百済寺(ひゃくさいじ:HYAKUSAIJI)【愛東町】
百済は朝鮮半島の南西部にあった王朝名。
百済の地名は近畿に集中している。
奈良県内に百済地名は北葛城郡広陵町百済をはじめ、小字は六ヶ所ある。
季刊「湖国と文化」(2004年4月:91号)より
「百済」地名の所在地
埼玉県深谷市 本田 百済木(くだらぎ) *情報頂きました。
静岡県掛川市 五百済(いおずみ)
滋賀県野洲市 六条字 百済木(???) *情報頂きました。
滋賀県草津市 川原町字 百済見(???) *情報頂きました。
滋賀県東近江市 百済寺乙(ひゃくさいじおつ)百済寺甲(ひゃくさいじこう)
百済寺丁(ひゃくさいじてい)百済寺丙(ひゃくさいじへい)
百済寺戊(ひゃくさいじぼう)百済寺(ひゃくさいじ)
百済寺本町(ひやくさいじほんまち)
大阪府堺市 西区 百済川(くだらがわ)
大阪府枚方市 中宮町字 百済野(???) *情報頂きました。
大阪府枚方市 百済寺跡(くだらじあと)
奈良県北葛城郡 広陵町 百済(くだら)百済寺(ひゃくさいじ)
山口県熊毛郡 平生町曽根 百済部(くたなべ) ***
熊本県八代市 百済来川(くだらぎがわ)坂本町 百済来上(くだらぎかみ)
百済来下(くだらぎしも)
|
今最も中の悪い国の一つ朝鮮が最も近い兄弟国なんですね。昔は仲良しで深い交流があった。これからも仲良くしていかなければならないのに、相手の人達はすぐ、とんでもない時に、きれてしまうからなあ・・・
2008/6/4(水) 午前 8:59
上の中では掛川の五百済だけ謂れが異なるような気がします。
http://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/koho/020101/p2top5.pdf
(pdfファイルなので、Acrobat等必要です)
2008/6/4(水) 午前 11:30 [ 出雲守 ]
一番近づきたくない国でした。朝鮮半島の国々。
2008/6/4(水) 午後 4:40
地域にも依りますが、日本には数多くの渡来人が来ました。
私の祖先も渡来人じゃないかと思っています。
その殆どは朝鮮半島経由なので、出身国がどうあれ朝鮮の出国した国の名前で一括りにされることが多いようです。
だから、漢人が来たとあっても中国の人とは限らないし。
百済、新羅、任那、高句麗など王朝が立っても大陸からの圧力で生き残るために自己主張せざるを得なかった朝鮮半島の歴史を考えると、当時日本に来たのも逃げて来た可能性がありますし、逆に当時はそこまでぎすぎすしていなかったとも。
2008/6/4(水) 午後 6:47 [ 出雲守 ]
竜司さん:その通りですね。でも、きっと同じ血が流れているのでしょうから・・・時が解決してくれるでしょう。
気長に大らかに対応していれば・・・・
2008/6/4(水) 午後 7:20
「五百済」大いに気になったので、調べたのですが・・・汗;
流石に出雲守さん:ありがとうございます。
他にも興味ある地名がありました!!
2008/6/4(水) 午後 7:24
海外旅行は、韓国・アメリカ(ハワイ)のみ!!
あまり行きたいとは思いません。日本が一番!!
北朝鮮に対しては、怒りしかありませんね。さおしかさん!!
2008/6/4(水) 午後 7:42
朝鮮半島を経由して、日本に渡来した様々なものの多くが若狭を経由して近江を通り、奈良・京都へ!!
司馬遼太郎が、「街道を行く」で近江の街道のことを・・・亡失・・
2008/6/4(水) 午後 7:47
いつも気になる 大津の一号線沿いにある渡来人歴史館・・・一度覗いてみたいんですけどね。
日本も沖縄は南の島々からも来たでしょうし、北海道では昔々、ロシアの方からも来たんでしょうね。
日本人と一言で言っても いろいろ。世界はいろいろつながってるってことですね。
2008/6/5(木) 午後 10:09
渡来人歴史館・・場所が変わったようですね。
駐車場(6台)あり、広く・高くなり、資料を閲覧できる環境も素晴らしい・・・ネットで見た感じ。
2008/6/6(金) 午前 6:30
大阪には久宝寺(これはくだらてらの伏字)もあるし、大和路線には百済があるよね。
2008/6/10(火) 午前 11:36 [ - ]
まだまだ広角的に眺めないといけませんね。ご指導感謝!!
2008/6/10(火) 午後 8:08
百済寺は、琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する。
寺伝によれば、推古天皇14年(606年)、聖徳太子の建立という。聖徳太子は当時来朝していた高麗(高句麗)の僧・恵慈(えじ)とともにこの地に至った時、山中に不思議な光を見た。
その光の元を訪ねて行くと、それは霊木の杉であった。太子はその杉を、根が付いた立ち木のまま刻んで十一面観音の像を作り、像を囲むように堂を建てた。
これが百済寺の始まりであるといい、百済の龍雲寺にならって寺を建てたので百済寺と号したという。百済寺の史料上の初見は11世紀の寛治3年(1089年)であり、聖徳太子創建との伝承がどこまで史実を反映したものかは不明であるが、百済寺という寺号から見て、この寺は渡来系氏族の氏寺として開創された可能性が高い。
2012/6/27(水) 午後 10:02 [ 環境歴史観光防災カメラマン ]
史実を探求することは、大変ですがのんびりゆっくり着実に進めてほしい?ものです。
コメントありがとうございます。
2012/8/28(火) 午後 0:04
後百済時代
892年 甄萱(キョンフォン)が農民一揆に乗じて挙兵。
922年 後百済は、日本に参戦を要請したが拒絶された。後唐にも朝貢したが、名ばかりの官職しか得られず、実質的な援助はなかった。
929年 後百済は、慶尚北道で快進撃を収め、再び日本に援助を要請したが、再び拒絶された。
930年 高麗は反撃に転じ、古昌郡において後百済を大敗させた。
936年 王建は甄萱と共に後百済を滅ぼした。旧百済地域からの人材登用の忌避は後々まで悪影響をもたらし、全羅道差別という地域差別となって後代まで残った。
2014/7/5(土) 午後 7:19 [ 歴史&環境&公徳心ツアー ]
根深いものがあるのですね。勉強させていただきました。
ありがとうございます。
2014/7/6(日) 午後 3:00
こんにちは。
関東にも百済はあります。
埼玉県深谷市本田百済木(くだらぎ)
滋賀県野洲市六条字百済木
滋賀県草津市川原町字百済見
大阪府枚方市中宮町字百済野
2014/7/7(月) 午前 11:10 [ Solomon ]
埼玉県・滋賀県・大阪府の「百済」地名 頂戴いたしました。ありがとうございます。
2014/7/9(水) 午後 5:53