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1979年刊行のちょっと古い本なのですが、逆に、時代を反映した良さがあります。 敗戦国のコンプレックスの塊のような著者が、戦勝国アメリカのなんたるかを見極めてやろうという凄味のようなものがあるのです。 1953年からスタンフォードとバークレーに留学した著者は、「創造の方法」を身につけた国アメリカとそうでない国日本という大きな違いを実感し愕然とするわけです。 そこで、その方法を伝えるべく著したのがこの「創造の方法学」です。 しかし、今回改めて読み直してみて、こんな記述に出くわしました。 (著者の最初の留学先、スタンフォードのコミュニケーション学部で行われるような)心理学やコミュニケーション研究のように厳しい実験的方法を用いる分野においては、研究に関する現象のうち、「原因」となる現象と「結果」となる現象との区別は、常に明確に規定されている。・・・しかし社会学や歴史学になると・・・どの現象が「原因」でどれが「結果」であるか、実験のように明確に規定できない場合が多い。そこでこれらの要素を確定しないまま研究を進める場合が出てくる。そのためであろう。バークレーの社会学部に移ってから私はしばしば、社会の研究における「記述」と「説明」とは本質的に異なるものであるという議論を、聞くようになった。(p.39) 現象を記述するだけでなく、なぜそうなったのかという問題を設定し、原因を特定して、証拠を集めて実証する。ここまでやって「説明した」と初めて言えるわけで、説明は知的創造のための最も基本的な行為です。 この引用から分かるのは、たとえアメリカでも、「説明」ということが、生得的に、あるいは家庭環境などの中で自然と身につくものではなくて、教育の場で教えられて身につくものだというわけですね。 となると、著者のいう、戦勝国アメリカと敗戦国日本の違いというのは、創造の方法を身に付けた国とそうでない国という単純な話ではなさそうですね。 むしろ、創造の方法を身につけさせる教育システムを持った国と持たない国ということになるのでしょう。 この本が出版されてから30年たつわけですが、日本にはいまだにそれが確立されていないと私は思います。 なんとかしたいですね。 今年度は、それがどこまでできるでしょうか。
週明けから新学期の講義が始まります。 |
Book Review
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先生、おはようございます〜〜!
今日は稀な日曜日の休日なんです。(うれし〜〜!)
でも、別段なにをするって事もないですね。(^_^;)
以前、それもかなり前に読んだ本の中に実は根本的な問題提起をしてくれている物が案外あるんですかね。
ちょっと立場が変わってきたりすると、そんな以前は「サラリ」と読んでしまってた所が引っ掛かってきたりするものなんでしょうか?
電子書籍がもてはやされているこの頃、私はたとえ「積読」であろうとも、やっぱり手元には、「紙」を置いておきたいですよ。
教授の様な事が手軽に日常的に出て来るかも知れませんからね。
(*^。^*)
2010/4/11(日) 午前 10:53
ウプサラ太郎さん
ありがとうございます。
読んでみますね♪
2010/4/11(日) 午前 11:10
なおさん
そうですね、それはあると思いますね。
ビジネス書なんかは、大学生のころ読んでピンとこなかったものが、お仕事されてから読むと実感を持って読めるなんてことがあるでしょうね。小説みたいなものでも、夏目漱石なんかは中学校で読まされたりするけれど、「中学生に分かる話しか?」という感じもしますね。
積読もとっても大事ですね。特に見えるところに本があると、「ああ、これ読むつもりでまだ読んでないなあ、読まなきゃなあ」と危機感をあおってくれますからね(笑)
2010/4/11(日) 午前 11:16
私は昨日こんな本を読んでましたよ!
「音楽家のためのアレクサンダー・テクニーク入門」
例えば腰痛があったとしたら、腰痛は結果で、それの対処療法をしただけではだめだ、原因を探り、根本的な習慣を変えて行くことが大事だ、みたいなことが書いてあるのよ^^)
これも学生さんに役立ててくださいね♪(なーんて♪)
2010/4/11(日) 午後 2:07
新書は読みごたえある文庫が多いですね♪
30年経っても、日本にはいまだにそういうところは確立されていないですね。
2010/4/11(日) 午後 4:37
こちらでは原因と結果とそれにいたる過程を説明する、論理的に相手を説得するっていうのは、クルーシャルな気がします。それが出来ないと、誰にも相手にされないです。
だからだと思いますが、大学に入る前の段階でディベート(2つの立場に分かれて議論をする)とか、プレゼンとか、グループワークとか、かなりやらされますね。おかげで学部生の授業でさえ、発表する意見を聞いていると、上手にまとめて話します。なかでもアメリカ人の学生はリーダーシップのとりかたが抜群に上手いコがいます。どうやって教育しているんだろう、と思うほどです・・・。
こういうと「まぁ外国だからね」という方がおいでですが、こういう教育を受けたことは、日本での仕事でも役立ちました。大事だなぁって思います。機会があったら読んでみたい本です。
2010/4/11(日) 午後 6:43
まじめなブログを投稿することもあるんですね。
ちなみに、前回のブログで森永なのに、明治の飲むヨーグルトが出ていたとありましたが、森永と言っても、森永乳業がやっているわけではなく、森永と言う会社(商店)がやっているのです。
規模は分かりませんが、全国規模かどうかはわかりませんが、少なくとも江田島も三瓶も同じ業者です…。残念でした!!
2010/4/11(日) 午後 9:24
プリッツさん
学生に伝え・・・るかもしれませんが・・・(笑)
2010/4/11(日) 午後 9:39
kittyさん
そこなんですよ。
もっとも最近は「それが大事だ」という問題意識だけは、浸透してきている気がします。
もう一歩なんですけど、もう一歩が難しいんでしょうね。
2010/4/11(日) 午後 9:41
めぐみぃさん
そう、それはどこの世界でもクルーシャルなはずなんですよ。
仕事するときだって、こういう能力が絶対必要になるはず。これもめぐみぃさんのおっしゃる通り。
しかし、日本では、依然として何を知っているかばかりが重視されて、その知識を使ってどんな問題を解決するかということが問われることが少ないですね。
学会発表なんかでも、記述的なものが多くて、So What?!ですよ。
・・・と、あまり言うと自分にかえってくるので、この辺で(^^ゞ
2010/4/11(日) 午後 9:45
オキさん
私が常にまじめなのはだれよりもご存知でしょう(笑)
で、そうですか、あの森永は森永乳業ではないのですね。
知らなかった・・・
ま、セミナー中はつかれていたということで・・・(^^ゞ
2010/4/11(日) 午後 9:47
9:28の内緒さん
なんと、そうだったのですか!
知りませんでした。
ぜひまたいろいろ教えてください♪
2010/4/11(日) 午後 9:48
kolbの経験学習モデルを思い出しました
野中郁次郎先生のSECIモデルにもちょっと似ているか
プロセスを内省して持論化したり形式知化して初めて意味があるというやつ
意味論をしっかり理解しないと自分のものにならない、それが理解できていないと論理的な説明もできない
細井ゼミらしい記事でした^^
2010/4/11(日) 午後 10:29
ヒロシ!さん
そうですね、形式知化と特に関連する話ですね。
それにしても、お仕事忙しいのに、よく勉強されてますね。
とてもバーミヤンで8人も集まってオフ会していた人とは思えません。
スーパービジネスマンのヒロシ!さんらしいコメントでした(笑)
2010/4/13(火) 午前 0:10
記述と説明は、社会現象について言及しようとするときはあいまいになると思います。因果関係が証明できることが少ないので。養老先生のように「ああすれば、こうなる」と言えることは少ないと思います。
2010/4/13(火) 午前 0:14 [ みけねこ姫 ]
みけねこ姫さん
そうですね。
ただ、説明を放棄しては何事も前に進まないので、難しいなりにどう折り合いをつけるかということを考えないといけないんでしょうね。
社会科学を学ぶものにとっては永遠の課題かもしれません。
2010/4/13(火) 午前 0:21
学問的な書き込みでなくて申し訳ないです。日本は、欧米の技術を真似てそれをとことん磨きあげてきました。
その為に質の高い労働者を育成するシステムが必要だったのだと思います。
これからは、1+1が何故2になるかを考えさせる教育が必要ということなのでしょうね。
2010/4/13(火) 午後 7:45
『日本辺境論』は当たっているかも
2010/4/13(火) 午後 7:47
かわしりさん
そうですね、そういうモノマネ段階を早く卒業しなければと盛んに言われるようになったのも、この頃だとお見ます。
30年たって、そういう問題意識は浸透しましたね。
実際、一部かしこい人はそれができるようになっている気がします。
しかし、そういう賢い人を育てるシステムはまだまだかなと思います。
2010/4/13(火) 午後 11:45
かわしりさん
勉強不足ですみません・・・今度読んでみます(^^ゞ
2010/4/13(火) 午後 11:46