ほたるの学校

『折れない心で希望をつなぐ!iPS細胞を発見!山中伸弥物語』3刷出来ました

無題

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全665ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

読みました。

コンピューターに関して「サーバーダウン」とか、「サーバーエラー」などというニュースが流れることがあります。

私のイメージでは、機械の問題しか浮かびませんでした。

ところが、この小説を読むと、エラーを修復する人間たちの思いにふれることができます。機械の問題だけでなく、なんと、多くの人間がコンピューターの向う側で働いていることだろうか、と知ることができました。

知ったからといって、どうなるものではないのですが💦

そういえば、お知り合いの息子さんも、東京でこういう生活をがんばっておられるようです。

主人公は、「ビットコイン」を掘るという仕事をあてがわれた中本哲史。

もちろん実際に掘るのではなく、使っていない10台のPCを稼働させ、作業をすることで小遣い稼ぎをさせるというものです。

他の登場人物は、小説家をめざして挫折し、鬱病を患った男、ニムロッドこと荷室仁。彼からは「ダメな飛行機コレクション」なるメールも届きます。

外資系証券会社勤務の恋人は、離婚・中絶のトラウマを抱えています。

完璧を求める人間たち。進歩しすぎた人間たち。何か大事なものを失っていっているのではないでしょうか?

愚かな人間を包み込む優しい主人公には、救われる思いがしました。こういう人が生きにくい世の中になってほしくないです。現代・未来社会の現実を問いかけた小説です




この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

入試シーズンです。

悲喜こもごものニュースが飛び込む時期です。
4日前、携帯に甥からの着信履歴があることに昨日、気づきました。すぐ電話しましたが、出ません。するとメールが届き、甥の長女が「直接電話したい」とのことです。
10時頃、携帯に甥から「まだ塾から帰らないので明日、電話する」と。
朝、電話を待っていると長女から「国立第一志望校にAO入試で合格した」と。嬉しかったです。姉もきっと喜んでいることでしょう。今夜は一緒に乾杯
姉を失ったのは、甥が大学生の時です。一体どうなってしまうのかと思うほど、甥は悲しみました。今、思い出しても泣けます。その後、甥からは結婚、赤ちゃん誕生、名前をつける時の相談など折々に電話をもらっています。

長女は思わぬ早産で、長く保育器に入っていました。
「突然お産が始まったあの時はいったいどうなるかと、本当にこわかった」と甥はいっていました。お祝いに行った時は、小さな小さな赤ちゃんが保育器で懸命に生きようとがんばっていました。
医療の力に感謝です。
後に甥の家に行くと、玄関に「保育器に入った長女」の大きな写真がかけてありました。まさに「命」そのものの姿です。
長女は子どもの頃から医療に従事したいと言っていました。AO入試とは、その道に進む熱意を書くそうです。長女の熱意が本物だと通じたのですね。

センター試験2日目は寒い日でした。朝、駅に向かう長女は、自転車でこけて立看に頭をぶつけて赤いたんこぶができたと甥から聞いていました。早く行ってたので、電車に乗り遅れたけれど、試験に間に合ったそうです。

勉強大好きな彼女。受験が終わったのに、皆と一緒に勉強するのが楽しくまだ塾に通ってるそう💦

桜咲く春が楽しみですおめでとうございます〜






この記事に

開く コメント(2)[NEW]

開く トラックバック(0)

イメージ 4この建物は、大正10(1921)年、三井物産門司支店で、接客などのために建築されました。

まずは、1階ホールです。
イメージ 1
落ち着いたアンテォ―クの椅子ですね。肩が張ったデザインです。
イメージ 2大正11(1922)年、改造社の招待でアインシュタイン博士は日本を訪れました。
メモリアルホールはお写真OKでした。
倶楽部の2階は宿泊できるよう個室がたくさんありましたよ。








イメージ 3
←こちらが、アインシュタインが宿泊した部屋のリビングです。奥がベッドルームになっています♪

アインシュタイン博士の自筆の書類がのこされていました。
イメージ 5
金谷ホテルの便箋が使われていますね美しい字です。タイプで書かれたお礼状も展示されていましたよ。
奥の林芙美子の部屋は、お写真はNGでしたよ。

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

先日、門司港レトロに

行きました。
北九州市門司港あたりは、明治から大正時代のレトロな街並みが続いています。

まずは、「跳ね橋」が上がるのを見ました。
イメージ 1イメージ 2 
















ガイドさんのお話では、対岸は山口県の下関です。関門橋の左端の下あたりに黄色い屋根の建物が見えました。

ガイドさんによりますと、伊藤博文、李鴻章などの日清戦争講話条約締結の場所となった春帆楼がうっすら見え。歴史の舞台の場にいることに感動しました。
その後、JR門司駅へイメージ 3

昔の改札も保存されていました〜↓















中央が木造の改札です。駅員さんが隣に立ち、一枚一枚切符を切ってくれたのですね。イメージ 4
ゆっくり歩いて、旧門司三井倶楽部に行きました。
イメージ 5イメージ 6内部の様子は、明日、アップしますね。0      

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

地域の読書会でご紹介しました。

アメリカ・南カルフォルニア大学の学生が半年間、パリの貴族の邸宅で暮らすことになります。

そのシックな暮らしぶりに、人生を変えるほどの影響を受けた女子大生。その体験を本にまとめられました。

おもしろかったのは、最初、貴族の邸宅というので、どんなにゴージャスかと期待していったものの、地味な家具だったことに驚いたのだそう。しkし、よく見ると、年代物のいい家具を大事に使用されていることに気づきます。

この読書会には、パリ出身、日本人と結婚された方が参加されていて、その方のお話を聞きたくて。選びました。

その方は、流暢な日本語を話され、江戸の文化に興味を持っておられるので、日本人の「粋」についてのお考えも伺いたいと思いました。

この本に「自分が本当に気にいった上質なものを少し持ち、大切に使う」と書かれていることを言うと、「そうそう、この服は、もう20年着ています」と。かんじのいいカーディガンに、さりげなくサファイアのネックレスが。

いつも図書室の司書さんが、紙コップでお茶を出してくださるのですが、マイコップをご持参されます。

「お鍋も、お母さんがそのお母さんからもらったものを今、わたしが現在も使っていますよ。食事も大皿に盛り、いるぶんだけ自分の皿に取り、それはすべて食べきる。そして、残ったら、翌日のスープに使うの。娘たちも、私と同じやり方です。食べ物にまったく無駄もないのですよ。時間をかけてゆっくりおしゃべりしながら2時間くらいかけて食事するので、日本人の夫は最初のころは早くひきあげたくてソワソワしていましたよ」と。

やはり、いいものを長く大事に使う。無駄をしないという国民性なんですね。

他の方からも質問が出て文化の違いを実感しました。

「今は機械に使われている気がします。昔はもっと豊かだった。お母さんに『お砂糖、買ってき』と言われて買いにいくと、お店の人が飴をくれ、話しかけてくれるのがうれしかった」と。

「道行く人も『ボンジュール』と言いあっていたが、今は、お互いが警戒しあっている」と。

粋については、特にお話されませんでしたが、江戸での生活は究極のエコ生活。古着や長屋のコンパクトな生活、鍋一つでの生活など捨てるもののない日常生活を楽しむなど、少し似通っている点があるような……。

文化の違いを乗り越え、お互いを認め、理解しあっていくためにも、このような本を読みたいなと思いました。


この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

全665ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事