この志那町は、ひら(比良)せた(瀬田)などとともに、古い時代に朝鮮半島や中国大陸からの人々が、盛んに上陸した土地と考えられます。志那という言葉は、風や「いぶき」の意味を表し、この町の歴史にふさわしいといえるでしょう。
志那と言う言葉が、風にちなんだものであることは、志那神社の祭神である「しなどの命」と「しなど姫の命」がともに風の神様であることからうかがえます。また、志那町吉田の三社神社のある土地を「いぶきの里」と言いますことからも、志那と言う言葉が風を意味することが分かります。
それではなぜこの地が、風や風の神様をおまつりしたり、渡来人の上陸地になったのかを知るにはむずかしい問題ですが、この地の位置と内陸との関係を考えると理解できそうです。
近江最大の川である野洲川の一分流が、この地に流れこみ、琵琶湖の水位が高かったころ、川口こそ最も便利な上陸地で、付近一帯は早くからひらけた水田地帯でもありました。
その上、当時の最も重要な交通路でありました西近州には、近江でも最も有名な和邇族が住み、その系列の大春日氏などと湖上交通が盛んに行われていたことでしょう。ことに渡来人が遠く離れたわが国を渡るときに重要なことは風向きとその強弱です。また琵琶湖上の通交はもとより、湖畔の生活や漁業にたずわる人々にとっては、風は生活に結びつく大事なものです。
このようなところから、いつの間にか「かぜ」の外来語、「しな」が地名になったと考えられます。
『草津のふるさと文化むかし話地名民具』
昭和55年3月31日発行草津市教育委員会
「志那」地名の所在地
滋賀県草津市 志那中町(しななかちょう)志那町(しなちょう)志那神社(しなじんじゃ)
|