「なつか」とは、風流な読み方で何か意味がありそうですが、今では何を意味しているのか全くわかりません。
しかし、次のような言い伝えがあります。
平安時代、この地は比叡山の寺領で、円乗坊・善乗坊・東仏坊という三つの寺坊があり、強い勢力をもっていたようです。元亀の乱には東仏坊の僧徒が、六角佐々木に味方して、信長の軍を笠原で破ったことがあったと言われています。
このように山門荘園がこの町だけでなく、かなり広い範囲を支配していたことが想像できますが、これらの多くの荘園村々つかさどる束としてここにその役所があり、それを束ねる長として長束と言ったであろうという説です。
ただこの町で特に記したいことは、豊臣秀吉の重臣で五奉行の一人に加わり、大蔵大輔になり、また水口城主ともなった長束正家はこの地の出身であることです。この人は経済の道に優れた人で、秀吉の小田原城攻、朝鮮出兵などの裏方として、大きな役割を果たしたことは案外知られていませんでした。
これは時の権勢徳川家康にそむいて関ヶ原戦に敗れ、あわれにも日野に自害した武将であったからでしょう。
しかし、今も当町には大蔵屋敷という地がわずかにこの人の名残をとどめています。
『草津のふるさと文化むかし話地名民具』
昭和55年3月31日発行草津市教育委員会
「長束」地名の所在地
愛知県稲沢市 長束町(なづかちょう)
滋賀県草津市 長束町(なつかちょう)
広島県広島市 安佐南区 長束(ながつか)長束西(ながつかにし)長束町(ながつかちょう)
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