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地名の由来は、「山上がテーブルのように平らな形状で、屋根のように見えるから」とされる。
独特の地形は、太古の火山活動の名残。湖底に流れ込んだ溶岩が冷えて硬い安山岩の層ができ、周囲のもろい地層が風化して、湖底部分だけが安山岩に守られて台地として残った。
江戸時代初め、塩田として干拓され陸続きになったが、高松藩主・松平頼重の「島に戻せ」との命で南側に水路が掘られた。今はその相引川(あいびきがわ)でわずかに隔てられている。
讀賣新聞 2015年(平成27年)4月25日(土曜日)朝刊
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興味
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近代登山黎明期の登山家小島烏水(うすい)は、「上高地」とは明治以降の表記で、本来は「神河内」だったと主張している。穂高神社奥宮があり、「神降地」や「神垣内」など、神の領域だったという説は根強い。一方、江戸期の「信州筑摩郡安曇郡絵図」「信府統記」には、「上河内」とある。
上高地には人名に由来した地名が多い。峠を越え、命懸けで働いていた麓の杣たちだ。「徳本(とくごう)峠」は「徳吾」、「億又白池」は「又四郎」、「長堀山(ながかべやま)」は「長兵衛にちなんだとされ、事故で亡くなった杣を悼む気持ちが込められている。
讀賣新聞 2015(平成27年)4月18日(土曜日)朝刊
観光地として、よく知っていたつもりでした。でも、自然保護の先進地であることや杣の生活があったことなどしらないことがまだまだ・・・
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城郭が築かれる前の城山が、丘(岡)が延びたように見えたため、「延岡山」と呼ばれていたとする説がある。延岡ボランティアの会九鬼勉会長(63)は、「延岡山に築かれた城が延岡城と呼ばれるようになり、地名につながったと考えられる」と話す。
一帯は、古くは「縣(あがた)」と呼ばれていた。1692年(元禄5年に藩主が有馬氏から三浦氏にかわった際、「縣を改(あらため)て延岡と称す」と、「徳川実紀」に記されている。この頃から藩名などに使われ、明治期に正式な地名になったと考えられている。
読売新聞 2015年(平成27年)4月11日(土曜日)朝刊
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「安土」の由来は、信長が名付けたと長く言われてきた。熊本藩主となった細川家の「細川家記」に「天正四年(1576年)丙子(ひのえね)正月、信長江州目賀田(めかた)を安土と改む」という記述があったためだ。ただ、「信長公記」には、築城以前の1570年(元亀元年)5月、「安土城に中川八郎右衛門楯籠り」との記述がみられる。
ほかに、の練習の際に標的を固定する盛り土を固定する盛り土「あづち」が、のちに安土山と呼ばれるようになる「目賀田山」の形に似ていたからとする「安曇(あづみ)族」がなまったとする説などがある。
合併の新市名決定二転三転
1889年の町村制施工に伴って安土村が発足。「昭和の大合併」で、1954年に老蘇村(おいそむら)と合併して町に移行した。
「平成の大合併」では、協議が迷走。2002年、隣接する2町との合併協議で、新市名は「安土市」に内定したが、他町が別の枠組みを選択したため、決裂。2005年には近江八幡市との協議で、新市名は「安土八幡市」に決まった。ところが、町民アンケートで、別の枠組みに対する反対が過半数を占め、再び暗礁に乗り上げた。結局、10年3月に近江八幡市と対等合併し、現在の新「近江八幡市」が誕生した。
読売新聞 2015年(平成27年)3月28日(土曜日)朝刊
「安土」地名 一覧 伊 謄 さんから情報頂きました。感謝!
山形県鶴岡市 五十川字 安土(あづち)
福島県田村市 滝根町菅谷字 安土前(あつちまえ) * 千葉県佐倉市 上座字 安土 愛知県名古屋市 天白区天白町大字野並字 安土(あんど) * 愛知県知多市 日長字 安土(やすど) 滋賀県近江八幡市 安土町(あづちちょう) * |
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1828年(文政11年)、地元の名主が幕府に差し出した公式文書「文政町方書上」には、「昔、古木の松が6本あった」と記されている。一方「いつまで、どこにあったか分からない」とも書かれている。
その前に出された書物「十方庵遊歴雑記」では、上杉、朽木、高木、青木、片桐、一柳の6大名の屋敷が集まったためと説明。だが、6大名が同時期に屋敷を構えた事実はない。この辺りに住んでいた侠客(きょうかく)を「江戸六方」と呼び、意気地を通す意味で「六方気」と呼んでいたのが、「六本木」に変わったとする説もある。
読売新聞 2015年(平成27年)3月14日(土曜日) 朝刊
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