かって南笠町一帯には、100基を越したと言われる古墳があり、今は治田神社の裏に草津市の代表的な前方後円墳があります。 この古墳群や治田という神社名さらに笠寺など、この南笠という町名とどのようなつながりがあるのでしょうか。 昔はこの付近を治田郷と言い、これは『新撰姓氏録』にもあります治田連がこの地を開拓したのであろうとされています。 治田とは墾田のことで、開墾を意味します。この開墾には渡来人とその技術が利用されたことも記録から想定されています。 ところが、時代が変わり瀬田に国府ができたころから、この町に重要な東北へ通じる道ができ、かなり大きな集落になりました。その時代にここに住みついたのが、笠朝臣一族であったと考えられます。笠氏とは笠朝臣の一族で、治田氏と同じく『新撰姓氏録』にその名をとどめる豪族です。この先進の地に、これらの人たちが合流して付近に大きな勢力を持ったのかもしれません。 草津市内ある上笠、下笠、南笠、笠山は笠寺、笠の堂などとともに、どれも笠氏との強い関係を示すものでしょう。南笠の南は、何に対する南かわかりませんが、かってこの町の中にある笠寺は、その礎石の大きさからかなり大きな寺であったにちがいありません。 『草津のふるさと文化 むかし話地名民具』 昭和55年3月31日発行 草津市教育委員会 |
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2008年07月25日
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