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日本初の正史である日本書紀にも「鳥取部」は登場する。垂仁(すいにん)天皇の皇子・誉津別命(ほむつわけのみこと)は30歳になっても赤ん坊のように泣いて言葉を話せなかったが、臣下が捕らえた白鳥と遊ぶうちに話せるようになった。喜んだ天皇がこの臣下に鳥取の氏を与え、各地に鳥取部を置いたという内容だ。
鳥取部は、出雲(島根県)、河内(大阪府)・丹波(兵庫県、京都府)など、関東以西の奈良時代から平安時代の記録の中でも人物の名前などで記されて入る。「捕鳥部」と書くものもある。
本文 <前略>
古代史が専門の県立倉吉西高教諭の石田敏紀さん(50)は<中略>
ルーツは、大和朝廷に直属する職業集団「鳥取部(ととりべ)」。その名の通り、湿地に飛来した鳥を鳥を捕らえ、天皇に献上人たちが住んでいた場所だった。石田さんによると、「鳥取」の読み方は本来、「とりとり」で、「ととり」や「とっとり」に変化したと考えられるという。<後略>
興味があるので・・・後半の囲み記事?も
島根県に併合 一時消滅
鳥取県は1876年(明治9年)島根県に併合されて一時消滅した。明治政府が全国で進めた府県統合の一環で、江戸時代に石高が大きかった藩などを取り除くという方針があったとされる。
両県をあわせた東西距離はやく320キロとなり、徒歩が主な移動手段だった当事、、鳥取から松江まで3〜4日かかることもあったという。鳥取県議会史余禄には、鳥取選出の県議が、議会出席のために松江に向かう途中で落馬し、命を落としたとの記録も残る。士族を中心に県再置運動が激しくなり、併合はわずか5年で解消された。
讀賣新聞 2015年(平成27年)9月12日(土曜日) 朝刊
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2015年09月28日
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