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じゃらんカメラ
秋は深まるのか?

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●日和山
 フェリーターミナルの正面に立つ。
 ちなみに、小木ー直江津の航路は、国道350号線の海上国道である。

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●城山
 小木港に突き出て、外の間と内の間を分けている。
 現在は「城山公園」となっている
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●外の間

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●内の間

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佐渡には港が多いが、
順徳天皇、日蓮、世阿弥が配流されて、佐渡に上陸したのは、松ヶ崎だった。
松ヶ崎は平安時代以来の国津(国が定めた港)であり、江戸時代初期まで寺泊からの渡海地だった。

しかし、松ヶ崎は次第に衰退していく。
代わって寺泊からの渡海地になったのは赤泊である。
現在も、寺泊ー赤泊のフェリーが就航している。

18世紀以降佐渡奉行の上陸地となり、幕末まで赤泊に一泊して奉行所のある相川へ向かうコースが取られた。

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北前船の時代になると、最も栄えたのは南西端に近い小木だった。

小木は、中央に「城山(しろやま)」と呼ばれる岬があり、
東側はフェリーが発着し、たらい舟で遊べる小木港、昔の「外の間(そとのま)」
西側は小木漁港、昔の「内の間(うちのま)」に別れている。

江戸時代は、外の間に250艘、内の間に150艘の収容力があり、風向きによって使い分けられたという。

慶長19年(1614)大久保長安が佐渡代官となり、小木を渡海場と定めたのが、小木開港の始まりであった。

河村端賢が西廻り航路を開拓した際に、公式寄港地と定めたことから小木の発展が始まった。
その後の発展には他の理由もあった。

大船が碇泊できる外の間で、越後の天領米(御城米)が積み替えられた。
地元の船は二百石程度の船が多く、入港する上方の千石船を待ったのである。

さらに、18世紀中頃、小木に入港した順に、新潟へ米を積みに行く定めが出来た。
新潟港の混雑を防ぐ処置で、御城米と藏米の集まる新潟へ向かう船が順番待ちで小木港を埋めることになった。

とにもかくにも、北前船最大の荷は、各地の米と蝦夷の昆布・ニシンの〆粕でしたが
新潟の米ってすごい!

慶長〜元和にかけて、相川金銀山が盛りとなり、4万人に近い金穿り達が、
この地に押し寄せ、人の往来と物資の陸揚げで小木港は大いに賑わった。

小木港からは、相川の金も出雲崎に向けて積み出された。
第10代佐渡奉行・竹村九郎右衛門は相川、小木街道の道路整備及び港湾整備を行い、江戸への金銀輸送ルートを確立。
相川より運ばれた御上納金銀は、いったん渡海の日まで木崎神社(后神社)社殿に保管され、日和待ちの後、出雲崎へ渡海。江戸へと旅立った。

「海運資料館」にある地図によると、さすがに小木港の守りはガッチリです。
「御座の間」という専用の碇泊地はもちろん、御番所や城で周りを固めていたことがよく分かります。

金銀を目当てに押し寄せて来る人や物、北前船の入出航で溢れかえる港・・・
その賑わいは想像を越えるものだったでしょうね。

江差では、ニシンの捕れる春「江差の五月は江戸にもない」というほど賑わった
佐渡は、おけさに「小木は間でもつ 相川 山でよ・・・」と謳われているそうです。


享和2年(1802)11月15日、5ツ時、小木を中心に大地震が起きた。
この地震で、小木では3尺以上(1mあまり)の隆起、徳和村より岩首村では逆に地盤沈下が起きた。

これによって、小木港は干潟となり、船着場としての機能を失った。
そこで、佐渡奉行所は港としての機能を回復させるため、幅10間、長さ5町、深さ6尺余りの堀「三味線堀」を作って船着き場とした。
その後、その堀は埋め立てられ、花街となったそうです。


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両津港については、夷港が幕末の開港と共に新潟の補助港として指定され、
外国船の係留地となり、一転して発展した。
現在は、新潟とを結ぶフェリーが就航し、佐渡の表玄関となっている。


*外の間・内の間は、便宜的に「間(ま)」を使いましたが、
 正しくはさんずいのつく漢字です。

                        (小木町 2014年9月8日)


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    小木の町並みも見てみたかったなぁ。

    ナイス!

    houzan

    2014/10/18(土) 午後 6:14

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    houzanさん、ナイスありがとうございます。

    特に宿根木には行ってみたかったでしょう?
    今は、人気がある所ですからね〜
    行かなかったということを知って、私も信じられなかったです。

    Architec

    2014/10/18(土) 午後 7:16

    返信する
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    小木港は城山が突き出ていて景色が良さそうですね。内澗外澗と独特な呼び方もあって地域性を感じます。航空写真を眺めても港の良さが窺われます。
    小木直江津間が海上国道350号線だったとは知りませんでした。海上にも国道があるんだねー。
    宿根木直江津を地図上で真南に下がれば御前崎付近になります。鳥になって飛べば案外行けるかな。 削除

    [ donpancho ]

    2014/10/19(日) 午後 0:02

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    パンチョさん、よく佐渡の風景写真に出て来る、岩に掛かる赤い太鼓橋なども近くにあるんですよ。
    もう少しバス待ち時間があれば、行けたかもしれませんが・・・まぁ、いいやね〜

    海上国道は全国に10箇所以上あるようですよ。
    かつての青函連絡船もそうだったかな?

    直江津から電車では、ひたすら南下すればウチの所になりますが、地図で直線で北上してみてみたら、柏崎のあたりでしたから、そうなるんでしょうね。

    Architec

    2014/10/19(日) 午後 3:11

    返信する
  • 城山公園から望む展望と思い登ったのですが越佐海峡の眺めは残念ながら背の高い草木に覆われて見ることが出来ないんですよね〜

    宿根木には腕のたつ船大工が多くいたので今で云うドック(船修理)みたいな役割を果たしていたことでしょう

    [ marugarycho ]

    2014/10/22(水) 午前 1:34

    返信する
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    城山公園は海の眺めがいいかもと思いましたが、そうでもないんですか?

    そうそう、宿根木はそんな場所だったみたいですね。
    宿根木の家も船大工が建てたと言いますからね。

    Architec

    2014/10/22(水) 午前 7:36

    返信する

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