滋賀県高島市と草津市の地名追分:高島市今津町 若狭街道の今津道と上古賀木津道の分岐点であることからこの名ができた。 追分:草津市 古代の東海・東山両道の分岐点であることからこの名ができた。 全国の「追分」地名の所在と読み
確認できた読みの中には、「おいわけ」以外の読みはなかった。他の読みを期待したのですが・・ 「追分」でネットサーフィンして興味あるものを下記に・・・追分(おいわけ)追分というのは、街道で馬を追い分ける分岐点のことであり、それが地名になったものです。
鎌倉時代には街道が整えられ、大府市域にも本街道外の熱田・鳴海方面から三河にぬける脇街道や知多半島の東海岸沿いの道とか西海岸の村へ通じる道などがありました。 追分は、こうした街道の要所であったと考えられます。 追分 (おいわけ)道の分岐点を「追分」という。荷物を積んだ牛や馬を引き連れた上人の一帯が、大きな道の交差点で二隊に分かれることがある。そういったときに、彼らは大声を上げて牛や馬を追い分けるので「追分」の地名ができたといわれている。
新潟県北蒲原郡中条町追分 三重県史跡「日永の追分」は、かっての東海道と伊勢街道、現在の国道1号線と旧国道23号線の分岐点に設置され、交通の道しるべとして、親しまれてきました。
四日市、名古屋方面、伊勢方面、京都・大阪方面の分岐点 中仙道と岩槻道の分岐であったことから駒込追分となった。
信濃追分
分去れ(わかされ) 追分宿の西はずれにある宿場の名の由来ともなった街道の分岐点。 北国街道と中山道が分かれる地点。 1679年の銘のある道標・常夜灯が建っている。 「さらしなハ右 みよしのハ左にて 月と花とを追分の宿」 追分道標
滋賀県大津市の追分のことです。「此所東国より来る人ふし見への別れ道也。故に追分という。」と「伊勢参宮名所絵図に出ている。また馬子が牛馬を追い分けた場所から追分の由来になったともいわれる。 道標には,「みきハ京みち」→東海道 「柳緑花紅」「ひだりハふしミみち」→奈良街道で,交通の要衝であった。 長野県北佐久郡軽井沢町追分 → http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%BD%E5%88%86%E5%AE%BF
東海道宿駅が制度化されてから2001年でちょうど400年が経ちます。関はその47番目の宿場街として発展してきました。それだけではなく、街の西のはずれ「西の追分」では奈良へと抜ける大和街道が、東のはずれ「東の追分」では伊勢へと抜ける伊勢街道がそれぞれ分岐していた、それこそ「交通の要所」だったのです。かつては東海道中を行き来する参勤交替の大名や、上方から伊勢参りへ行く旅人たちで大きな賑わいを見せました。
「追分」を辞書で引くと追分▲おいわけ (1)日本の歌謡の種目名の1つ。無伴奏の非拍節的な歌。 (2)元々は「道路の分岐点」の意。 (3)現在の長野県佐久市追分で流行した「信濃追分」の広まりとともに広まり、各地の追分を生み出した。 (4)音楽様式を表す言葉としても使用される。 |
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2006年03月24日
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