ほたるの学校

『折れない心で希望をつなぐ!iPS細胞を発見!山中伸弥物語』重版出来ました

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石川純子さん推薦のご本は、『ある奴隷少女に起こった出来事』(ハリエットアン 大和書房)です。

アメリカでは、古典なんだそうです〜わたしも知らなかった本です。

苛酷な運命を、冷静に受け止めた賢い少女に出会いたいです。差別が根強い時代だったため、偽名を使い自費出版で出版したのですねぜひ、読んでみたいです。

↑クリックしてね♪






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伊丹街歩き5

昨年、伊丹街歩きをして伊丹廃寺などに行ったのですが、今年も伊丹の歴史や文化財の専門家、中畔(なかぐろ)明日香氏にガイドをしていただき、街歩きへ。ありがとうございました。

阪急伊丹駅→大鹿→千僧→博物館→東天神社(ひがしてん)→西天神社→昆陽寺→師直塚をめざして歩きました。

昨年の記事です。

まずは、阪急伊丹駅から出発し、有馬道を歩きます。西国街道との交差地点の大鹿イメージ 2にでると、こういう標識がありました。赤い線の道は、西国街道です。京都の山崎へ向かっています。大名行列も歩いたのですね〜ところが、道幅は結構狭いのです。イメージ 3

←たったこれだけの幅です💦江戸時代の道が一番狭く、古代の道は、まっすぐで広かったそうです。なんと幅25mほどもあったのだそうです。

次は千僧へいきました。
イメージ 12
伊丹博物館を見学しました。↓一番奥の大きな壺はなんと棺桶だそうです。どうやって入れたのかしら???イメージ 4






イメージ 5博物館の前には、行基石がありました。東大寺大仏建立の折、行基さんが念力で六甲山系から飛ばした石が途中でおちたものだそうです。










イメージ 6
↑西国街道は、重要な道なのですね〜イメージ 8↓伊丹にはこのような文学碑が60も建っています。あの百人一首で有名な「ありま山ゐなの笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする」もありますよ〜

←西国街道を歩いていると、道標がありました。イメージ 7「すぐ西宮」と書かれています。これは、すぐ西宮に着きますという意味ではなく、この道をまっすぐ行くと西宮という意味だそうです。↓これは、まっすぐ行くと、宝塚の中山と小浜(こはま)に行けるのですね〜
イメージ 1











東天神社や西天神社にお参りしながらゆっくり歩いて、昆陽寺に着きました。イメージ 9


なぜ昆陽寺というかとうと、小屋がたくさんあったからとか。昆陽寺には、桂米朝師匠のお墓があるそうですよ。イメージ 10


立派な門ですね〜










イメージ 11最後は、師直(もろなお)碑です。足利尊氏の筆頭家臣の高師直(こうのもろなお)は、壮絶な戦いの人生を送ったのですが、兵庫県伊丹市の武庫川の畔で裏切られ殺されたそうです。





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先日、夫と行きました。

NHK大河ドラマの舞台の静岡県へ。。『茶畑のジャヤ』(中川なをみ著)の富士山の描写を読み、一度ゆっくり見たいな〜と思っていました。ありがたいことに今回は一生分見ることができました。神々しいです。
イメージ 1←三保の松原の富士です〜
        
                                            ↓夕陽に映えた赤富士〜イメージ 2








夕陽に映えた青富士↓イメージ 30    















↓朝日に映える桃色の富士山です〜水平線の向うからイメージ 5まばゆい朝日がのぼってきます。イメージ 4
イメージ 6
裾野までくっきり見えました。西の空には、小さな月が。イメージ 7








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参加しました。

創作ゼミチューターの森井弘子先生が講演してくださいました。楽しみ♪イメージ 1

イメージ 2




まず、見せてくださったのは、仙崎湾の美しい朝焼けの映像です〜






大漁
 朝焼小焼だ
 大漁だ
 大羽鰮(おおばいわし)の大漁だ。
 濱は祭りの
 やうだけど
 海の中では
 何萬の
 鰮のとむらひ

 するのだろう。
 
先生の「どうぞ」という声で、聴衆が「大漁」を朗読することから始まりました。やさしい言葉で書かれていますが、目には見えない海の底の世界の現実が目に浮かんできました。

大正ロマン時代、童話雑誌が次々創刊されます。金子みすゞ(1903〜1930)が童話を書きはじめたのは、この頃からです。複雑な家庭の事情の中で精一杯生きたみすゞは、26歳で自ら命を絶ちます。

生前、みすゞは、512編もの詩を3冊の手帳に詩集として綴り、自ら巻末手記まで書いています。この手帳は、弟に託され、矢崎節夫氏に発見されるまで、長い間、眠っていました。

金子みすゞの詩は、かわいくて明るい〜でも、それだけでなく私たちが見えないもの見せてくれる詩なのですね〜、心あたたまる有意義な時間をありがとうございました。ぜひ子どもたちと楽しみたいです〜

講演後、創作ゼミの仲間と荒本駅近くの「ほうみん」でランチをしました。森井先生に教えて頂いたチャイニーズレストランです〜イメージ 3









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魔女を作りました〜保育園の作品展は、『ヘンデルとグレーテル』です。
お菓子のお家です〜↓
イメージ 10→
イメージ 20ほぼ等身大ほど大きい魔女です。こわい魔女ですね〜たっくん、隠れています。「茶色い杖を持っているね」と申しましたら、「これは、ホウキ」とたっくん。そう、魔女にはホウキでしたね!紫の絵は遠足でみた東大寺の大仏です〜




                                         ↑魔女のとなりの紫の紙に書いているのは、遠足で行った東大寺の大仏です。奈良公園の鹿も書きましたイメージ 3

鹿とバトルになったそうです。楽しい遠足だったみたい、みな、バンザイしていますもの〜真中にいるのが、たっくんだそうです〜

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