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じゃらんカメラ
だんだん、ブログが寂しくなっていくな〜

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明治22年(1889)竣工。 岡山県指定史跡
設計・吉田伴平
施工:吉田伊平
構造・規模:木造 二階建 切妻造 桟瓦葺き、231㎡
高梁の地にキリスト教(プロテスタント)が初めて伝えられたのは、明治12年(1879)10月のことである。
当地出身の岡山県会議員であった柴崎宗助らの尽力によって、岡山から金森通倫(かなもりみちとも)が定期的に伝道に訪れた。
続いて岡山県庁の医療顧問でもあった宣教師J・ペリーが新町において医療活動を媒介にした伝道活動を行い、高梁の地に初めてキリスト教の教えをもたらした。

キリスト教への関心が高まっていた明治13年2月、同志社創立者の新島襄が高梁を訪れて4日間に渡る伝道活動を行った。伝道活動は大成功をおさめ、聴衆は連日数百名に及び、この熱気は教会設立の気運を決定づけた。
この時、聴衆の一人であった二宮邦次郎が、その後同志社に学んで、帰郷後の同15年4月、初代牧師として16名の会員をもって高梁基督教会を設立した。

昭和34年(1959)に県指定史跡となたこの建築は、明治22年の竣工で、現存する県下最古の教会堂建築であり、高梁の近代建築の中で年代の判明しているものの中でも最古のものである。

桟瓦葺き、切妻造で、切妻にはようらく様の板飾りをつけ、壁は下見板張、ペンキ塗り、ゴチックの窓柄の中は上げ下げ窓とし、上に三角のぺディメントをつける。基礎は大理石を連ねる布基礎である。

正面車寄せの2階は、菱組天井、漆喰で固めた軒蛇腹とフルーティングを持ったトスカナ式風の二本柱寄せ棟の屋根を支えている。
鐘楼は、県の史跡となったのを記念し、旧札幌農学校を模して付け加えられた。

礼拝堂の内部は改造されているが、白く塗られた板張りの高い格組天井で空間を拡大し、正面に他の教会建築と同じように祭壇を設けてある。
四方を明るいグレーの漆喰壁に囲まれ、両側壁面には頂部を三角形にした高い窓が切られていて、直線を主調にしたシンプルな構成の室内空間は、当時の建築にありがちな装飾過剰に堕することなく、よく抑制されて設計者のセンスのよさがうかがわれる。

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                      ーー岡山県HP「岡山県近代化遺産総合調査報告書」より転載ーー

この教会も久しぶりに見たんですが、鐘楼が札幌農学校を模しているとは・・多分、時計台のことでしょうね。
史跡となったのを記念して付け加えたってところがまた大胆ですね。今では考えられない。

後半4枚は、前に記事として掲載した写真です。今回記事を書き直したので、一緒に載せました。
撮影したのは10年ほど前になります。多少現在の方が経年劣化してますか・・・

10年前では、周囲も変化無しですね。

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                                (柿木町 2010年9月12日)

  • 窓のシンプルな格子が、一瞬、障子のように見えました。座っているのは信者の方でしょうか。日本のクリスチャン人口は少ないけど、根付いているのですね。

    [ そわ ]

    2010/11/3(水) 午前 9:14

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    明治初期にこんな良い教会が出来たんですね。
    純和風に洋式の車寄せを付けた大胆さにポチです。上部に三角をあしらった窓もいいね〜
    ただ、屋根に乗っかった鐘楼はいただけません。札幌時計台ですね。これを失礼ですがダウンロードして写真上から消して見ましたら良いものになりましたよ。初期の設計者吉田伴平さんはどう思うだろうか。

    [  パンチョの落書き帳 ]

    2010/11/3(水) 午前 9:22

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    そわさん、この日は日曜日だったので、礼拝が始まる前に、室内を撮らせてもらいました。

    私などは無宗教に近いんですが、どんな宗教でも熱心な方はいらっしゃいますね。
    特にキリスト教は、毎週教会に通うというのには頭が下がります。

    Architec

    2010/11/3(水) 午前 11:06

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    パンチョさん、この報告書を見るまで、鐘楼が後付けとは思ってませんでしたので、驚きました!
    うーむ「教会らしさ」が欲しかったんですかね? また、県の許可もよく下りましたね。

    デジタルならではの見方ですね・・・設計者も、さぞお喜びでしょう(^^)

    Architec

    2010/11/3(水) 午前 11:15

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  • 今年の夏、べのたろうと備中松山城に行ったときに前を通った気がします。
    目的地が完全に城だったので、歩いてはいませんが、
    きれいな街並みの残る素敵なところでした。

    [ - ]

    2010/11/3(水) 午後 0:15

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    べのすけさん達も高梁に行ってたんですね〜

    私の方は、お城には行けず、町中だけでした。
    昔ながらの天守が残っている数少ないお城と聞いていたので行きたかったですが、なにせ暑くて、挫折・・・・(^^)

    Architec

    2010/11/3(水) 午後 1:01

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  • こんばんは。
    教会の屋根は和瓦だったんですね!
    高梁には仕事で2回ほど行ったのですが
    教会の存在も知らずお城だけしか知らなかったのですが
    お城も時間的に見て回れませんでした^^;
    又機会があれば撮影したいです^^ポチ

    コーラ瓶

    2010/11/3(水) 午後 7:10

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    コーラ瓶さん、明治時代の建物ですからね。新島襄の影響がここにもあったのかと思いました。

    お仕事では、自由な時間が取れないですからね〜、機会があれば、ぜひ、ご覧になってくださいね。
    ポチありがとうございます。

    Architec

    2010/11/3(水) 午後 9:11

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    礼拝堂の趣がいいなあ。。
    静かに祈れる空間。神社も教会も神聖なイメージなのに、なんで寺は違うかな???

    想碧

    2010/11/3(水) 午後 10:07

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  • 和洋折衷というか面白い、而も違和感を感じさせない。

    いいですねぇ。

    houzan

    2010/11/3(水) 午後 10:22

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    碧ちゃん、お寺は飾りが華やかすぎるんじゃない?金銀ビラビラで・・

    死んだら天国に行けるとか、極楽浄土とか、発想は同じだけど、表現がちーと、違うんだよね〜

    Architec

    2010/11/4(木) 午前 7:54

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    houzanさん、城下町にある教会。
    違和感なく溶け込んでいます。

    Architec

    2010/11/4(木) 午前 7:56

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    県の「史跡」に指定されてから、「鐘楼」を後付けするとは、あまりにも大胆不敵な気がしますが、−−−−。

    [ art*ur*0*26 ]

    2011/8/29(月) 午後 3:35

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    artur026さん、コメントありがとうございます。

    昭和34年とはいえ、よく許可されましたね〜?
    私も不思議な気がします。こういうの「蛇足」というんでしょうか?
    でも、今ではこれもコミで記憶してますから・・・(^^)

    Architec

    2011/8/29(月) 午後 6:01

    返信する

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