|
新潟市歴史博物館によると、沼垂の地名の由来は諸説あり、その独特な語感からアイヌ語に起源をを求めようとする説もあったが、「渟足柵」の「ぬたり」という読みが「沼垂」(ぬったり)に転じたという説が現在は有力だという。
しかし、渟足柵は「日本書紀」に記されるほど重要な施設だったにもかかわらず、その存在を示す物証は乏しく、文献もないため、新潟大学などの調査でも、どの場所に設置されていたのか解明されていない。渟足柵の存在は古代新潟の謎の一つとされている。
讀賣新聞 2015年(平成27年)9月26日(土曜日) 朝刊
|
全体表示
[ リスト | 詳細 ]

- >
- エンターテインメント
- >
- 音楽
- >
- 楽器
|
NHKを観ていて、番組名は忘れてしまいました。
「むかわ町」 ひらかな地名が馴染めないので、気になってネットで調べました。
鵡川町(むかわちょう)は、「・・・あった」過去形。今は消滅地名なのか?
むかわ町(むかわちょう)は2006年3月27日、勇払郡鵡川町と穂別町の新設合併によって北海道胆振総合振興局東部に設置された町である。 地名の由来は、アイヌ語の「ムカ」(水が滲み出す)、「ムカプ」(ツルニンジンがあるところ)、「ムッカ・ペツ」(塞がる川)など、様々な説がある。
漢字が難しいので、ひらかな地名にになったのか?残念!
難しい漢字だし、意味も?由来はアイヌ語かもしれないが?
この漢字を地名にチョイスした人・人々の地名に込めたもの 気になります。
鵡川町 むかわ町 それぞれのコピペした記事は、リンクしておきました。ご参照ください!
|
|
日本初の正史である日本書紀にも「鳥取部」は登場する。垂仁(すいにん)天皇の皇子・誉津別命(ほむつわけのみこと)は30歳になっても赤ん坊のように泣いて言葉を話せなかったが、臣下が捕らえた白鳥と遊ぶうちに話せるようになった。喜んだ天皇がこの臣下に鳥取の氏を与え、各地に鳥取部を置いたという内容だ。
鳥取部は、出雲(島根県)、河内(大阪府)・丹波(兵庫県、京都府)など、関東以西の奈良時代から平安時代の記録の中でも人物の名前などで記されて入る。「捕鳥部」と書くものもある。
本文 <前略>
古代史が専門の県立倉吉西高教諭の石田敏紀さん(50)は<中略>
ルーツは、大和朝廷に直属する職業集団「鳥取部(ととりべ)」。その名の通り、湿地に飛来した鳥を鳥を捕らえ、天皇に献上人たちが住んでいた場所だった。石田さんによると、「鳥取」の読み方は本来、「とりとり」で、「ととり」や「とっとり」に変化したと考えられるという。<後略>
興味があるので・・・後半の囲み記事?も
島根県に併合 一時消滅
鳥取県は1876年(明治9年)島根県に併合されて一時消滅した。明治政府が全国で進めた府県統合の一環で、江戸時代に石高が大きかった藩などを取り除くという方針があったとされる。
両県をあわせた東西距離はやく320キロとなり、徒歩が主な移動手段だった当事、、鳥取から松江まで3〜4日かかることもあったという。鳥取県議会史余禄には、鳥取選出の県議が、議会出席のために松江に向かう途中で落馬し、命を落としたとの記録も残る。士族を中心に県再置運動が激しくなり、併合はわずか5年で解消された。
讀賣新聞 2015年(平成27年)9月12日(土曜日) 朝刊
|
|
青森市史によると、広崎藩2代目藩主・津軽信枚(のぶひら)が青森に港の建設を命じた際、家臣の開港奉行森山弥七郎が今の市中心部にあった丘陵に木々が青々と茂る様子を見て、町名を「青森」とするように進言したことが由来とされる。
松が一面に生えた丘陵の高さは約3メートル。漁船が入稿する際の目印になっていたが、年月とともに徐々に小さくなり、明治末期の大火災で松が焼けると、丘陵自体がなくなってしまったという。丘陵があったとされる青森市本町には、「『青森』発祥の地」の解説板が立っている。
讀賣新聞 2015年(平成27年)8月29日(土曜日)朝刊
|







