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佐世保市史などによると、鎌倉時代から南北朝時代に記された「松浦山代家文書(まつらやましろけもんじょ)」の中で、一揆にまつわる記述に「させほ」が登場する。少なくともこの頃には「させほ」の地名が使われていたとみられる。
佐世保史談会の中島会長によると、第2次世界大戦以前は、「させぼ」でなく「させほ」と濁らずに発音する人が多かったという。
佐世保港は、ヤツデの葉を広げたような形から「葉港(ようこう)」とも呼ばれる。{サ」「世」「ホ」を漢字の部首に見立てて縦に並べると「葉」になるから、との説もある。
本文<前略>
港に注ぐ佐世保川の流域の地形に地名の由来があるのではーーと考えた郷土史家がいた。「佐世保史談会」元会長の坂田直士さん(故人)。狭い川瀬を意味する「狭瀬(させ)」と、平安時代以降の区画「保(ほ)」が結びついたとの説を2001年に出した著書「佐世保の地名は語る」で唱えた。
由来を巡っては。「サセブ」という樹木が繁茂していたことに注目する説や、アイヌ語や神功皇后の伝説にちなむ説などもある。坂田さんの考えは、地形に着目した点が興味深い。<後略>
讀賣新聞 2015年(平成27年)10月3日(土曜日)朝刊
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2015年10月16日
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