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昨日から,行きつけの(飲み屋みたいな言い方ですね!爆)bluekkuunさんのブログで 親子関係についてのコメントがたくさん寄せられていましたので,うちの親子関係に ついて,私もちょっと書いてみようと思いました. うちは,ハッキリ言って貧乏です.私は子どもの頃から,お小遣いを1度ももらった事 が無かったですし,可愛い洋服もおもちゃも,買ってもらったことがほとんどありま せんでした.父は父なりに一生懸命働いてくれていたんだと思いますが,すぐ下の弟が 病気がちだったのと,9歳下にもう1人弟が生まれたことで,家計の余裕がほとんど無く, おやつを食べさせてもらったり,外食をさせてもらった記憶もほとんどありません. 高校までは,普段出かけるのも全部制服だけで通しました.親戚の結婚式も葬式も, 土日に友達の家に遊びに行く時も,全部制服でした.母は「学生なんだから制服が あれば,それ以外の服は要らないはず!」と言っていました.なので,今でも私は 洋服は夏冬合わせて10着くらいしか持っていません. そんな貧しい家庭でしたが,母が絶対に欠かさず,ケチらなかったのは,私たちの 教育費(ノートや鉛筆,参考書)と,神棚の榊,そして先祖供養のお線香でした. (ただし,うちの母は宗教は嫌いで完全な無宗教です.神様は信じているそうですが) 母は,思いっきり独裁者で,家族はみんな,影で「マリーアントワネット」と呼んで 恐れていました.とにかく気性が激しく,荒れると大騒ぎになって大変なので,兄弟 全員が母の逆鱗に触れぬように,慎重に,大人しく,静かにそっと生きていたように 思います.大声で泣き叫ぶような事もよくありましたが,母が我を失っているのは, 子ども心によく分かっていたので,母の癇癪が治まるまで,じっと嵐の過ぎ去るのを 待っていました.母も色々と辛い事が多かったんだろうと思います. 私は,母の最初の子ですが,生まれる直前まで母は悪阻で水を飲んでも吐いてしまう 状態で,出産時には体重が35kgにまでなっていたそうです.そしてようやく 生まれて何週間かで,私は「水頭症」と診断されて,すぐに入院させられました. 乳幼児の並ぶ病院のベッドで,私の周りの赤ちゃんは,どんどん亡くなっていき, 母はあの時ばかりはもうダメかと観念したと言っていました.けれど,私は誤診で 三日麻疹だったそうで,その後すぐに退院できました. それ以降も,私には吃音があったり,場面緘黙症だったり,すぐ下の弟も色々と 病気があって,病院に行かない日は無かったくらい忙しかったと言っていました. お医者さんに私が発達障害を疑われた時も,弟の命が危ないと言われた時も,母は 「そんなはずは無い!医者がそんな弱気でどうする?子どもは一生懸命に生きよう としているのに,それを命がけで助けなくてどうする?それでも医者か?」と食って 掛かったそうです(汗) ものすごく負けず嫌いで気の強い母は,よく「うちは貧乏だけれど,あなたたちは 私の子だから絶対に賢いはず.お金は使えば無くなってしまうだけだけれど,頭は 使えば使うほど良くなる.お金を他人の役に立てようと思っても,限りがあるけど, 頭を他人の役に立てようと思えば限りは無い.だからうちはすごく恵まれている!」 と豪語していました(苦笑).私たち兄弟が賢いかどうかは全くの謎ですが(汗) 貧乏には負けたくないという母の気持ちは,その言葉からすごく伝わってきました. 父に関しては,ほとんど思い出がありません.母が「家は母子家庭」と嫌味を言う くらい,父の姿を見たことがありませんでした.朝は6時前に仕事に出かけ,夜は深夜 毎晩酔って帰ってきていた(接待だったそうです)のですが,私たちは夜9時には寝か されていたので,顔を見る機会がほとんどありませんでした.土日も接待で家にいた事 はありませんでした.私にとって,父は「どこかの知らないオジサン」のような存在で 何かの機会で会うと,無口だし,笑わないし,凄く怖い他人でしかありませんでした. 母は,父には鬱傾向があって,精神的にも弱いので,刺激してはいけないとよく言って いました. うちの父は,母と結婚する前に(お見合いです),1度結婚していました.結婚して 1年経たないうちに,その奥さんは若い男と逃げてしまったそうです.その後父は,親戚 の勧めで母とお見合いして再婚したのですが,式を挙げても,子どもを身篭っても(私) 母を完全に信用することが出来ず,私が生まれる直前まで,母を入籍していなかったそう です(これは母も最近まで知らなかったと言ってました).入籍していなかったことを 気付かずにいた母も随分のんきですが,父が何を考えていたのかは,未だに謎です??? 母も,普段は無口で大人しい父が,触れられたくない核心の部分に触れると何が起こるか わからないので,その事を責めたり理由を聞いたりしていないそうです. 母の母親(私の祖母)は,母が中学の時に亡くなっていたので,母は学校に通いながら 妹たちを育てたそうです(3人姉妹の長女).母は勉強が大好きで,本当は学者になりた かったそうですが,そんな事情で高校までしか進学できず,すごく悔しかったと言って いました. そのせいか,母が私たちに小さい頃から言っていたのは「親が子どもに与えてあげられる のは,勉強する機会と,感謝の心を教えることだけだ.その事に私は命を懸ける.」 ということでした.その言葉の通りに,私たちは小学校低学年から母のスパルタ教育で, 毎日毎日,学校から帰ってからの数時間,土日丸々を勉強で過ごしていました. とはいえ,習い事や学習塾に行けるお金は無かったので,全部母が教えてくれました. 手に竹の30cm定規を持って,間違うとピシピシ手を叩かれました.当時はただ怖いだけで, なんとか手を叩かれないように頑張ろうと思っていましたが,ある時,高校生になってまで 母が学科の全ての勉強を教えることが出来るのはなぜなんだろうと不思議に思いました. それで,夜中に母が私たちの教科書を1人で読みながら,毎晩,自分自身が勉強していた のをこっそり見てしまい,この人がここまでやってくれるなら,私も真剣に勉強しなけ れば本当に罰が当ると心の底から思いました. 私がもう1つ,母にすごく感謝しているのは,毎日神棚(紙の箱に神社のお札を立てたもの) と,ご先祖様にお線香をあげて感謝するよう,物心ついた頃からずっと習慣付けてくれた ことでした. 私たちが朝起きると,母は顔を洗ってからすぐに神棚に手を合わせて「今日も生きて目が 覚めました.ありがとうございます.」と言わせ,その後茶箪笥の上に置いたお線香立てに お線香をあげて,大きな声で「お母さん,生んでくれてありがとうございます.お父さん 養ってくれてありがとうございます.ご先祖様,命を繋いでくれてありがとうございます. 今日も一日,皆さんに恥じないように,一生懸命生かしていただきます.」と言わされました. それを言わないと朝ごはんを食べさせてもらえないので,私たちは必死に大声で言いました が,正直,「なんか軍隊みたいに強制的だな〜」とちょっと不満に思ったこともありました. ご飯を食べる時も「お百姓さん,ご飯を作ってくれてありがとうございます.酪農家さん 家畜を育ててくれてありがとうございます.」と言わないと食べさせてもらえませんでした. 母が言うには,「あなたが今,やる事には目に見えないたくさんの人が関わっている. その誰1人がいなくても,あなたは同じ事をすることができない.それを感謝することすら できなくて,どうして平然と生きられるのか?」ということでした. 母は強引な人ですが,この言葉は「真実」じゃないかと思っています. 今,私が生きているのは,私一人の力ではありません.母が産んでくれ,父が養ってくれ, 私の知らないところでも,多くの人が私が今日,生きることを支えてくれているのだと, そう思っています.お互いに知らなくても,人は助け合って生きているのだと思います. 母の指導の下,大学受験に臨みましたが,第一志望だった国立大学は落ちてしまいました. 今通っている大学は,母が若い頃憧れていた東京のミッション系の大学で,記念受験の つもりで受けたところです.私立の大学なんて通うお金が無いだろうし,ましてや東京に 下宿なんて出来るはずが無いと,大学進学自体を諦めようと思っていたのですが,母が 何も言わず,貯金通帳を出してきてくれて,「kちゃん,行きなさい.お母さんの分まで 思いっきり勉強して,世の中の役に立てる人になってちょうだい.今まであなたが受けた 御恩を,社会にしっかり返せるように,命がけで勉強しなさい.」と言ってくれました. 上の弟の体が弱く,入退院を繰り返していたため,その費用で母はものすごく大変だった と思います.どうやって大学の費用を貯金していたくれたのか,本当に謎ですが,よく, 「ダイエット」と言っては,母は食べずに私たちだけが食事をしていたような記憶もあり ます.家族旅行も行った事もなく,子どもの頃には映画も遊園地も動物園も行けなくて, よく,一番下の弟をおぶって,母が付き添っていた弟の入院先の病院のそばの公園に 行っていた事を覚えています.砂場やブランコで末の弟と一緒に「H君(上の弟)が 早く良くなりますように.H君が生きていてくれて,ありがとうございます.」と言い ながら暗くなるまで遊び,晩御飯の時間くらいに病院に行って,母と一緒に家に帰って いました.3人で家に帰るまで,母と一緒に歌を歌ったり,しりとりをしながら歩くのが とても嬉しくて楽しかったです.でも,その場にいないH君にちょっと申し訳なくて, かわいそうで,はしゃいだ気持ちになるのがいけない事のようにも感じていました. この前実家に帰った時に,これから弟たちも学費が掛かるだろうから,私が卒業したら 頑張って働くからと言ったんですが,母は「うちはあんたなんか当てにしていない! 学者になるには進学しなければいけないはずでしょ?中途半端な子なんかいらない!」 と言われました.学者になりたかったのは母で,私はそこまで大それた事を考えている わけではないのですが,確かに臨床家になるには院を卒業していなければいけないので, 心理学を志した以上は,進学しなければ意味が無いという母の言葉は事実です. 私の母はこんな感じで,完璧じゃないし,優しくて優雅なお母さんとは決して言えない ですが,すごく人間臭くて,必死で生きているんだなぁ,その姿を私たちにありのまま 見せてくれているんだなぁ,と感じています.強がりの母にはきっと,頼る人も甘える 相手も1人もいない(父にも甘えない人なので)ので,何もかも1人で抱え込んでいると 思っていました.だから時々荒れ狂うことで,ストレスを発散していたんじゃないかと 思います.怖かったけど,発散できる人だったからこそ,今日まで大きな病気もせずに 1人で問題の多い3人の子ども(1番下はあまり問題が無かった)を抱えてやって来れた んだろうなぁと思うと,母が泣き叫んで発散してくれて良かったのかもしれません. 大学で心理学を学んで,自分の家族の関係,親と子の関係など,色々と気付いたことも
考えたことも,たくさんありました.長くなってしまったので,そのことについては, 別記事にして,また書いてみます.長文を読んで頂いて,ありがとうございました. |

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kltkc1011さん、おはようございます。
いいお母さんですね(*^_^*)お父さんもですが素晴らしい御一家だと思います。
人は自分の事しか見えなくなりがちですがそうじゃないことがkltkc1011さんの記事から伝わってきます。
kltkc1011さんの存在はお母様にとって何者にも代え難い賜物だと思います。
母親(私)は娘に自分の姿を重ねて見るのでお母様の誇らしい気持ちがkltkc1011さんから伝わります。
その人に耐えられないほどの痛みを天は与えられないと言います。
辛いとき私には耐えられる痛みなんだと思うことにしていますその痛みは自分にとっての賜物になると信じられるので・・
kltkc1011さんは私の娘の様な年頃ですが教えられることが数多くあります。
心に染み入る記事をありがとうございました(*^_^*)
2008/10/28(火) 午前 4:06
kltkc1011さん、
途中、読みながら何度も目が潤みました。
kltkc1011さんのお母さん、本当に素晴らしい人です。
私、kltkc1011さんのお母さんの下で門下生となって学びたいです。
益々kltkc1011さんのお母さんが好きになりました。
これから辛いことがあっても、この記事をkltkc1011さんのお母さんを思い出して、私も心を強く持とうと思いました。
ありがとうございました。m(._.)m
2008/10/28(火) 午前 4:13
母子家庭状態はは大変でしたね。でも、お父さんのこと、理解してあげて下さい。10/27「母子家庭」に触れた記事を書きました。
2008/10/28(火) 午前 7:49
kltkc1011さん、こんにちは。
すごいお母さんですね。
やってらっしゃる事言ってらっしゃる事がわたしが子供時代の頃のようだ、よく子供たちがついてきたものだ、と思いながら読ませていただきましたが、子供に教えるため前もって夜中に勉強し、経済的に大変な中進学のための貯蓄をし、生かしてもらっていることに感謝することを教え…人間として大事なことをすごくきちんと子供たちに伝えてらっしゃる。
人として出来の悪い私は恥じ入るばかりです。とてもお母様のような立派な生き方、見事な教育は私にはできません。
kltkc1011さん始め、子供たちがきちんとお母さんを受け止めているのも、根底にすごい愛情があるということを分かっておられるからですね。
『お母さん語録』を作って毎朝声に出して読みたいくらいです。
2008/10/28(火) 午前 11:05
すばらしいお母さんですねー。まねしようと思ってもできそうにいないです・・。
そんなすばらしいお母さんに育てられたら、kltkc1011さんは、すばらしい人になってるんでしょうね。
私も、母を尊敬していますが、kltkc1011さんは、どんな風に親孝行していますか?私は、いつも悩んでいます。
いい母を持つと、どうやってお返ししたらいいか悩んでしまいますね。
2008/10/28(火) 午前 11:44 [ usa**za ]
kltkc1011さん、はじめてコメントさせていただきます。トモコと言います。この何日か、いろいろ考えさせられることが多いです。
別のブログでまなかりさんにレスをいただいたときにも同じ感触があったのですが、kltkc1011さんのお書きになった記事を読んで、全く重ならないまでも、年代も違い、異なる場所で育ったかたたちと共感できる部分が多くある事実をすごく心強く感じています。
うちの母もよく、お金は使ったら減るけれど、蓄えた知識や教養は決して減らない、と言っていました。やはり、kltkc1011さんのお母様と同じように教育には手を抜かなかったほうだと思います。顔むけできなかったはずの実家に頭を下げて教育費も工面してくれ、充分以上の教育を受けさせてもらいました。いま好き勝手に自分の人生の道筋を選べる力を与えてくれたのは母だと、とても感謝しています。
2008/10/29(水) 午前 0:03 [ トモコ ]
kltkc1011さんは心理学専攻でいらっしゃるのですね?東京のミッション系の私立で心理学が強いところというと、セントポールズ(でわかるかな、あはは)でしょうか。わたしは、大学をでてから少し社会に出て、そのあとまた大学に戻りました。修論を書くときに関連領域について多少の必要があり、あの大学の心理学の資料室に随分お世話になりました。ジャーナルがものすごく揃っているんです。司書のかたもものすごく協力的で親切だったのを覚えています。
進学は焦らなくてもいいかもしれません。職歴をつけてから大学に戻るのでも遅くないですよ。文系は進学してしまうと後戻りできず、なかなかに就職が難しかったりする場合がありますから。信頼できる教員に相談してみてくださいね。卒論が無事に仕上がりますように。 トモコ
2008/10/29(水) 午前 0:04 [ トモコ ]
はじめまして(^-^)
読んで凄いな〜、すごいお母さんだな〜と感心しました。
人をうらやむことなく、自分に出来ることを見極め
子育てする、凄いです。
私もそこまでは出来なくても人をうらやむことなく
我が子を責任もって育てたいと思いました。
2008/11/17(月) 午後 1:46