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2008年07月16日
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大きな街道が分岐するところを追分と言い、この追分町は東海道と東山道の分れ道であろうと推定されています。おそらく奈良時代から平安時代にかけて、岡田の名が消えた分かりませんが、この付近にあったと思われる岡田駅が、この地に移ったのではないかと言われています。 ほかにこの地から分かれ道として、信楽街道があります。ここから北へ進んで金勝山の山麓を通って信楽へ行くこの道は、古い時代から重要な道で、その道路沿いには有名な狛坂寺や磨崖仏があります。 平安時代の後期から鎌倉時代にかけて、野路宿から追分に達し、この地を分岐点として東海道、北陸道そして信楽へ分かれていったところから、追分と名づけられるようになりました。それを裏付けるかのように当地の田白に官衙であったと思われる住居跡があり、当時栄えた追分の面影を知ることができます。 森の石松が、ここに住む追分三五郎の家に泊ってお金をねだったというお話は、今もこの地の人々に伝えられる追分らしい愉快な言い伝えであると言えるでしょう。 『草津のふるさと文化 むかし話地名民具』 昭和55年3月31日発行 草津市教育委員会 |
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