大津市
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琵琶湖の大きな港を意味するが、667年大津に都が移され、大津宮と呼ばれるようになり、後に古津という呼び名から大津に改められるようになった。
大津市は、歴史の町である。史跡と古美術の町である。有する文化財の数では、京都・奈良・東京に次ぐ。それらの多くが延暦寺・三井寺・石山寺・日吉大社・近江神宮の“三寺ニ社”にある。大津がまた景勝の地であることは、いわゆる“近江八景”がほとんど市内に集中していることでもわかる。三寺ニ社が古美術と史跡を代表するなら、景勝を代表するのは、いうまでもなく琵琶湖である。
大津市は、歴史の町である。史跡と古美術の町である。有する文化財の数では、京都・奈良・東京に次ぐ。それらの多くが延暦寺・三井寺・石山寺・日吉大社・近江神宮の“三寺ニ社”にある。大津がまた景勝の地であることは、いわゆる“近江八景”がほとんど市内に集中していることでもわかる。三寺ニ社が古美術と史跡を代表するなら、景勝を代表するのは、いうまでもなく琵琶湖である。
雄琴の名は、雄琴学区全体を表わす場合と三町の内雄琴町だけを示す場合との両方に使われている。雄琴の地名がいつ生まれたかは明らかではないが、1124年頃に白河法皇の院宜によって源俊頼が撰進したという、勅撰集「金葉集」の中から、次の歌が『近江輿地志略』―膳所藩の儒臣、寒川清辰が享保19年(1734)に編集した滋賀県の地誌―に載せられていることから、それ以前につけられた地名であることがわかる。 松風の雄琴の里にかよふぞ治れる世の声ときこゆる 敦 光 かよひ来て雄琴しらべの岡の松にふく浦風もちよ声する 庭田正惟 平安時代の初期である文徳天皇の仁寿元年(851)に、小槻氏今雄宿襺は功績によって雄琴の里を荘園として賜った。今雄宿襺は雄琴の地を開いたが、泰平が久しく人々は今雄宿襺の徳を慕って、地名にその名前の一字「雄」を用いたと思われる。また、雄琴の里は京都に近くて、白川を経て山中を越えると湖を臨む形勝の地であるため、ここに移り住んだ貴族もあったと思われ、その寝殿造りの貴族の邸宅から床しい琴の音が流れることもあったので、「調べが丘」とか「琴の里」とかの名が残って、地名にも「琴」の一字を用いたと思われる。このようなところから、「雄」と「琴」を連ねて「雄琴」となったのであろう。思うに「雄」を強くたくましいことを表わし、「琴」は美しく優しいことを表わす。あたかも天と地。陽と陰のように、一見相反する二つが相補する関係によって均衡を保つという森羅万象(宇宙に存在する一切のもの)を象徴することを誰かが深く思惟してつけた、深い意味を包んだ立派な名前であるといってもよいであろう。 一説には、古代この地に女神が天下り、絶景を愛して松風に合わせて琴をかき鳴らしたと語り伝えているが、これはまったくの作り話であろう。また昔、雄琴と雌琴の一対の琴があって、その内の雌琴が何者かに持ち去られたため、残った雄琴が哀調を帯びた音に変わったとか、そして苦心の末、やっと雌琴を捜し求めてそろえたところ、元のようにたえなる音に変わったという話を聞かせてくれた人もあったが、これにいたっては確たる根拠も無くこじつけの感じが深い。 『わが郷土 雄琴の歴史を探る』 昭和47年3月1日発行 大津市雄琴学区自治連合会 |





