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近代登山黎明期の登山家小島烏水(うすい)は、「上高地」とは明治以降の表記で、本来は「神河内」だったと主張している。穂高神社奥宮があり、「神降地」や「神垣内」など、神の領域だったという説は根強い。一方、江戸期の「信州筑摩郡安曇郡絵図」「信府統記」には、「上河内」とある。
上高地には人名に由来した地名が多い。峠を越え、命懸けで働いていた麓の杣たちだ。「徳本(とくごう)峠」は「徳吾」、「億又白池」は「又四郎」、「長堀山(ながかべやま)」は「長兵衛にちなんだとされ、事故で亡くなった杣を悼む気持ちが込められている。
讀賣新聞 2015(平成27年)4月18日(土曜日)朝刊
観光地として、よく知っていたつもりでした。でも、自然保護の先進地であることや杣の生活があったことなどしらないことがまだまだ・・・
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2015年04月19日
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