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全国の八幡宮の総本山である宇佐八幡宮)大分県宇佐市)の領地だった石垣荘に、特別な許可を得て開墾した土地であることを意味する「別符(べつふ)」にちなむとの説が長く伝わっていたが、飯沼教授はこれを否定する。
飯沼教授によると、鎌倉時代に最初に書かれた「豊後国岡田帳」に「石垣別府」と言う記載があり、従来説の根拠の一つとされていきたが、岡田帳は数回書き写されており、「石垣別府」は、「弁分」を書き換えたか、誤記した可能性が高いという。飯沼教授は、石垣荘と離れた場所にあった朝見郷弁分が由来の可能性が高いと見て入る。
本文 <前略>
別府大文学部長の飯沼賢司教授(61)(日本古代・中世史)によると、「別府」という地名は、平安時代の終わりから戦国時代にあった「朝見郷弁分(べんぶん)」に由来する。「弁分」とは、神事の費用を割り当てられた地域を表す言葉だという。市教育委員会によると、この地は江戸時代の1622年には「別符村」と呼ばれており、後に「別府村」となった。
<後略>
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2015年09月24日
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