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土佐藩2代目藩主山内忠義が、未開地だった稲吉村と呼ばれた一帯を商業地として発展させようと、家老の野中兼山に命じて開発。商人の移住を勧め、みそやこうじなどの製造、販売に課税しないなど税を免じたため、「御免(ごめん)」と呼ばれるようになったのが中名の由来とされる。
南国市史などによると、」二つの街道(現国道55五号と195号)が交わる地で、交通、商業の中心地として発展を遂げた。地名は稲吉新町から御免町、1700年頃に後面町となり、現在の御免の字が使われたのは、近代になってからだという。
本文<前略>
商人らの移住を促すための屋敷の土地が与えられ、年貢や諸役が免除された。この「諸役・租税御免の町」が、地名の由来となった。
<後略>
讀賣新聞 2015年(平成27年)10月24日(土曜日)朝刊、
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2015年11月05日
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