読売のコラムに、ちょっと興味のあることが書かれておりましたので転写しました。
首相の言葉(くとぅば) 届かぬ「思い」
政治部 三嶋三恵子
「言葉(くとぅば) 銭(じん)使え(じけー)」
沖縄の方言(うちなーぐち)で、「言葉はお金を使うように大事に使いなさい」という意味だそうだ。言葉を一度口にしたら守らなければいけない、だから慎重に使うように、という教えで、沖縄の先人が言い伝えてきた「黄金言葉」(くがにくとぅば)だ。
今月4日、沖縄を訪れた鳩山首相と住民との対話集会。米軍普天間飛行場の移設問題で、「沖縄の皆さんに負担をお願いできれば」と理解を求めた首相に、地元の渡嘉敷喜代子県議はこの言葉を突きつけた。
「首相、あなたは『最低でも県外』と言った。政治家の言葉は重みがある」
最近、政府内で「首相の言葉が軽い」との声をよく聞く。言葉を守らないどころか、「確かに私は愚かな総理かもしれない」など自分を攻撃する相手に同調してしまう場面さえあった。政治家の言葉を研究する立命館大学の東照二教授は「鳩山さんは相手に合わせる『聞き手中心』の話し方。責められる場面が増え、余計に軽さが目に付くのだろう」と語る。
東教授は最近の首相の変化として、<思い>の多用を挙げる。4日の沖縄訪問でも顕著だった。
「沖縄、徳之島にもご負担ご協力を願えないかという思いで、少しでもご理解いただければという思いだ」
「学ぶにつけ、沖縄に存在する米軍全体の中で海兵隊は抑止力が維持できるという思いに至った」
これまで3回行われた谷垣自民党総裁との党首討論の議事録を数えてみると、初回は10回、2回目は4回、そして4月の3回目には実に15回もの<思い>が登場した。ちなみに、野党時代の昨年5月と6月の討論では各2回しかなく、普天間問題や自身の「政治とカネ」で形勢が不利になるにつれ、増える傾向がうかがえる。
東教授によれば、このような話し方は英語で「assertion」(アサーション。強く主張すること)と定義されるそうだ。不利な状況に置かれて確たる根拠もないとき、人は無意識のうちに「自分の考えはこうだ。強い気持ちを持っているんだ」と強調してしまう。「苦しいからこそ、気持ちを主張したくなる。思いはあるが、実態はない。すでに末期症状だ」と東教授はみる。
小泉純一郎・元首相も<思い>を口にしたことがあったが、その効果は全く異なっていた。靖国神社参拝を「私の思いに基づくもの」と語り、政治家としての「強い信念」のニュアンスを醸し出した。東教授は「誰が何と言おうと、思いを貫くという信念が伝わる」と語る。
歴史に名を残す政治家は、情報を伝達する「リポート・トーク」だけでなく、聞き手の共感を呼び起こす「ラポート・トーク」の巧者だ。小泉元首相やオバマ米大統領はその典型で、言葉で国民を熱狂させた。
首相の今の語り口にはどちらの要素も見られない、と東教授は嘆く。「言葉は国民を説得する道具。いつの時代も国民はリーダーに説得されたいと願う。だけど、今の鳩山さんの言葉に魅了され、奮い立つ人はいないだろう」
首相の<思い>は当分、国民に届きそうもない。
(2010年5月18日 読売新聞)
小泉進次郎氏が、「論語研究会」の講師として招かれたときの講演の中で、「政治家は言葉が命」という主旨の話しをしていました。29歳の小泉進次郎衆議院議員の方が、言葉の持つ重み、そして政治家としての言葉の責任をよく理解していると私は思います。
「言葉は国民を説得する道具」
いま鳩山首相の「言葉」には何も説得力は存在しません。多くの国民を愚弄した責任は、今後選挙で審判されることと思いますが、これほど公約を平気で覆す政治家・政党もいなかったのではないか。
鳩山総理が「マニフェストは国民との約束」と言っていたあの言葉も「嘘」であったということを、国民は知らされたわけであります。
以前にも慶應義塾大学の権丈善一教授の言葉引用したことがありますが、権丈教授はこのように言っております。
「正しい政治行為とは、合理的無知な投票者に正しいことを説得することによって権力の地位をねらうことであるにもかかわらず、ポピュリズムというのは合理的無知な投票者に正しいことを説得する努力を放棄して(あるいは無知や誤解の度合いを増幅させて)、無知なままの投票者に票田を求めて権力を追求する政治行為である」
合理的無知とは国民のこと。つまり、私たちは専門的知識がないわけであり、また持つ必要もありません。もっとわかりやすく言うと、スポーツ選手はスポーツの分野では専門家であるが、経済学や医学などはその道の人から見れば「無知」である。しかし、それは必要としなくてもいいこと(と言うより現実的には無理)であるので、「合理的無知」というのであると、権丈教授は言っています。
このポピュリズムを大いに利用した鳩山総理は、罪あって功なしであります。
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