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読売新聞 2013年10月21日 夕刊
天野祐吉さん死去
80歳「広告批評」元編集長
雑誌「広告批評」元編集長の天野祐吉(あまの・ゆうきち)氏が20日午前10時38分、間質性肺炎で亡くなった。80歳だった。告別式は本人の希望により行わない。
東京都出身。博報堂などの勤務を経て、1970年にマドラ出版を設立。79年に「広告批評」を創刊し、テレビCMなどの広告作品として批評するスタイルを確立し、糸井重里さんらコピーライターが注目されるきっかけを作った。
同誌は2009年に休刊となったが、コラムニストとして「私説広告五千年史」など多くの著書があるほか、童話作家やテレビのコメンテーターとしても活躍した。02年には松山市立子規記念博物館館長に就任し、07年から名誉館長。
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間質性肺炎
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筑紫美主子さん 92歳(ちくし・みすこ、本名・古賀梅子=こが・うめこ=佐賀弁で人情劇などを演じる大衆芸能「佐賀にわか」の第一人者)10日、肺炎で死去。告別式は12日午前11時、(中略)
14歳で踊りの師匠となり、1940年に旅役者と結婚後、旅回りの一座を旗揚げ。九州各地や東京、名古屋などを巡り人気を集めた。晩年はテレビ番組などで活躍した。
読売新聞 2013年10月11日(金曜日)社会
下記のことが・・
筑紫美主子(本名;古賀梅子)は、1925年北海道旭川で産まれた。
父親は亡命白系ロシア人、母親は日本人女性であった。母親は、父親との別離の後、人目をはばかり娘を「捨て子」ということにして佐賀に住む伯父夫妻に預け、そのまま姿を消した。梅子と命名された筑紫美主子は、両親の顔も知らぬまま、養父母のもとで育てられる。 青い目をした赤い髪の女の子。周囲の好奇の目にさらされつづけた。小学校6年生の頃、学校から佐世保に戦艦「陸奥」を見に行くが、筑紫さんには外国人の血が流れているという理由で、立ち入りを拒否された苦い思い出もある。 筑紫さん12才の時、養父が知人の保証人になったため差し押えられ破産し、家からがおいだされた。 農具小屋を立て替えて生活をはじめるが、事業に失敗して台湾から帰国した養父の弟家族も加わり、2家族9人が狭い農具小屋で生活することになった。この頃、家は極度に貧しく、子供達は暴れる、病人は苦しむで、まさに修羅場のような生活あったという。 ある時、筑紫さんが口に入れた漬物を、男の子が口をこじあけて奪い取ったこともあった。彼女は食べ物を二度噛むことができなくなったという。 1935年、働きづくめの養母を失う。筑紫さんは養父母のもとで踊りを習っていたが、亡くなった母親の願いをうけて14歳で踊りの師匠となる。 1937年、日華事変が起こり、戦火は激しさを加えていった。戦争中は誰よりも「日本のために」という願いが強かったのに、「青い目」の筑紫さんはスパイ扱いされ尾行がついたという。 筑紫さんは1940年、旅芝居劇団の古賀儀一と結婚した。周囲は年も離れ生活が不安定な儀一との結婚には反対であしたが、筑紫さんは儀一氏が彼女をけして「特別なもの」として見なかったことに安らぎを覚えた。 そのうち皇軍慰問団の一員として銃弾飛び交う最前線へと送り込まれることになった。映画スタ−や有名歌手は高級将校などのいる比較的安全なところに送りだされたが、筑紫さんらの無名村芝居劇団は一番危険なところに送られた。 1941年難産の末、男の子が生まれる。しかし大分巡業中、生まれてまもない男の子は白髪染め用の劇薬を飲んでしまう。病院に運ぶが軍医は戦争にいって不在、しかも洪水で交通機関は不通となっていた。 筑紫さんは、ひたすら神仏にすがる他はなかった。 たまたま、お年寄りが卵の白身を子供に飲ませると子供は黒い塊を続けざまに吐き出し命をとりとめることができた。筑紫さんはこの出来事以来、仏門とのえにしを結んだという。彼女はいう。「娘時代、恋に破れて堀に飛び込み命を長らえました。 その前に、父のいない混血児として生まれ、父と母に拾われて育ちました。そして自分の産んだ子が旅先で命を救われました。みんな神仏のおかげです。 50まで役者の仕事をしましたら、髪をおろして仏門に帰依したいと、その時心に誓ったのです。」 1968年福岡県二丈町に愛仙寺を建て、一命をとりとめた息子が先に得度しこの寺の住職となった。 彼女は夫・儀一と1960年に死別し、38歳で一座を率いて「佐賀にわか」を演じて各地を旅してきた。 筑紫美主子は、苦難に満ちた自分の体験を逆手にとってそれを芝居に生かした。ロシアの血をひく筑紫美主子一座による「佐賀にわか」は単なる滑稽劇ではなく哀感がただよう劇に生まれ変わった。 私は一度、玄界灘近くを通るJR筑肥線・福吉駅近くにある愛仙寺でお話を聞くことができた。 それはある不思議な「めぐり合わせ」の話だった。 筑紫さんは寺の裏の地下にある大仏のところに連れていってくださり、こわれかけた鳥居をみせてくださった。この鳥居は天神にあった柳原白蓮・伊藤伝右衛門の邸宅(銅御殿とよばれていた)の鳥居だったが、銅御殿が火事で全焼し次にここに住みついた人から筑紫さんにこの鳥居ひきとってもらえないかという話かあったそうだ。 筑紫さんがその鳥居を見にいったところ、そこにほられた製作者の名前から、筑紫さんの亡くなったご主人の実家(佐賀市蓮池の石屋)でつくられたものであることか判明した。その「めぐり合わせ」に驚いた筑紫さんは、自宅にこの鳥居を大切に保存することにしたそうである。 初対面の筑紫さんは、つつみこむようなあったかさの中にも、どこか凛としたものを感じさせられる方で、このような話をかみくだくように話してくださった。 その2ヵ月後、メルパルクホールでの「筑紫美主子60周年記念公演」を見に行った。「案山子」と題した公演で出奔した息子と親との情愛を描いた舞台で、おかしくてどこか哀しい、ひきこまれるような舞台であった。 そしてメルパルクホールを超満員にした筑紫さんの人気の秘密を初めて知る思いであった。 かつて自宅を訪問した時には筑紫さんはか細く歩くのがやっとといった感じであったが、舞台では別人のように迫力があり動きも機敏であった。この時、芸人魂のすさまじさに感嘆した。 愛仙寺には地元の作家・劉寒吉の歌碑が立っている。 「をみなあり 肥前の国の肥の女 かなしからずや ひとをわらわす」
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間質性肺炎(かんしつせいはいえん)とは、肺の間質を中心に炎症を起こす病気です。
美空ひばりの死因として知られている病気です。 間質とは、肺胞(ガス交換を行う部分)を除いた部分で、主に肺を支える役割を担っています) 間質性肺炎では、肺が硬くなり、十分に肺が広がらなくなってしまいます。 ■間質性肺炎の原因 間質性肺炎の原因には、ウイルスやマイコプラズマなどの微生物の感染、放射線、アレルギー、関節リウマチや多発性皮膚筋炎などの膠原病(自己免疫疾患)、ほこりやカビ、ペットの毛、などの慢性的な吸入、病院で処方される薬剤、漢方薬、サプリメントなどの健康食品など様々ありますが、原因を特定できない間質性肺炎を「特発性間質性肺炎」といいます。 特発性間質性肺炎は厚生労働省の特定疾患に指定されている難病の一つで、中高年者に多く、男性に多く発症します。 ■間質性肺炎の症状 特発性間質性肺炎では、乾性咳嗽と息切れ、労作時呼吸困難や呼吸不全が主な症状です。 乾性咳嗽(かんせいがいそう)とは、痰を伴わない乾いたせきのことで、いわゆる空咳(からせき)です。 労作時呼吸困難とは、労作時、つまり身体を動かしたときの呼吸困難のことです。 呼吸不全とは、息を吸っても吸った感じがせず、常に息苦しいことです。 急性型では、このほかに発熱や関節痛などの症状を示すことがあります。 ■間質性肺炎の治療 治療としては、ステロイドホルモンと免疫抑制薬が用いられますが、一般的に経過は悪く、ステロイドに反応しない場合には死亡することがあります。 特に突発性肺繊維症は、症状が出現してからの50%生存率が3〜5年といわれています。 以上のことが・・・↓
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本日 6月4日 病院に行きました。
昨年10月くらいから、咳き込むことが多くなっていた。
その内直るだろうと・・・
しかし、人と話をしようとしたり、カラオケで歌おうとしたり・・・
さまざまな状況で咳き込むことが・・・
レントゲンの写真を医者が見ながら、
「気になる影がありますね。CTとりましょう!」
CTの写真をみながら、
「カンシツセイ?肺炎ですね。難病です!」と医者がポツリ。
「来週入院しますか?」
「11日入院、12日 イロイロ調べましょう。」
「調べた結果に基づいて、治療方法を検討します。」
「最大一ヵ月半の入院治療を・・・」
即断しました!「11日に入院します!」「よろしくお願いします。」
その後、
採血(試験管9本 腕が赤く変色・・・手のひらをぐっと握ったり、開いたり)
入院手続き についてヒアリング、
本日の治療費を支払って、帰宅
とあるHPから・・・「間質性肺炎」について、コピペです。
1.はじめに
間質性肺炎(かんしつせいはいえん)と言うと、聞き慣れない方が多いと思いす。別名 肺線維症(はいせんいしょう)とも言います。
正常な肺は、目の細かいスポンジのような構造をしており、息を吸えば膨らみ、息を吐けば縮むという動きをスムーズに行っています。何らかの原因で、この柔らかい肺に、線維化が起こり、肺が固く縮んでゆき、ついには呼吸ができなくなり、死に到ることもある病気です。
原因・病態・治療法など、まだまだ解明されていない部分も多く、厚生省の特定疾患に指定されています。発病から10 - 15年で約半数の方が亡くなり、肺癌を合併することなどが、知られています。当院では、前院長の近藤有好がこの疾患の専門家だったこともあり、多くの患者さんが通っておられます。最近では、新潟大学医学部第二内科と共同で、研究に取り組んでおります。この病気で、不安を感じておられる方、疑問を持っておられる方、お気軽にご受診下さい。
2.病因
原因は実に多彩です。
a. 感染症・・・・・マイコプラズマ、ウイルスなど
b. 放射性肺臓炎・・放射原因は実に多彩です線治療による副作用
c. 過敏性肺臓炎・・トリコスポルンなど
d. 膠原病
e. 原因不明・・・・この場合を、特発性(とくはつせい)間質性肺炎と言います。
3.診断
原因が多彩であるため、原因が判明した場合は、それに伴う間質性肺炎としますが、「特発性間質性肺炎」については、厚生省特定疾患調査研究班の第三次改案が参考にされています。
a. 主要症状・理学所見・・・乾性咳嗽、息切れ、バチ状指、稔髪音
b. 血液・免疫学的所見・・・赤沈、LDH
c. 呼吸機能検査・・・・・・拘束性障害、拡散能低下
d. 胸部X線写真・CT所見
e. 病理組織所見・・・・・・胸腔鏡下肺生検が最近は主体です。
原因が判明した場合は、原因の除去が第一です。これに加えて、膠原病などの場合は、副腎皮質ホルモンや免疫抑制剤が、副作用に注意しながら慎重に使用されます。「特発性間質性肺炎」については、未だに治療法が確定していないのが現状です。一般に、安定期と急性増悪(きゅうせいぞうあく)期とで治療が異なります。
1)安定期:
本疾患は、慢性に経過し、活動性に乏しい時期が数年間続きます。この時期には、あまり激しい治療を行いません。選択肢として、
a. 何もせず、経過観察のみ
b. 副腎皮質ホルモンの少量内服
c. ムコフイリン(NAC)の吸入
2)急性増悪期:
感冒、肺炎などの感染を契機に、突然急激に悪化することがあります。これを、急性増悪(きゅうせいぞうあく)と言います。このような場合、感染を十分にカバーする抗生物質を併用しながら、副腎皮質ホルモンの大量療法(ステロイドパルス療法)を行います。しかし、効果が一時的で、最終的には、亡くなられることが多いのが現状です。
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