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じゃらんカメラ
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●旧集成館(きゅうしゅうせいかん)
国史跡(昭和34.02.25)
指定基準: 六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡

●旧集成館機械工場
国指定重要文化財(昭和37.06.21)

慶応元年( 1865)竣工
構造及び形式等: 石造、規模:全長77m 奥行き12、4m建築面積979.8m2、
        一階建、桟瓦葺
所有者名: 株式会社島津興業
解説文:元治元年(一八六四)起工、慶応元年(一八六五)竣工。
    石造で正面77メートルにも及ぶ長大な平屋建である。
    窓は錬鉄製サツシユ、小屋組は木造キングポストトラスで、いづれも我が国最古のものである。
    我が国における初期石造工場建築として文化史的価値がある。

集成館は島津斎彬の創設命名にかかる施設で、軍備充実及び殖産興業のため営んだ、いわば綜合的な工場集団とも称すべきもので、その技術は洋式に則った。 

即ち嘉永5年冬磯邸内に反射炉を設置したのに始まり、ついで熔鉱炉及び鑚開台を設け、更に硝子、陶磁器、農具、刀剣、氷白糖、地雷、水雷等の製造工場を起した。

また、ガス及び電気の試験も行っている。斎彬の死後消長はあったが、造兵事業を主とすることになり、硝子工場を併せ行った。

文久3年7月薩英戦争のため反射炉を除き焼失、戦後は各砲台の大小砲、砲彈の製造に從い、遂に反射炉は取壊され、鑚開台も破損した。

ついで機械製造工場を作ることになり、元治元年10月工場の建築に着手し、慶応元年4月、轆轤台、鉋台、捻製作、道具等の据付を終った。またついで英国よりも機械を購入したといわれる。 

集成館の敷地は磯邸の西に隣り、背後に山を負い、前面は海に面する。
現存の遺構は旧機械製造工場1棟と反射炉跡である。前者は敷地の西部に、後者は東部にある。 

機械製造工場は寄棟造の石造平家建で正面約42間、奥行約7間、極めて細長い建物である。
内部は広濶な部分及びこれと間仕切をもって境した部分の2室から成っている。

 反射炉は低い壇上にある。嘉永5年建設の反射炉は煉瓦の土貭悪るく、改修して安政3年春1基竣功、ついて同4年夏更に1基を増設したが、現存のものはその後二者の一つであらう。

約28尺に約25尺の広さを深さ約3尺乃至4尺堀り下げ、切石をもって構築された遺構が存するが、竈部煙突部はすべて失われている。

その機能については詳でない点もあるが、2竈1基の基礎と灰孔部等と推定され、また三方に暗渠がめぐっている。

 集成館の事業は明治2年9月に中止し、廃藩置県後は官有となり、大砲製造所と改称した。

その後軍有を経て民間に払下げられ、消長はあったが機械製造工場として使用、大正4年6月に至って中止した。同12年6月尚古集成館と称せられ今日に至っている。


 幕末においては、各藩はそれぞれ軍備の拡充と産業の振興につとめたが、薩藩は鋭意西洋の技術を導入し、その設備の充実せる、製造品目の豊富且つ独自なる、当時において極めてすぐれている点が多かった。

いま盛時の遺構に乏しい憾があり、また改変のあともあるが、なお往時の景況を偲び得べく学術上価値ある遺跡である。

現在の「尚古集成館」は、大正12年(1923)に開館した、島津家伝来の史料を中心に約1万点を収蔵し展示する博物館。尚古集成館の本館は、慶応元年に造られた集成館・機械工場である。

幕末、薩摩藩主・島津斉彬は欧米列強による植民地化を防ぐべく、別邸「仙厳園」の隣接地を切り開いて多くの工場を設立する。日本最古の近代洋式工場と呼ばれている。
この工場群を「集成館」と呼んだ。

島津斉彬によってつくられた集成館の工場群は、薩英戦争でほとんどが焼失してしまった。

その後、元治元年(1864)薩摩藩主島津忠義によって、集成館の復興が着手された。
はじめに機械工場の建設が行われ、蒸気機関と近代的な工作機械の導入が行われた。

ここでも、緻密な石組みが見られます。
アーチを採用した石造洋風建築としては日本で最初のもので、操業開始当初から「STONE HOME」と呼ばれていた。

設計にはイギリス人が携わったのではないかと考えられていますが、施工したのは日本人。

基礎部分が、神社や寺院に見られる「亀腹(かめばら)=(社寺建築などの基礎部分や鳥居の柱の下、多宝塔の上下層の間に、白漆喰などを固めてつくった饅頭形の部分)」の技法だといわれています。
斜めに張り出した石組みは、教会建築で見かける物と似ていますが、和洋折衷のようで面白いです。

内部の撮影は禁止ですが、外国から輸入された機械や大砲、薩摩切り子などが並んでいます。

                                (吉野町 2011年10月21日)


*図は「鹿児島大学 薩摩のものづくり研究 薩摩藩集成館事業における反射 炉・建築・水車動力・工作機械・紡績技術の総合的研究」より転載


  • ここはよく覚えています。
    内部写真不可だったですかね。

    しかし見事な建物ですね。 ポチっと。

    houzan

    2011/12/5(月) 午後 5:46

    返信する
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    houzanさん、さすが工場だけあって、大きな建物ですよね。
    はい、カメラ×マークがついてました。お宝が展示してあるからでしょうか?
    昔の薩摩切り子はとても良かったです・・・
    ポチありがとうございます。

    Architec

    2011/12/5(月) 午後 7:36

    返信する

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