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地名は、漢字以外は認めたく無くない!
旅の途中、その地で感じるものと漢字地名との関わり 等から
漢字は、日本人の心の原点だ!と思っている甚七です。
漢字について、目から鱗の番組を見てしまった。
「武田鉄矢の思えば遠くに来たものだ!」
出だしで「人」は、 支えあっている。違う!?←白川静 白川文字学によると・・・
「企」「包」 漢字には、不思議な力がある。
東京都渋谷区では、 「親」「戯」
北海道夕張市では、 「懐」
鹿児島県種子島では、 「帰」「宿」
岩手県大船渡市では、 「可」「歌」「初」
の語源について、なになにと引き込まれる。
「日本は、故郷でできている。」といった人がいることも知りました。
白川文字学は、漢字を新たな視点で見つめなおすことの必要性を・・・
やはり 漢字は、心に響く!再認識しました。
と同時に もっともっと勉強しょう!
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興味
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「天童」の起源については、今も定かな説はない。南北朝時代の武将・北畠天童丸の名前にちなんでいるといった説や、アイヌ語がもとになったという説などがある。
そうした中で、天童市のホームページや、市の発行物は民間伝承の「物語」を紹介している。
天童市立旧東村山郡役所資料館発行の「天童氏と天童古城」には、千数百年前、市中心部の舞鶴山で僧侶が念仏を唱えていたところ、天から童子2人が舞い降りた、という説が語り継がれてきたと記されている。
読売新聞 2015年(平成27年)3月7日(土曜日)朝刊
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(前略)地名の「倉敷」は、物資を置く場所を「倉敷地」と読んだことに由来するとされ、倉敷市歴史資料整備室課長主幹の山本太郎さん(53)は、「江戸初頭には物資の集積として『倉敷村』が存在した」と説明する。(後略)
*由来
倉庫の敷地その施設を指す「倉敷」は、岡山県北部の地名にも存在した。今の美作(みまさか)市にあった「倉敷」は、鳥取県に通じる街道の宿場町として繁栄したが、物資の輸送が鉄道に代わって廃れ、バス停にその名を残すだけになっている。
倉敷市によると「倉敷」の地名が最初に出てくるのは1601〜03年、初代備中松山藩主・小堀正次が商人に宛てた書状で、倉敷から舟で、畳表と材木を大阪に運ぶよう命じていた。09年の古文書「倉敷屋敷方御免被成分之帳(くらしきやしきかたごめんなられぶんちょう)」には、海上航行に従事する水夫(かこ)屋敷の記録があり、一帯は既に港湾都市化したことがうかがえる。
読売新聞 2015年(平成27年)2月21日(土曜日) 30面
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江戸時代に編さんされた二本松藩の地誌「相生集」には、「二本松」という地名の由来について四つの説が記されている。かって二本松城の本丸に霊験あらたかな2本の松があったためというのもその一つ。南北朝時代の武将畠山高国の時代に、市南東部の旧岩代町にあった6本の名松のうち2本を城内に移植したためという伝承も紹介している。
他にも、城山にあった緑の葉が美しい雌雄の松をたたえて城主が名付けたという説や、築城の安全を祈って牛2頭を生き埋めにした場所に松を二本植えたのが由来とする説もある。
読売新聞 平成27年2月14日(土曜日)朝刊
甚七の好みから、「雌雄の松」説を応援したい!
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高崎(群馬県) 由来
*18世紀に高崎藩の記録担当の家臣、川野辺寛が記した書物「高崎志」などによると。1598年箕輪城(高崎市箕郷町)の城主だった井伊直政が徳川家康に命じられ、「和田」と呼ばれていた地に築城した際、龍広寺(高崎市若松町)の初代住職、白庵に「この地を『松が埼』に改めようかと思う」と相談した。白庵は、「松はやがて枯れるもの。成功高大の意味をとって『高崎』はどうか」と提案。気に入った直政が高崎と名付けたとされる。高崎城があった場所には現在、高崎市役所が立っている。
高崎市は だるま生産日本一
約200年前から作られ始めたと言われています。県内は養蚕が盛んで、蚕が脱皮することを「起きる」と言うことから、養蚕農家が七転び八起きのだるまを縁起物として好みました。だるまの形も、頭と胴の間のくびれがなくなり、繭の形に変わっていきました。
読売新聞 2015年(平成27年)1月17日(土曜日)32面 群馬県の県庁所在地は、前橋!高崎と争ったようです!
滋賀県も、大津と彦根が争ったとのこと、
他の都道府県も同じような争いがあった?
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