ほたるの学校

『折れない心で希望をつなぐ!iPS細胞を発見!山中伸弥物語』3刷出来ました

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「幸せ」とは?

先日、テレビ「ホンマでっか!」を見ていたら、ある先生が、「日本人は、子どもに『大きくなったら、何になりたいの?』とばかり尋ねるのは、おかしい」という主張がありました。

「大きくなったら、どんな人になりたいの?」という質問がないのが、問題だとおっしゃっていました。

たとえば、「明るい人になりたい」とか「前向きな人になりたい」とか、どんな人間になりたいのかと考える教育が今の日本には、足りないのではないかというのです。

そのため、日本人は挫折に弱いと。受験に失敗すると、なかなか立ちあがれないというのです。

わたしも同感です。

日本人は、社会正義が守られる世の中を作るとか、寄附をする喜びが幸せにつながるという感覚が育ちにくい教育の中にいるのかな???

そう考えると、他人と自分を比べるのではなく、自分自身の問題として「幸せ」とは何なのか、秋の夜長に考えてみたくなります。




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見学しました。↓この方の代に最も栄えたそうです。
イメージ 1北前船は、江戸時代末から明治時代にかけ、敦賀や小浜などから東北、北海道へ商品を流通させた船です。


一年に一度、春に布や甕、石などをのせ出航します。商品を、売りさばきながら、また各地で仕入れた品を商うのだそうです。

11月には北海道のニシンや昆布を仕入れて敦賀に帰ります。その儲けは船一艘につき、今のお金で一億円にものぼったそうです。
イメージ 2
風と櫓による航海でした。↑
海に敬意を表して、海を臨む場所に家が建てられました。こちらは、母屋から海を見ています。

イメージ 3
家の内に、駕籠が。能登の輪島の時国家から、この駕籠にのって、お嫁さんが来られたそうです。↓イメージ 4
















しかし、北前船にも陰りが見えます。理由は二つあります。一つは船頭や船主だけが握っていた売買情報が全国に流れるようになったためです。もうひとつは、鉄道の発達です。
そこで、右近家では、海運業に手を出し沈没の損害を補償する保険業も始められます。現在の損保ジャパンの創業者の一端を担われるのです。不況の折には、庶民に仕事を与えるため、豪華な西洋館をたてられました。イメージ 5イメージ 60
ハイカラですね〜👏💞

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『あん』に登場する国立ハンセン病資料館の写真です。↓昔、病を得たことで、故郷を追われ、見知らぬ街をさまよい歩いた人達がいたのです。その霊を慰めるように、ひっそりと立つ親子の像です。友人がお写真を送ってくださいました。ありがとうございました。イメージ 1当時、ハンセン病と診断されると、本人は療養所に入らなくてはならず、2度と親元には戻れなかったのです。たとえ治っても外にでられなかったからです。「らい予防法」のためです。「らい予防法」が廃止されたのは、なんと1996年のことです。時すでに遅し。法律とは、恐ろしいものです。治っていても、外に出られなかったら、そこは、収容所と同じです。法律は人権をふみにじることもあるのですね。

イメージ 2
医学の進歩を願います。イメージ 3
偏見で人生を失う人がいませんように。

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敦賀港の地図右に赤レンガ倉庫があります。一番右端上にユダヤ人上陸地点あたりには、現在、敦賀ムゼウムがあります。その北の敦賀港駅のあったところに、敦賀鉄道資料館がありました。
イメージ 1
左端の大和田銀行は、俳優の大和田伸也さん、獏さんのご先祖さまが作られたそうです。大和田家は地元に尽くした有名な家なのですね〜赤レンガ倉庫は、北前船で購入した北海道のコンブを収納していたそうです。イメージ 2レンガ造りにしたのは、匂いがしみつかないからです。現在、赤レンガ倉庫は、カフェやレストランが入っています。

「生け簀の甲羅」さんで新鮮な海鮮丼を頂きました〜
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その後、敦賀港のジオラマを見学しました。イメージ 4
。↑ちょっと昔の敦賀港です〜昭和の雰囲気

その後、敦賀鉄道資料館(旧敦賀港駅舎)へ♪イメージ 5 シャベルに国鉄の冬コート、浅田次郎さんの『鉄道員(ぽっぽや)』を思いだしました。

敦賀は、大陸に開かれた玄関口だったことから、明治2(1869)年、京都ー敦賀間に鉄道を敷設することが決定され、明治15(1882)年、日本初の日本海側初の線路が敷かれました。

明治45(1912)年、欧亜国際列車連絡列車の運行が決まり、東京―金崎(敦賀)間を直通列車が走り、敦賀港から連絡船でウラジオストックへ。そこからシベリア鉄道でパリまで行くという路線が確立されました。

国際都市、敦賀です〜

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奈良公園の秋♪

先日の奈良公園、観光客がたくさんいらっしゃいました。

イメージ 1正倉院展に並ぶ人達の列です〜💦

イメージ 2向いの池では、鹿たちがノンビリ水遊び〜




















鴎外の門↓です〜森鴎外は帝室博物館の総長に任命されます。大正7年〜10年まで、毎年正倉院宝庫の開封に立ちあうため、奈良に来ていました。滞在中の宿舎の門だけが残っています。鹿さんものんびり日なたぼっこをしています〜
イメージ 3

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