今日の下物町は、湖畔から離れた内陸部にあり、港らしい形跡は全くありません。しかし、この付近の地形やかっての野洲川の分流の形態を考えてみますと、確かにここが港であったことがわかります。
おそらく奈良時代には野洲川の分流がこのこの地を流れ、烏丸崎へ達していたのでしょう。このことは、条理の乱れや突出した烏丸崎の地形からも想像できます。しかも、この町からわずか数百メートルの上には官倉であった屯倉の地芦浦があったことを考えますと、荷物の集積地としては格好の位置であったといえましょう。
このように、この地の重要な港であって、さまざまな物資の上げ下ろしするところであったことを物語っています。
またこの地には、白鳳時代、かなり大きな伽藍を持った花摘寺があったことも確かで、今ではその場所は史蹟に指定されています。当時のお寺は今とちがって、多くは官寺とも言える一種の役所でもありました。この寺も重要な荷物の集積場にあたっていたと考えられます。
『草津のふるさと文化むかし話地名民具』
昭和55年3月31日発行草津市教育委員会
「下物」地名の所在地
栃木県芳賀郡 二宮町 下物井(しもものい)
滋賀県草津市 下物町(おろしもちょう)
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先日の志那、下物。どちらも風分子がいますね。
2008/8/4(月) 午後 8:42 [ - ]
昔の湖上交通は、風に依存していたのしょうね。
風に関わる地名はもっと沢山あるのかもしれません!!
手がかりがあれば、面白いと思うのですが・・・
2008/8/4(月) 午後 9:00
下物は「おろしもの」の意味なんですね?、一寸と見では、ハテ?と思っちゃいました。
2008/8/7(木) 午前 10:59
荷物の上げ下げをするとのことでしょうね。
くりぼんさんのご理解の通りだと思われます。
2008/8/7(木) 午後 6:52