神崎郡 永源寺町
昭和30年市原村と永源寺村が合併して生まれた。
甲津畑:交通の要衝として上の津と呼ばれたところから名づけられた。
左目:逆真上人の左眼の流れ止るところで左目といったとか、猛牛が村に暴れ困らせていた時、左眼の童子がこれを退治して救ったことから、童子の功績を後世まで伝えんためにこれを記念して左目としたとかの話が伝えられている。
蓼畑:惟高親王が来られたとき鮎鮨を蓼の葉に乗せて差し上げると、美味だったところから礼に村名に付けられたと伝えられている。
黄和田:檗(キハダ)樹が多く生えていたところから村名が出来たとも言う。
政所:昔政所畑といい、輿地誌略に「此所を政所と号するは小椋太政大臣実秀居住の地ゆえこの名ありと信用するに足らず。これ百済寺政所の畑なりに故政所畑と言う。」とある。
蛭谷:村名は惟高親王伝説に纏わり、親王が此処にこられた時滝壷に日輪輝き早滝といわれ、又昼滝とも言ったところから生まれたという。
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