がかからない。恩師の先生の期待に沿うのであれば、もう少し手間のかかるものにすべきだったかも
しれない。

 そういえば小児科の講義に来てくれた女医さんも、「小児を理解するには生んで育てるのが一番手っ
取り早い」って自分の出産・子育て体験も踏まえて言ってたなぁ。

 幸福の木に花が咲いたという juntokikazu先生の記事を読んでいて、思い出した一コマでした。
恩師の言ったことを思い出し、juntokikazu先生も見習って、もう少しマメに世話をしなくては。。。

 書いていて思い出した! 今一番手がかかるのは、うちの旦那じゃん! 適度に褒めたり声をかけ
て世話をして、食事も作らないと、スネたりするし。おだてればそれなりにお手伝いしたり、成長した
りするし。他に育てている植物はハーブやシソなどやはり手がかからないものばかりだけれど、その分
旦那育てを頑張っているわ、と自分に言い訳してみるのだった。

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