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バレーボールの全日本男子監督としてミュンヘン五輪で金メダルを獲得し、昨年12月31日に亡くなった松平隆康さん。スポーツ界からは、81歳でなくなった名将の死を悼む声が相次いだ。(中略)
中垣内祐一・全日本男子コーチ
「かわいがってたただいたので残念です。『試合に臨んで、やってはいけない三つの“ない”は「諦めない、侮らない、ひるまない」という(松平さん)言葉が、いつも頭にあった』
評伝
コートの中でも外でも、多彩なアイデアを次々と繰り出す天才だった。
現役時代は9人制のレシーブの名手として活躍したが、ポジションを順次移る6人制で世界に勝つためには、攻守ともにこなす選手をそろえる必要があると判断。後に「ビッグ3」と呼ばれる森田淳悟、大古誠司、横田忠義ら1メートル90台の大型選手を起用し、フライングレシーブなどを徹底練習させた。試行錯誤の中から、森田の一人時間差や大古のZ攻撃など新技で世界をリードし、ミュンヘンの金メダルへと結びつけた。
激しい指導の一方で、「『バレーばか』になるんじゃないぞ」が口癖。代表選手には週3回、英会話のレッスンを受けさせた。海外遠征前には、出向く国の文化や歴史などを調べだせ、発表会を開いた。「インターネットのない時代に、図書館や大使館を訪ねて、苦労した」と森田さん。「これが、ラテン系の国は選手が勢いづきやすいので、出はなをくじくこと」「ソ連の選手は力任せ」などの分析にも役立ったという。
指導の現場から離れた後も、普及に向け精力的に活躍した。「フジヤマブロック」など、ファンに浸透しやすいフレーズでテレビ解説し、ブームの演出。国際大会の日本誘致、テレビ中継やスポンサーの確保などに尽力し、バレー人気の基礎を築き上げた。まさに、「日本バレーの父」として、数々の遺産を残した。
病魔に侵され、車いすの生活になっても日本スポーツ賞の先行委員などで、歯切れのいい“松平節”は健在だった。男子の団体球技の不振が目立ついま、松平さんの叱咤を、もっと聞きたかった気がする。(吉見光次)
讀賣新聞 1月6日 スポーツ
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テニス
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本年もよろしくお願いいたします。
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同期会を開いた時の事ですけどね。
良く手伝ってくれるメンバーが二人いました。バレー部のセッターとエースアタッカーでした。・・・・この競技・・・・なんか深いところがありますね。ちなみに野球部は0ですよ。
この競技・・・・なにか?深いものがありますね。
云われてみれば、競技を問わず・・名選手のその後・・・どうすれば良いのか?・・・の道しるべになった人なんですね。
2012/1/7(土) 午前 0:36
どのスポーツにも共通することが語られているように感じました。
スポーツに直接関係なさそうなことも役に立つことがあるのですね。
2012/1/7(土) 午後 8:34