鰉の字を創作した磯田清右衛門 ひがいは体長10センチ内外の淡水魚で、骨はやや硬いが美味の魚である。もともとの生息地は愛知県以西の本州及び九州北部であるが、今では関東地方から東北地方の河川まで移植されて繁殖している。呼称はいろいろで滋賀県ではひがいというが、岐阜県では「さくらばえ」、岡山県では「ほやる」と呼んでいる。
漢和辞典でみると、鰉という字の下に「[国訓]ヒガイ。近江の琵琶湖に産する魚(明治天皇が特に此魚を好まれたから、皇魚の意味を以て此の字を用いる)」と説明してあるが、明治天皇にこの魚を誰が最初に献上したのか、また鰉という字を誰が考え用い始めたのか、今では知る人は少ない。
明治23年(1890)4月9日、明治天皇が疎水の開通式に行幸のさい、滋賀県庁で午饗をとった。このとき瀬田の磯田清右衛門の献上した瀬田川のひがいを召しあがって大好物とされ、東京に帰還後、さっそく大膳職を通じて県へこの魚を届けるようにとの沙汰があった。 県から連絡をうけた磯田清右衛門は、魚商魚伊に目の下五寸以上のひがい100匹を注文して水槽に入れ、フロックコートに山高帽姿で漁夫4名をつれ、国鉄馬場駅(今の膳所駅)から急行で東上した。車中で魚が死なないよう水槽を絶えず揺り動かし、それでも酸素欠乏で魚が弱ると、なんと途中駅で急行を停車させて水槽の水をとりかえたという。
その後、1ヶ月に3回も4回も電報で下命されることもあり、磯田清右衛門はそのつど東上することを光栄としていたが、そのうち大膳職から氷詰めの箱入りにして鉄道便で送ってもよいと達しがあったので、ブリキ箱2箱に50匹ずつ氷詰めとし、外の木箱を2重にしてその間に氷と引粉を詰め、外箱に「大前職御用達ヒガイ」と書いて送った。天皇は侍従を瀬田へつかわし、ひがいを獲るもようをみさせたこともあった。
磯田清右衛門は、ひがいという文字がないので、籠手田安定が2回目に県知事になった明治29年秋、知事を訪ね、魚偏に皇と書いてひがいと読むことにしてはと進言したところ知事は机を叩いて名案だと喜んだという。以来「鰉」の文字を使うこととなった。 彼はその後、鰉翁(こうおう)と号し、明治45年1月50歳で病没、瀬田橋本の墓地に葬られた。「磯田鰉翁之墓」とある。
『郷土史辞典 滋賀県』 編者:徳永真一郎 出版所:昌平社 1980 「鰉」がどんな魚か興味のある御仁は → http://www.toshibow.com/petto/etc/higai.htm
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「鰉」↑のホームページでの写真を見ると、近くの貯水池等を覗けば、どこにでもいそうな魚なのに、天皇が好んで食べ、名前までも高貴な名前・・・凄いですね。さすが、当時も扱いも凄い!!「鰉様」ですネ。
2006/1/25(水) 午前 8:34 [ めめ ]
明治天皇の好みのことですし、何とも言えないですが、時の権力は絶大だったのでしょうね。今の天皇とは、隔絶の世界なのでしょう。良いのか悪いのかも分かりません・・・・でも、知ることは必要かなとと思っています。
2006/1/25(水) 午後 6:16
この魚はですね、「ひがいもろこ」と呼んでいます。
「ひがい」だけでは使いませんね。
もう30年近くもろこ釣していないなぁ。
2008/5/17(土) 午後 6:38 [ 出雲守 ]
南湖では、もう「もろこ」は釣れないのでは・・・小学生の頃50数年前は、ぼてじゃこ・ふな・もろこ・こいが釣れました。
湖岸を歩いていると、ブルーギル・ブラックバスばかりが目に入ります。
悲しい現象でございます。
2008/5/17(土) 午後 7:30
(ひがいもろこ)ありがとうございます。
賢くなりすぎます!!どれだけ記憶に残せるのか??不安が・・・
2008/5/17(土) 午後 7:32
了解いたしました!
訪問&コメントありがとうございます。
常識を知りません。無手勝手流で書いてます。イロイロご指導ください。
2015/7/23(木) 午前 11:17
少しはお役に立てたのでしょうか?楽しみにしています。
魔法のらんど?勉強・勉強・・・!
2015/7/24(金) 午後 9:53