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本を読むのがしんどくなってきた。
何故かと言うと、全部の本がそうだとは言わないが、だいたい言いたいことってほんの数行なんじゃないかしら、と思ってしまうから。あとはそれを納得させるための肉付け。新書なんかは特にそう感じます。
例えば、このブログだって、この記事の一つ前の記事で、小学一年生が殺された事件を書いていた。あの時管理人が言いたかったことは「人間というのは知らず知らずのうちに自分の都合のいいように考えてしまう」ということ。
もともと、この事件自体は日記で書こうと思っていたわけであるが、書いている最中に「アレとつながるな〜。つなげて俺論集として書くか」と書いてる最中に方向転換していたんですね。
そして、この事件の犯人が捕まった。殺された子の母親だった。
この時に管理人は畠山静香被告を思い出した。近所の子と我が子を殺した人である。この事件が報道された際、姉が「こいつが絶対犯人だ」と言っていた。アレは早かったですよ。そしてその後捕まった。
今回も姉は的中させたのかどうかは知らんが、被害者面していた奴がやっていた、という点では同じ結果となってしまった。大変後味の悪い事件となったようである。世間的には。
管理人が最近、ここは人と違うなぁ〜、と意識することがある。いろいろなことが「一直線」に考えられないのだ。
世間的には「あの母親はなんだ!」だの「子供が可哀想!」などの声があがるのでしょう。きっと一直線に。しかし管理人は違う。
まず、我が子を殺してしまう母親の気持ちもわからんではない。被害者の子供は少し発達障害があったらしい。そのせいもあり育児に悩んでいるようだった、との声もあるらしい。ホントのとこはどうかは知らんが。
たとえそのような障害のない子を育てておられる主婦の方々の中にも、育児の疲れから我が子に殺意を抱く方が少なくないのではないかと思ってしまう。みんながみんな、完璧な、完全体としての主婦である、などという幻想をもっているわけではないのである。
あの母親に対する怒りや憤りもないではないが、それだけではなく、もう一面こうゆう感情もあるんですね。
そして子供。ここは尚更賛同を得られないでしょうねぇ〜。まぁどうでもいいんですけど。
簡単に言うと「いいじゃん。6歳だか7歳までいい暮らしさせてもらったんだし」と思ってしまうんですねぇ。
若い子供が被害者となる事件が起こった際に、いつも思ってしまいます。可哀想だなぁ、とも思うんですよ。しかし、一直線に思えない。「ふつう」の人は一直線なんでしょうねぇ。
管理人は「可哀想だなぁ」という反面、いいじゃん、とも思ってしまう。生まれて直ぐに酷い目にあって死ぬ子もいれば、一度も腹一杯飯を食うことなく死んでいく子もいる。世界に目を向ければそれはそれは沢山いるでしょう。それからみりゃまだよかったじゃん、豊で平和な日本で7年過ごせて、とも思うんですよね。上を見てもキリがないが、下をみてもキリがない。相対的にはよかったんじゃないの、という感じでしょうか。管理人の中ではですけどね。
インドの下部層では、子供が生まれたら親が直ぐに子供の身体の一部を切除する。例えば腕一本とか。ある程度大きくなったら立派な物乞いにするためだ。「世間」から哀れんでもらえるように、ですよ。それからみりゃよかったじゃん。
なんでもかんでも世界に目を向けることが、必ずしもいいことだとは思わんが、今の日本で生きることができる、ということをもうちょっと有り難く思っていいのではないでしょうか。みんながみんな管理人のような思考になるべきだ、とは言いませんが。
それにしても、我が子を殺してからよくあんだけ演技できますよね。管理人には無理であろう。我が子の亡骸抱えて出頭するくらいのオチでしょうなぁ。もしも管理人だったら。
よくもまぁあんだけ駈けずりまわり、泣き叫ぶことができるもんだ。それはそれは迫真の演技だったんでしょう。
最近はどのドラマをみても、下手糞な演技をする奴しか出演していない。「いい演技」に飢えている管理人からしてみれば、彼女の人生を賭けた演技を是非とも見てみたかったなぁ、と思う今日この頃である。
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