無題
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古希にして、このような疑問を持つとは・・・・・・トホホです。
歌謡曲のことをネットサーフィンしているとこの言葉が気になって!眠れない? 「テーマ曲」「テーマソング」「テーマ音楽」・・・なども
意識して使い分けていますか?甚七には出来ないことで〜〜す。
デジタル大辞泉の解説
しゅだい‐きょく【主題曲】 「テーマミュージック」に同じ。「テレビドラマの―」 大辞林 第三版の解説
しゅだいきょく【主題曲】 ⇒ テーマ音楽(おんがく) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/09/13 01:28 UTC 版) 主題歌(しゅだいか)とは映画・テレビ・ラジオなどのテーマ・ソング(和製英語, 英語ではtheme music)およびメイン・テーマ(main theme)の曲を指す。主にオープニングあるいはエンディングに演奏され、必ずしも歌曲とは限らない。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
主題歌 しゅだいか 映画、演劇、ラジオ、テレビなどの作品のテーマやムードを表現するためにつくられた歌。テーマソング、テーマ曲ともいう。挿入歌、劇中歌のたぐいも広義にはこれに含まれ、レコードやコンパクトディスク(CD)の普及とともに流行歌の重要な分野を占めている。[小川乃倫子]
日本映画の主題歌目次を見る
日本の映画主題歌の第一号は、1929年(昭和4)の『東京行進曲』のための同名の作品(西条八十(さいじょうやそ)作詞、中山晋平(しんぺい)作曲)である。まだトーキー以前のことで、画面の歌詞にあわせ、楽士の伴奏により歌手がスクリーンわきで歌った。それ以前も、流行歌を取り入れた歌謡映画(『枯れすすき』をテーマにした映画『籠(かご)の鳥』がその代表作)はあったが、映画にあわせて主題歌が企画されたのはこれが最初で、佐藤千夜子(ちやこ)歌う「昔恋しい銀座の柳……」の歌詞で始まるこの歌は25万枚のヒットとなった。その後、映画会社とレコード会社は密接に手を結び、第二次世界大戦前から戦後にかけて、『二人は若い』(映画『のぞかれた花嫁』主題歌・1935)、『旅の夜風』(『愛染(あいぜん)かつら』1938)、『リンゴの唄』(『そよかぜ』1946)、『青い山脈』(同名映画の主題歌・1949)など、数多くの映画主題歌を世に送り出した。また、戦後の連続ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』『君の名は』『笛吹童子(ふえふきどうじ)』などの主題歌は、いずれも映画化に際してそのまま使われてヒットした。 1964年(昭和39)の東京オリンピック以降、テレビの急速な普及に伴い、家庭における娯楽の中心は映画やラジオからテレビに移った。そのため、主題歌のヒットはアニメ、ドラマといったテレビ番組のものが多くなり、劇場映画の主題歌が流行歌となる例は少なくなったが、石原裕次郎と牧村旬子(じゅんこ)のデュエット曲『銀座の恋の物語』(同名映画の主題歌・1962)などはいまもカラオケの定番になっている。 映画『少年時代』(1990・藤子不二雄原作・篠田正浩監督)の井上陽水が歌う主題歌や、アニメーション映画『風の谷のナウシカ』(1984)、『となりのトトロ』(1988)、『もののけ姫』(1997)、『千と千尋(ちひろ)の神隠し』(2001)など一連の宮崎駿(はやお)作品の主題歌など、失われた郷愁を懐かしむような作品も広く人気を集めている。[小川乃倫子] 外国映画の主題歌目次を見る
外国映画の主題歌はトーキーとともに入ってきた。フランスの『巴里(パリ)の屋根の下』(1930)、『巴里祭』(1933)、『枯葉』(映画『夜の門』1946)などのシャンソン、ドイツ映画『狂乱のモンテカルロ』(1931)、『会議は踊る』(1931)の主題歌など、映画主題歌の名曲が1930年代から第二次世界大戦後にかけて日本でも愛唱された。戦後、アメリカやヨーロッパの映画が解禁されると、アカデミー賞の主題歌賞(1934年設置)の受賞作品『虹の彼方(かなた)に(オーバー・ザ・レインボー)』(1939年受賞、映画『オズの魔法使』主題歌)、『ハイ・ヌーン』(1952、『真昼の決闘』)、『慕情』(1955、映画名同じ)、流行語にもなった『ケ・セラ・セラ』(1956、『知りすぎていた男』)、『日曜はダメよ』(1960、映画名同じ)、『ムーン・リバー』(1961、『ティファニーで朝食を』)などが日本でも大ヒットした。 このほか、『時の過ぎゆくままに』(『カサブランカ』1942)、『二人でお茶を』(1950)、『セプテンバー・ソング』(『旅愁』1950)、『雨に唄えば』(1952)、『マルセリーノの歌』(スペイン映画『汚れなき悪戯(いたずら)』1955)、『トゥナイト』(『ウェスト・サイド物語』1961)など枚挙にいとまがない。クラシック音楽が映画に取り上げられた例としては、1998年のアカデミー作曲賞の劇映画部門を受賞したイタリア映画『ライフ・イズ・ビューティフル』の主題歌(オッフェンバック作『ホフマンの舟歌』)があげられる。 1987年のアカデミー作品賞受賞作『ラスト・エンペラー』では、坂本龍一が同作曲賞を受賞し、日本人作曲家の世界への門を開いた。また、1996年公開の日本映画『Shall We ダンス?』は、ハリウッド映画『王様と私』(1956)の主題歌をそのまま題名にした日本映画で、社交ダンスブームの火付け役ともなった。 なお、劇中で使用される楽曲はサウンドトラック(サントラ)と称され、映画『フラッシュダンス』(1983)、『ボディガード』(1992)、『タイタニック』(1997)のサントラ盤は、いずれも日本国内で100万枚を超えるミリオンセラーとなった。[小川乃倫子] テレビ番組の主題歌目次を見る
テレビ番組の主題歌としては、人気ドラマの主題歌などのほか、『鉄腕アトム』(1963〜)から『ちびまる子ちゃん』(1990〜)に至るまでのアニメ主題歌が圧倒的な人気を博している。1970年代の日本は経済基盤も整い、「もはや戦後ではない」といわれたが、西崎義展氏原作のテレビ・アニメ『宇宙戦艦ヤマト』(1974〜)の主題歌は、日本人の使命感、ロマンを歌って戦中派の共感をも得た。しかし、ひたすら経済成長を目ざす風潮のなかで、主題歌の傾向はしだいに身近な日常生活や愛情、友情といった人間関係を歌うものが多くを占めるようになった。 1976年(昭和51)にロッキード事件が起きたが、同じ年に子供向けテレビ番組「ひらけ!ポンキッキ」からコミカルなナンセンスソング『およげ!たいやきくん』の爆発的ヒット(シングル盤の売上げ400万枚超)が生まれたのは、社会の閉塞(へいそく)感を脱け出したい庶民の願望の表われであったともいえる。バブル崩壊後の99年(平成11)、NHKテレビの幼児向け番組「おかあさんといっしょ」の主題歌『だんご3兄弟』が、語呂(ごろ)あわせのような歌詞をタンゴのリズムに乗せて、大人気を得たのも同じような例といえよう。 一方、1990年代以降、経済重視の結果がもたらした自然破壊への反省や、世界的な文化遺産を取り上げるテレビドキュメンタリー番組も増え、とくにTBSドキュメンタリー「神々の詩(うた)」のテーマ曲(姫神(ひめかみ)作曲)は静かなブームをよんだ。NHKドキュメンタリー番組「プロジェクトX」に提供された、中島みゆき作詞・作曲によるテーマ曲『地上の星』も記録的なロングセラーとなった。[小川乃倫子] デジタル大辞泉の解説
しゅだい‐か【主題歌】 「テーマソング」に同じ。「映画の―」 大辞林 第三版の解説
しゅだいか【主題歌】 映画や劇の中で歌われる,主題と関係の深い歌,あるいは主題を表現する歌。テーマ-ソング。 デジタル大辞泉の解説
テーマソング 《〈和〉Thema〈ドイツ〉+song》映画・演劇・放送などで、作品の主題を基調として作られた歌。主題歌。 大辞林 第三版の解説
テーマおんがく【テーマ音楽】 映画・放送番組などで,その主題や基調を印象づけるために繰り返し流される音楽。テーマ-ミュージック。主題曲。 |
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古希にして、このような疑問を持つとは・・・・・・トホホです。
歌謡曲のことをネットサーフィンしているとこの言葉が気になって!眠れない?
デジタル大辞泉の解説
ひきあげ‐しゃ【引(き)揚げ者】
外国から引き揚げて本国に帰って来た人。特に、第二次大戦後、外地での生活を引き払って内地に帰って来た人。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
引揚者(ひきあげしゃ)とは、第二次世界大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)の敗戦によって、台湾・朝鮮半島・南洋諸島などの外地や、日本から多数の入植者を送っていた満州(法律上は外国)、また内地ながらソ連侵攻によって実効支配権を失った南樺太などに移住(居住)していた日本人で、日本軍の敗北(降伏)に伴って日本本土に引き揚げすなわち帰国した海外在住日本人を指す。「引揚者」の呼称は非戦闘員に対して用いられ、外地・外国に出征し、その後帰還した日本軍の軍人は「復員兵」「復員者」と呼ばれた。
敗戦時には軍人・民間人計660万人以上が海外に在住し、引揚げした日本人は1946年末までに500万人にのぼったが、残留日本人の数や実態については現在も不明である。 世界大百科事典 第2版の解説
ふくいん【復員】
戦時に動員した軍隊を平時の体制に復し,召集した兵員の服務を解くことをいう。1945年8月の敗戦によって日本帝国陸海軍は武装解除され,内地部隊の兵士は召集を解かれて自宅に帰り,外地部隊も戦犯容疑者に指名された者以外は逐次帰国した。天皇は終戦詔書に次いで,8月17日と25日の2回,陸海軍人に対する勅語・勅諭を出して整然と復員を実施するよう要望した。終戦時の陸軍兵力は約547万人であったが,内地陸軍部隊は,まずアメリカ軍進駐地点での摩擦を避けるために8月21日,22日に兵団の移動を行い,25日から復員が開始されて10月15日までに復員業務を担当する陸軍省等を除き約210万人が復員を終えた。 |
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先月末 二日間で約900キロ高速を走りました!
自宅から軽井沢まで 初日
古希を迎えて安全運転を心掛けて…
滑り出しは、巡航速度 80キロで、走り始めました。
スピードの維持が意外と難しい!前後の車両間隔・上り坂・下り坂
後から追いついた車が、ギリギリまで迫ってきて、
車線変更して追い越し車線へ、ドキ!
前の車の速度が、ブレーキランプ点灯なしで、微妙に変化!
50キロほど走行したところで、巡航速度 90キロにあげる。
80キロよりは、注意すべき要素は少なくなったように感じながら…
でも後ろから追いついてきた車の車線変更は相変わらず気になります。
帰路に就いた二日目は、巡航速度を100キロにしました。
追い越す車は、後ろにあまり来ない!追い越す車は、追い越し車線を走行!
走行車線を走っていると、車の集団が前に見えてくる。
追いついたところで、少しスピードを上げて、集団の前に出る。
前後に車のない状態が続き 走りやすい!
甚七の高速道路 巡航速度 100キロ が安全運転!
若いころは、巡航速度 120キロだったが、チャレンジせず!
無事 ドライブを完了
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昭和31年度 卒業 6年6組
クラス会の案内
新緑の候、皆様におかれましては、長寿の証である古希と言われる年齢となりましたが、お元気でお過ごしのことと存じます。
さて、ご案内が遅くなりましたが、本年のクラス会を下記要領により大阪で開催いたしますので、万障繰り合わせて、ご参集ください。
記
日時 平成26(2014)年6月7日(土) 12:00〜15:00
場所 ホテルグランヴィア大阪 20階鳳凰B
大阪市北区梅田3丁目1番1号 電話 06−6345−2581
JR大阪駅中央改札口を出て右手すぐ
会費 ¥10,000円
出欠の連絡は、ご面倒をお掛けしますが、同封の「葉書」にて5月24日(土)迄にお願いいたします。(写真を撮っていただける方がおられましたら、その旨記入お願いいたします。)
尚、宿泊される方は、ご自身で手配してください。
世話人 ISIKAWA KATUKO・INAGAKI TAEKO
IWAKADO TITOSI ・NOSE TAKASI
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〈カ〉
〈うた〉「





