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「京都鴨川納涼床」の集い
8月4日(木曜日)13時半 京都ホテルオークラ ロビー集合
13名(女性6名・男性7名)
甚七の意地悪で、懐かしい仲間の確認は、乙女にお願いしました?
「TAI君だと思う。よろしく」と言って・・間違いで無かった。ホツ!
懐かしい仲間との出会いもそこそこに 150の先導で歴史散策に出立!
南北は高瀬川一之舟入の南側から御池通まで、東西は河原町通から木屋町通に至るまでの広大な敷地 を占め、
幕末には尊皇攘夷派の拠点となった長州藩邸。元治元(1864)年の「禁門の変」で敗れた長州藩は、その直後に藩邸に
火を放って退却します。維新後、藩邸跡は勧業場となり、その後常盤ホテル(京都ホテルオークラの前身)が建てられた。
幾松(桂小五郎幾松寓居跡)
芸妓であった幾松が桂小五郎と恋仲となり、長州屋敷の東に構えた寓居が現在の料理旅館「幾松」です。桂を狙う新選組
がたびたび寓居に踏み込み、幾松は何度も桂の窮地を救ったといわれています。
敵の襲撃に備えた抜け穴や吊天井などが当時に近い状態で保存されています。
興味ある展示物に時間を忘れ写真も沢山撮ったが、物の名前が出てこない!トホホ・・・
出る間際に、ベンハムのコマ ・ ニュートンの7色ゴマ を購入
(付録)高瀬川源流 道端に座する侍姿のボランティアの案内で観る。 「無鄰庵」
穴場から (スエズ運河に先立つこと○○○年 運河建設の原点だとか?)
喫茶店にて小休止
池田家騒動之址
新選組は、池田屋にて過激派尊皇攘夷の志士たちの密会を発見し、近藤勇、沖田総司ら4人で踏み込み激戦の末、
20数名を捕縛するという大戦果を上げ、天下に新選組の名を知らしました。この池田屋騒動のため、明治維新が遅れた
ともいわれています。現在、この場所には、旅館池田屋を再現した居酒屋「海鮮茶屋池田屋 はなの舞」がオープン。
店内には「階段落ち」のシーンで知られる大階段も。
酢屋(坂本龍馬寓居之址)
材木商の代表的な存在であった酢屋は、幕末当時、6代目の酢屋嘉兵衛が活躍し、日本のために奔走する龍馬に
共感して自宅の一室を海援隊の事務所として提供しました。ここから近江屋に移り住んだ竜馬は暗殺されますが、
その後も酢屋は商いを続け10代目の現在に至るまで、竜馬が暮らした当時の場所で、当時の概観を保ち続けています。
店には温もりのある木の食器や工芸品が並び、2階には龍馬と酢屋の歴史を紹介する「ギャラリー龍馬」となっています。
坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地(現 コンビニエンスストア)
慶応3(1867)年、酢屋から醤油屋の近江屋に移った龍馬は土蔵に隠れていましたが、風邪を引き、数日前から母屋の
2階に移っていたところに中岡慎太郎が訪ねてきました。奇しくも龍馬の誕生日であった11月15日、その夜の刺客の侵入は
あまりに突然のことで龍馬は額を割られて未明に死亡、中岡も翌々日に失血死しました。刺客は幕府の組織下の京都見廻組
とされていますが、真相は明らかになっていません。
稱名寺 龍馬逃走時、最初に立ち寄る予定だったお寺
17時半 京料理 先斗町 富美家(ふみや)
美人女将の素敵な笑顔に迎えられ
ここでは、自分で懐かしい仲間の確認に行ったら人間違い!
でも二回目で、MINEHIRO教授!をゲット?
懐かしい仲間1名合流 総勢14名 床料理を堪能する会開始
舞妓さん 宮川町 ふく美 さんとの記念撮影を皮切りに
鱧料理(京会席と鱧しゃぶ)
ほどよい風にふかれながら、4席 それぞれに大盛り上がり・・・・・・・・
お土産 その1 お土産 その2
??時 本日休みのスナックを誰かさんが無理やり開店!
貸切で・・・カラオケ大会 参加者 5名(女性2名 男性3名)
150の隅々まで行き届いた気配り・心配りに
いつも元気な仲間との出会いに
大満足の一日でした!
次回は一泊の旅を・・・・・淡路島?和歌山?お楽しみに!
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2011年08月10日
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