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実に久しぶりの更新だ。ブログの更新の仕方も忘れていたではないか。たまにこのブログを見てみると毎日必ず何人かこのブログに来ているではないか。そんな人たちに申し訳なく思いつつ、「懲りずによく来るわ」とも思っていた。
今年も半分が過ぎ去ろうとしているが、仕事はすこぶる順調である。
今まで会社の受付と講師業の二足の草鞋だったわけだが、会社の受付を退職した。これからは当面講師一本で生きていく。
講師なんてもんは、講義させてもらってナンボなので、安定した収入があるわけではない。しかし、講師を始める時に思っていた通り、というか、思っていた以上に先輩の講師の方々が大したことないので、普通にやっていても評価は得られるわけである。自分がしっかりしていれば、ちょろい世界だと思い受付を辞めた。
うちの会社は、今のところ講師を大変尊重しており、講師でクビになることはまずありえない。コマ数がどれだけいくか、というのは実力と評価次第だが、クビにされることがない、というのは逆に安定しているとも言える。その他一般の社員とは違い、代替性がないからだ。
ま〜それに胡坐をかいてる輩がいることは間違いない。そんな人達に勝っても嬉しくもなんともないが、自分を信じてくれる受講生は大変可愛く、彼らを合格させることは大変やりがいがあり面白い。なんとまぁ恵まれた場所に立っているわけである。
ただ、管理人なんてもんは、今までの人生を振り返ってみるとたいがいど〜しようもない人である。
保育園児の頃は誰よりも頭が良く、勉強らしいことなんぞしなくても成績優秀の優等生であった。素行はともかく。
保育園からは私立の小学校に行けと言われたが、バスで通学することが嫌なため近くの普通の小学校に進学。元々私立の保育園だったので、2年生くらいまではすでに習っている内容だった。これだけ勉強しない生活が続くと人間駄目になっていく。6年生の頃はトップどころか中の上におさまっていたため、これまた普通の中学に進学する。
ここらあたりからだんだんと自我が目覚めてくる。そもそも学校で勉強する意味がわからなくなった。管理人はとても極端な性格であり、嫌いなことは全くやらない。嫌いな奴とは口もきかない人である。もともと中途半端なことができない人なため、たしか中2くらいにクラスでケツから2番まで成績は落ちた。
しかし、自分に興味のある本はかなり読み込んだ。今でも相当本を読むほうだと思うが、おそらく人生で一番本を読んでいた時期はこの頃だろう。わけもわからずマルクスやドストエフスキーなどを読み込み、「他の奴らとは違う」というオーラを出しだす。全く羨ましがられてなかっただろうが。
この頃の人生の目標は、「好きなことをやり、好きな人たちと生きていく」ということだった。未だに素晴らしいことだと思う。なかなか好感の持てるガキである。
そして、中3でゴルフと出会う。金がないため、近くの練習場に頼み込み、球拾いするかわりにタダで打たせてもらっていた。なかなかバイタリティがあるではないか。ただ、成績はゴルフを始めてから壊滅的となる。ケツから3番の奴に勝てる気がしなくなった。まぁ勝とうとも思ってなかったが。ただ、ケツにはなりませんでしたねぇ。ケツだった森田君は今何をしているのだろう・・・。
この頃の本人の意向としては、「プロゴルファーになり、好きなゴルフをやって生きていく」というものだった。高校にいって勉強する時間がもったいないため、中卒でゴルフ場に就職することを希望するが、周囲に猛反対される。
そして、当時の担任がゴルフ部があり、勉強しなくても入学できそうな高校を探してきてくれた。その高校は、昼間定時制高校だった。
今現在講師をしている管理人しか知らない人が聞いたらビックリするかもしれんが、管理人の最終学歴は定時制高校卒である(ちなみに、履歴書には○○高校卒と書ける。たとえば元ヤクルトの古田が立命館大学の夜学に行っていても、立命館大学卒業と書けることと同じである。学歴なんてものは本当にしょ〜もないものである)。なんせ馬鹿な高校で、多分府下でも一番馬鹿なところだったのではなかろうか。管理人は勉強しなくても卒業できそう、という短絡的な思考の末、入学することを決めた。入試は全く準備せずに受けた。そもそも本人は受かろうが滑ろうがどうでもいい。落ちたらゴルフ場に就職するだけである。捨てるものは何もない。入試の前の日も練習場でバイトしていましたし。
そして運よく合格し、ほぼ勉強することなく卒業できた。それにしても馬鹿な奴らばっかだったわけである。教師たちも、そんな奴らと日々接しているからなのか、かなり粗雑に扱われたことにより、世間の厳しさを間接的に感じる。レールを踏み外した人間は、世間でこんな扱いされるんだ、と思いつつ、だからこそゴルフで成功せねば、と思ってましたねぇ。
ところで、管理人は、偏差値や学歴で人を判断するのはど〜かと思うが、偏差値が極端に低い人間は、物事に一生懸命取り組む奴が非常に少ないとは思っている。そして、京大なんかに入っている奴は、確かに物事に一生懸命取り組むことができる奴が多い、とも思っている。そしてそして、小学校からエスカレーター式に同志社とかに入っている地頭の「良かった」奴らは相対的に馬鹿であることが多い、とも思っている。
そんなこんなで卒業し、ゴルフ場に就職した。金がないため苦労したが、これまた特異なバイタリティを発揮し、所持金10万でアメリカ留学をするなどし、実力を上げて賞金を稼ぎだしたが、徐々に自分の限界にも気づきだしていた。
そして22歳になる頃、事故に遭いゴルフの道が閉ざされてしまう。ここで今までやってきたことが完全にリセットされた。
実家に戻り、これから先のことを考えた末に、やはり自分はレールを踏み外していたことに気づく。ただ、だからこそ人が経験していないことも経験していることにも気づく。
とりあえず食うために働かないといけないので、携帯電話会社に就職した。そこでは、驚異的な売り上げ&異例な速度での認定資格取得といろいろあり、入社4カ月で店長となった。その後3カ月して関西圏を任されるマネージャーに昇格する。
この頃思ったことは、世間では何事においても一生懸命している人が少ない、ということであった。仕事にしてもなんにしても、本当に少ない。それまで食うために一生懸命ゴルフをすることが当たり前だった自分からしてみれば、なんともつまらん人生を歩んでいる馬鹿ばっかだったわけである。
ただ、今の仕事をこのままやってくことに違和感も感じた。なにかずれている、と。そうである。そもそも「好きなことだけをして、好きな奴らと生きていく」ことが目標だったわけである。それは何一つとして手に入れていない。
そこで好きなことを考えてみたのだが、漠然と「法律家」になりたい、と思ったわけである。自分が法律を知らないために損することも多かったので、そんな人たちを助けたい、とか、純粋に法律を学んでみたい、というところに思い至る。
そこで30歳までに法律の資格をとり、その道で生きていこうと目標をたてたと同時に仕事を辞めた。人より遅れているのだから、30歳まではアゴで使われるような仕事をしようと思ったわけである。普通の奴が経験してないことを経験してきているのだから、そちらを伸ばそうと思ったわけである。この頃から講師もやりたい、と思っていたので、実社会から離れて勉強しているだけではつまらん講師になってしまう、とも思っていた。
そしていろいろなバイトを経験し、予想通りに能力のない人間にアゴで使われた。これは本当にいい経験になりましたなぁ。本を読んでるだけでは絶対に認識できないことだった。
その後、某大手予備校に受付として潜入し、資格試験に合格。そこがたまたま講師として採用してくれたおかげで、予定通り法律系資格の講師をしている。なんとも人生は面白い。
運が良かったと言えばそれまでだが、スピルバーグも確かユニバーサルスタジオにバイトとして潜入し、今の地位を築くきっかけを作っている。管理人がスピルバーグのような人間とかそんなことはど〜でもよく、何かを成し遂げるためには、とりあえずどんな方法でもやってみる→やると決めたらとことんやってみる、ということが不可欠なのではなかろうか。そして、スタートが遅れていても、本気で頑張れば大抵のことはなんとかなる。公立の中学のケツから2番で、一番アホな学校に行っていても、一生懸命やってりゃ先生先生言われるわけである。スタートが遅れようが、一時的な後退があろうが、頑張ってればすべては途中経過となり、途中経過なんかど〜でもよくなるのである。
まぁ今までの人生を振り返ってみたが、今のところ「好きなことだけやり、好きな奴らと生きていく」ということが実践できている。ありがたいありがたい。これからもこのまま行きたいねぇ。
なんにせよ、受付を退職したおかげで時間がある。これからは週に何回かは更新していこうと思います。
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