ここから本文です
じゃらんカメラ
興味が湧くと記事が長くなります。飽きずに読んでな〜

書庫「想鄙居」だより

すべて表示



●通り側の出入り口

イメージ 1

腰掛け縁と障子

イメージ 2

●2階

イメージ 3

屋形船床の間

イメージ 4


イメージ 5

・一之間 
 腰折れ吊り天井

イメージ 6

 床違い棚、付書院を構える

イメージ 7


イメージ 8


イメージ 9

窓から港がよく見える。

イメージ 10


イメージ 11


●1階は展示コーナー

・本陣に掲げられた大名の宿札
「細川越中守宿」「細川右京大夫宿」「細川兵部大輔宿」「松平土佐守宿」と読める。
 細川勝元や細川幽斎、土佐藩主たちなども泊まったんでしょうね・・・
 毎年3月〜9月、遅くても10月頃に利用され、全盛期は年に3回ほど大名を迎えた。

イメージ 12

 九州・四国などから多くの大名が宿泊した様子がうかがえる。

イメージ 13

・廻船の交易品

イメージ 14

・「細川侯参勤交代鶴崎入港之図」寛政10年(1758)複写
 江戸から帰国する肥後熊本藩の参勤船団が豊後鶴崎に入港する様子を描いた絵馬。
 大小の藩船に出迎えの船を描いている。

イメージ 15

・「朝鮮通信使室津湊御船備図屏風」宝暦14年(1764) レプリカ

イメージ 16

・本陣の平面図

イメージ 17


イメージ 18


イメージ 19

港側

イメージ 20


イメージ 21


たつの市指定文化財(建造物)

「たつの市立室津海駅館」は、メインストリートに玄関を構え、裏口が港に面して建っています。

近世から近代にかけて、廻船問屋として活躍した豪商「嶋屋(しまや)」の建物を利用しています。
嶋屋・三木半四郎が江戸後期に建てたもので、明治6年(1873)に増築しているとのことです。
館内で伺った話では、土間部分が江戸時代の遺構ということでした。

展示は、想像ですが、本陣「肥後屋」に関した物が多かったように思いました。
室津に6軒もあった本陣は、現在はひとつも残っておらず、ここに遺物を集めて展示しているのだという。
どこか1軒でも建物が残っていたなら、室津がかつてどんなにすごい町だったか、
受ける印象が全く違っていただろうにな〜と考えると、残念ですね。

三木家が豪商だったというのは、
嶋ヤ半四郎が、賀茂神社の近くの端町に所有していた別の2軒の家を、それぞれ
延享4年(1747)河内屋庄兵衛に銀2700貫目で、寛延2年(1749)丸をヤ四郎左衛門に銀4400貫目で売買した記録があることからも分かります。
 ※銀1貫目は、現在の価値で100万円くらいだそうです。


=======================================
この町家は、屋号を「嶋屋」といい、「魚屋(現・室津民俗館)」と並び称された室津の豪商の遺構である。
脇本陣を勤めていたと伝わるように、二階に床、棚、書院や天井、欄間などに手のこんだ部屋を持つ。

現状は間口8間半強、梁行6間、3列9室の巨戸だが、復元すると旧状は間口4間弱、梁行5間の一列型3室の町家である。
主屋の延長線と裏の藏の境とが一致するから、この藏と旧状の主屋とでひとつの屋根を形成していたのであろう。

1階の天井は旧状の部屋が根太天井であるのに対して、増築部分は棹縁天井で発達した居室となっている。
増築部分は高くなっているが、2階の表側(ヤカタフネノマ)を旧部分に揃えて低くしているため、裏側の新座敷との間に段差を生じている。

屋根架構は表から登り梁を、裏からはほぼ水平な梁を中引き梁に架けている。
表桁高は4400mm、二階の天井高は1990mmと低く、2階表の天井下に登り梁が見える

裏の桁高を高くして陸天井を張り、座敷とする。
長押はないが、出書院が付き、座敷の格式は高い。

※通り側の出入り口の大戸や格子は、資料館の開館に伴って旧状に復元したようです。

2階の軒先の出桁は両端を袖壁で、中間は簡単な雲紋を彫り込んだ板持ち送り支え、腰掛け縁はこの出桁から吊り込んでいる。
窓には雨戸と障子を入れる。

イメージ 22


イメージ 23


 「室津〜伝統的建造物群保存対策調査報告書〜」 
                  御津町教育委員会 1987年刊より

     ※海駅館になる前の調査だったので、当時は佐藤家の個人宅だった。
=======================================

イメージ 24


イメージ 25


しかし・・・
こんな小さな港町に、これだけ大名や武士が往来したとなると、
本陣や脇本陣、船宿だけでなく、一般の家も宿を提供したでしょうね。

大名行列は幕府によって人数が定められおり、享保6年(1721)の規定では、
10万石の大名では、騎馬の武士10騎、足軽80人、中間140人から150人とされた。
これは最低ラインで上限はなく、これ以上に誇示したい大名も多くいたそうです。
石高が多ければ、人数も多くなったことでしょう。 
加賀藩では、総勢4000人にのぼったとかナントカ。○_○ ヤレヤレ・・・


イメージ 26



書庫その他の最新記事

すべて表示

  • あさりのジェノベーゼパスタ

    2018/6/17(日) 午前 8:43

    6月17日 (日) きょうは 父の日 だそうですね。 いつもブログをご覧くださっているお父さん達、おめでとうございます 最近は、自分で自分にプレゼントを買うお父さんが多いとか・・・ バレンタイ ...すべて表示すべて表示

  • 兵庫・たつの / 室津港・1

    2018/6/16(土) 午前 10:54

    ∞ 「室津西口」のバス停からは、急な石段になっていて、室津の漁協に出た。 白壁土蔵のある家が「室津海駅館」 昔の回船問屋。                    ============ ...すべて表示すべて表示

  • 兵庫・たつの / 御津町室津の歴史

    2018/6/15(金) 午前 10:32

    ∞ 現在の室津港の様子(HP「兵庫県の港」より) 坂越(赤ポッチ)と室津は、海路ではすぐ近くだが、陸路では困難な道だ・・・                     「室津(むろつ)」は兵 ...すべて表示すべて表示

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事