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あまりにも危険すぎる原発は、本当に必要なのか?
今日も、2度続けて、
福島県浜通りで地震がありました。
最近、かなりの頻度で「地震」が起きています。

これは
「東日本大震災  直前の地震」と同じ揺れ方のように感じます。

そして、
あの巨大地震を体験した私たちは、
どうしても比較してしまいます。
余震が続く中で、
私たちは「揺れ」というものに慣れてしまいました。

東日本大震災の直前も、
このような小規模の地震が何度もありました。
ですから、私たちは、
「またか」というような気持ちで、
夜中に地震が起きても、TVすらつけなくなっていました。

北海道胆振東部地震で分かったことは、
「このような大規模な地震が、日本全国で起こっても決して不思議ではない」
ということでした。
これは、地質学者や地震の専門家たちのコメントです。

常に、最低「1週間分」の水と食料を、
家族の人数分、用意しておく必要があります。

それから、
巨大地震が起きたとき、
もしも「原発の近くに住んでいる方」は、
すぐに100キロ以上離れた所へ移動することをお勧めします。

一定の時間が経つと、
非情な「ベント作業」が行われます。
福島の原発事故の場合は
「翌日」の午前中にベント作業が行われました。

ベント作業とは、
一時的に高濃度の放射能を、原子炉建屋から空気中に放つことを言います。
あの時は、突然の放送だったので、
みな逃げようとしましたたが、
大渋滞に巻き込まれて立ち往生していました。
高濃度放射能の中でです。

日本政府の発表は、現実とは全く違います。

こればかりは、
実際に経験しないと分からないかもしれません。
でも、それからでは遅すぎます。

世界的に「原発事故」が起こった場合は、
最低80キロ以上の避難が、軍によって容赦なく行われます。

3.11の時、
アメリカの大型船が岩手県と福島県の沖合にいたそうです。
福島沖にいた大型船は、すぐに福島原発へ、
ヘリを向かわせました。

その直後、船内にアラームが鳴り響きました。
放射能探知機が作動したのです。

ヘリはすぐに呼び戻され、
本部からは「90キロ以上」離れるように指令が出ました。
それでも、その船はもう、使い物にならず、
アメリカ兵たちは、ダイレクトに「被爆」しました。
亡くなった方もいらっしゃいます。

日本政府は、アメリカが行った裁判で、
アメリカ兵たちに莫大な慰謝料を支払ったということを、
ニューヨークの友達から聞きました。

当時は有名な話だったようです。

日本の「福島」が受けた避難勧告は、
初めは、3キロ。
そして10キロ。
最後には20キロまでで終わりました。

常識を疑いました。

通常(例外なく)そんな国はありません。

原発の近くに住んでいた国民が、
津波の被害に遭っているのを知りながら、
黙って見殺しにしたのは、
世界的にも、日本政府だけです。













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脳幹梗塞

まさか、
40代で「脳幹梗塞」を発症するとは思ってもみませんでした。

脳幹は、
12種類の脳神経の中の「10種類」を司っています。
8月21日にMRIで見つかってから1月半、
いま、生きていることが不思議なくらいです。

昨年(10月5日)は、東北大学病院の循環器内科で、
心臓カテーテル検査の結果「微小血管狭心症」が見つかりました。
そして、今年は「脳幹梗塞」。
脳幹梗塞は、昏睡状態に陥ると命に関わります。

パソコンでありとあらゆる発症原因を調べてみました。
最初は、心原性(心臓病からくる脳梗塞)を疑っていました。
すると、発症原因の最後のページに、
「原因の一つとして内部被曝が考えられる」と書かれていました。

チェルノブイリ原発事故後に、
「奇妙な脳梗塞」が頻発したという記録があって、
それがヨーロッパの医学界を震撼させたようです。

日本の医師は、真っ先に否定します。
でも、みんな多少なりとも被爆はしています。

この地でも、
心あるドクターはいます。

私が、昨年の夏に右脚を骨折した時に、
市立病院の夜間緊急外来でレントゲンを撮り、
翌日、整形外科クリニックへ行ったら、
「どうして写真をもらってこなかったのか」と聞かれました。
「しなくてもいい被爆を、もう一度することになる」と、
そのドクターは真剣な表情で言いました。

昨年の8ヶ月間に、
私は「元気の塊」みたいな両親を、
次々と突然、失いました。
まだ、若かったのに。

父は、風邪かと思っていたら、
原因不明の肺の病気(特発性肺線維症)を突然「発症」して、
余命宣告がなされ、亡くなりました。

母は、脳梗塞でした。
発症してから20日間、懸命に生きました。

母の脳梗塞は、異常に進行が早いものでした。

私はいま、ゆっくりと確実に、
母と同じような症状が進んでいます。

世界中の医療センターが「日本の病院」を笑い物にしていることを、
日本のドクターたちは、知っているのでしょうか?
「放射能は、身体を細胞レベルで破壊していきます」

日本政府も同様です。

国連で大恥をかいた総理にしても、
各省庁にしても、
犯罪者集団が内閣を立ち上げているような国は、
少なくとも民主国家では例を見ません。

西日本豪雨災害で国民が死んでいる時には、
「自民党のパーティーの真っ最中」
北海道胆振東部地震でも、
初動体制がまったくありませんでした。
というよりも、それ以前の話で、

こんな大惨事を前に「総理」が発した第一声が、
「選挙活動を自粛しなくてはならない」
おまけに、
「最低3日間は、街頭演説もできないと言われた」・・・。

それを見た瞬間、言葉も出ませんでした。

そして「再稼働」の動きを見せている全国の原発ですが、
彼らは、事故が起きたときのことなど、全く考えていません。

産経新聞では、北海道の「泊原発さえ動いていれば、大停電は起きなかった」
と言っていますが、
冗談ではありません。
もしも北海道胆振東部地震で、泊原発が停止していなかったら、
福島と同じことが起こっていたでしょう。
地震の「激しい横揺れ」は、
「原子炉に通じる配管」をことごとくめちゃくちゃにします。

直下型みたいなドンという地震の後に、
延々と続いた激しい「横揺れ」。
こんなことが起きたら、稼働中の原発は、緊急停止できたとしても、
大停電や破損部分を誰が直しにいけるでしょう?
そうなったら、原子炉が入っている建屋には、
もう誰も、近づけないのです。

福島原発に起きた爆発は、チェルノブイリよりも悲惨でした。 

もう、月刊誌『DAYS JAPAN』や、他の出版社が、分厚い特集を出しましたので、
いい加減、政府も東電も「隠蔽」のしようがありませんので、
今だから言います。

7年前、内部被曝検査は、
「子どもたちを最優先にしなければならなかった」ので、
私がホールボディーカウンターを受けたのは、2年後でした。

夫は、学校の命令で、原発事故現場から『3キロ』にある双葉高校に、
フル装備で2〜3回、突入させられました。
地震発生時は『津波』を警戒し、一斉に全校生徒の避難が始まったので、
ラジカセを持って出るのが精一杯だったと言います。
校舎は、今にも崩れそうでした。

しかし、私は思います。
いくら「生徒たちの大切な資料」とはいえ、
原発事故直後の双葉町に「教員たちをバスで送り込む」というのは、
福島県の教育委員会は、何を考えているのでしょう?

夫は、すぐにホールボディーカウンターを受けさせられ、
「セシウム」を内部被曝していました。

私が検査したのは、2年後だったので、
内部被曝というより、外部被曝が酷かったですね。
内部被爆もあったと思います、
私たち夫婦は、避難しませんでした。
生徒たちを置いてはいけません。

私の場合、
ホールボディーカウンターを受ける頃は、あまりにも時間が経ちすぎていました。
ですから、半減期が短い放射性物質は検出のしようがありませんでした。
3.11の頃は、
「放射性ヨウ素の雨」をまともに浴びていましたから仕方がありません。
半減期は、たったの8日。

夏までは、下痢が止まりませんでした。
固形物を食べているのに、水道をひねったような水便しか出ません。

夏には、手脚に「巨大な水疱」が出ました。
原因不明。
消毒した針で潰すしかありませんでした。
痛くはありません。

秋頃、シャンプーしたときに、
「髪の毛」がゴソッと抜け落ちてハゲができました。
残った髪もどんどん抜けますから、
思い切って「丸坊主」にしてウイッグをかぶっていました。
友達(女性)の頭は、バーコードみたいでした。(私よりも酷かった)
それでも私たちは「ズラ友」と言い合って悲観はしていませんでした。
忙しくて、そんな気持ちにさえなれませんでした。

まるで井伏鱒二の「黒い雨」のようです。

秋の終わり頃には、
なぜか「歯」もポロリポロリと落ち始めたり、どんどん削れていきました。
最後に残ったのは、セラミックスで覆っていた3本だけでした。

歯は全滅し、40代で入れ歯になっています。
下の歯は、不安定な根元(3本)だけを残して巨大なブリッジになっています。

40代で「微小血管狭心症」と「脳幹梗塞」を発症するとは、
想像もしませんでした。

最近の症状は、

簡単な言葉が出てきません(軽い失語症)
右側が不安定で、よくズッコケます。
ベートーヴェンのソナタが弾けない日があります。
(せっかくスタンウェイのグランドピアノを買ったのに!)
ボーッとしています。
焦点の合っていない時が多くなりました。
失語症になってから、
あんなにおしゃべりだった私が、だんまりしています。
日中も、もの凄い勢いで眠っています。
ナルコレプシーとは、まったく質の違う睡魔です。
私は、ナルコレプシーも発症していましたので
「睡眠の度合い」があまりにも違うことに気づきました。
しかし初めは「睡眠発作」かと思っていたので、
モディオダールという覚醒薬(劇薬)を追加して飲んでいましたが、
飲んだ3分後には眠っていました。

なぜ、こんなに、病気を発症していくのでしょう?
●超低血圧の「高血圧症」
●副腎・・アルドステロン症(レニンも一緒に上がってる)・・(昇圧物質)
●ナルコレプシー(睡眠障害)
●高度徐脈
●微小血管狭心症
●脳幹梗塞

高濃度の放射能を浴びると、体中の細胞が崩れていったり、異変を起こします。
これは、海外では「常識」です。

日本だけです。
「笑っていれば、放射能は寄ってこない」なんて馬鹿げたことを
大学教授が言っているのは・・。

脳幹は「睡眠と覚醒」の大元です。
私は、睡眠薬を飲んでも眠れなくなりました。

それで、
ブログを書いてみようと思いました。

インドネシア(フィリピン海プレート)で、
また大地震が起こりました。

もう、原発を稼働させてはいけません。
日本に大地震が起こった時、この国が全滅してしまいます。

「原発」だけは、事故が起こったときに、
動植物全体に影響を及ぼすので、避けてほしいと思います。

「冷温停止」の状態にしていても、危ないのです。


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北海道胆振東部地震で、
泊原発が緊急停止したのは、不幸中の幸いだった。
もし、津波が来ていたら、
また、阿鼻叫喚の地獄が再現される。

7年前、
3月11日の2時46分、
東日本大震災が起こった。
福島原発が津波にのまれ、
その後、次々に爆発した。

あの津波の惨状で、
海沿いに住んでいる方々が、必死に助けを求めている間に、
非情にも「避難指示」が下った。

誰も、近づけなかった。
近づこうとすると、警官たちに止められた。
どこからも入れなかった。
どんな小さな道にも警官が配備されていた。

あんな寒い中で、
冷たい海水を浴びながら、
凍死していった人が何人いたか。
ニュースは、そのことを「一言」も伝えなかった。
だから、全国の方々は、その現実を知らない。

生存している方々が、救援を待っているにもかかわらず、
翌日の午前10時に「ベント作業」が行われた。
高濃度の「放射能」を
国と東電は、大気中に放った。
やむを得ない作業だったとはいえ、
あの時、津波に遭いながらも、
必死に救助を待っていた人々を、
この国は、見殺しにした。

そこには、
私の教え子もいた。

他の地域では、
皆が必死に救命活動をしているというのに、
原発の周辺に住んでいた人々には、救いの手がなかった。

あの時の悔しさだけは、
いまでも決して忘れることができない。

ここまでしても、
まだ、原発再稼働と言うのだろうか。
いい加減に目を覚まさなければならない。

「利権」と「命」と、
いったい、どちらが重いのか?

日本中が大災害に遭遇している中で、
いま、原発を止めなければ「第二の福島」が生まれることは必至。

少なくとも原発は、
火山国・地震国の日本には、リスクが高すぎる。

自分が、
このたった1年間に、
脳梗塞と狭心症を発症して思ったことは、

この7年間で、
私の両親と、
多くの知人たちと、
高校生たちが、
まだ若い年齢で、
心筋梗塞や脳梗塞・突然死という形で、
あっという間に亡くなってしまったことだった。

そして、
30代、40代の若さで闘病生活を送っている人々が
たくさんいることだった。

私は、もう終活をすべて終えた。
大学病院での病理解剖の手続きも終えた。

だから言いたい。
全国的に、40代で脳梗塞を発症する例は少ない。
だが、
ここでは、それが普通のこと。

原発事故以前には、なかった数字だ。
これらの発症率は、厚労省もしくは福島県のホームページで閲覧できる。

気象庁の意見に耳を傾けてほしい。
首都直下型地震と南海トラフ大地震の発生まで、
もうカウントダウンが始まっている。

「起こるだろう」という時期は、
もうとっくに過ぎている。

今後の大震災で予想されることは、
最悪の「レベル」として、
中央地溝帯が動いたら、
日本列島が分断されかねない。

そこに南海トラフが動けば、
西日本は、いまだかつてない災害に見舞われる。
その甚大な被害は、
プレートの境界を考えると日向灘まで及ぶ危険性が高い。
九州は、本当に大丈夫なのだろうか?

大地震(激甚災害)時には、
すべての通信が途絶える可能性が浮上した。
今回の北海道胆振東部地震のブラックアウト現象が全国で起こったら、
流通から何もかもが途絶える。
実質的に、停電が起これば、情報機器は何の役にも立たない。
すべてを「機械任せ」にすると、人間は何もできなくなる。

せめて西日本の原発を止めること。
いまできることは、それくらいしかない。
それでも、大惨事は回避できないかもしれない。

7年経って
冷温停止になったのだから、
もう再稼働をさせてはいけない。

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北海道胆振東部地震の発災から、
まだ2週間も経っていないのに、
ニュースでは、
どうでもいいローカル番組や、
他局では、おちゃらけた番組しか見当たりませんでした。

東日本大震災の時は、やっぱり放射能の問題があったために、
ニュースが果てしなく長引いたのですね。

学校が始まる時期は、ばらついていましたが、
1ヶ月ほどは、動けませんでした。

原発事故現場から「30キロ圏内」の学校は、
他に移らなければなりませんでした。
ここは、25キロですから、
この周辺の学校も、
一時的に、他校に「間借り」しているような状態でした。

津波の犠牲者が、高校の体育館に収容されていました。
波にのまれた行方不明者の数が膨大でした。
ご家族たちは、変わり果てたご遺体たちを、
毎日のように、お一人おひとり確認していました。
葬儀場が「ご葬儀」に追いつかず、
荼毘に付す斎場も、無休で動いていました。

周辺の様子も変わり果てていました。
もはや「街」の状態を保てなくなり、
ほとんどの家族が避難した南相馬市は、
ゴーストタウンでした。

駅前の道路にも、誰もいませんでした。
「死んだ街」という感覚を初めて知りました。

でも、
北海道は、再生が早いのではないかと思います。
仮設住宅が全戸できあがれば、
あとは、復興支援住宅が随時建設されていきます。

復興支援住宅は、入居料が安価です。
まずは、仮設住宅にさえ入居できれば、
落ち着いて、今後のことを考えられるようになります。

そこに至るには、
長い時間がかかります。
東日本大震災後も、みんなそうでした。
しかし、
「時間」は大切です。

ここでは、皆が、
「すべてを振り切って、ゼロから考えよう」としました。
そうしたら、少しずつ気持ちが楽になりました。

今はまだ難しいと思います。
でも、生きてさえいれば、たくさんの支援の手が
みなさまを心身ともに支えてくださるはずです。

ニュースに出なくなっても、
全国の「日本人」は、北海道を忘れていません。

私事ですいません。
昨日から脳梗塞が酷くなってしまったので、
これが、最後の投稿になるかもしれませんが、
何か「大切なこと」を思い出したら、
必ず、また投稿します。

北海道のみなさま、
どうか、未来だけを見つめてください。









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私事ですみません。

昨年、
微小血管狭心症を発症しました。
(東北大学病院 循環器内科 心臓カテーテル検査)

心筋梗塞が、いつ起こるか分かりません。
胸痛は、毎日ありますが、
時々、全身痙攣を伴う発作が起きます。

先月の21日に、
脳梗塞も発症しました。
MRI画像で見ると、脳幹に梗塞部分がありました。

今日は、調子の悪い日で、
ベッドから起き上がれませんでした。

毎日、波はありますが、
今後も「これからの復興の道筋」を綴っていきたいと思います。

北海道のみなさま、
一日一日の道のりは大変ですが、郷土を復興させていきましょう。

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