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今日もまた、美味しいお好み焼きをいただきました。
外観は、どことなく可愛らしい感じのする、きれいなドーム型。

お味のほうも、やはり可愛らしい・・・といったらおかしいですが、やさしい味ですね。
薄味で、素材の味をしっかり生かした、美味しいお好み焼きです。
薄味でも、ちゃんと美味しいのには、わけがあるんですねぇ。



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薄味でもちゃんと美味しいのは、おそらく、このとろろ昆布のおかげでしょう。
とろろ昆布を使う店は他にもありますが、こんなにたっぷりとろろ昆布を使う店は見たことがありません。
これだけたっぷり使ってあると、全体にしっかり、とろろ昆布の味がするんですね。
だから、薄味で仕上げても、旨味があるんですね。
素材それぞれの味が生きていて、とっても美味しいです。



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さてさて、実はね、今日はお好み焼きを食べに行っただけではないのです。
実はこちらの「新ちゃん」さんは、お好み村の理事長さんなんですね。
オタフクソースの特命部長Hさんにご紹介いただいて、お好み焼きや、お好み村の歴史を探るため、いろいろお話をうかがってまいりました。

奥から貴重な資料をいろいろ出してくださいましてね。
この写真は、1967年にできた初代のお好み村。(ただし、通りの上にかかるアーチは、初代のものではなく、後に建て替えられた新しいものです。撮影も、おそらく70年代に入ってからでしょう。現在ではまたさらに新しいアーチになっています)。
この建物は、1990年に取り壊され、1992年に現在の建物に変わります。現在は鉄筋コンクリート7階建てで、お好み焼き屋さんが3フロアで、それ以外にもいろんな飲食店が入った複合ビルになっていますが、この写真の旧建物はプレハブ2階建て。



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そのプレハブ2階建ての前は、御覧の通りの屋台村。
西新天地、現在のアリスガーデンのあたりですね。
奥のコンクリート造りの建物が、現在パルコがあるあたり。
手前の、広場のように見える土の部分は、広場ではなく道路の突き当たりなんです。
当時は、道路も広場も土ですから、どこが道路やら、広場やら、分かりにくいわけです。
雨なんか降ると、どろどろになるので、屋台の前には板を渡して、そこを歩いていたそうですよ。

で、この広場のように見える道路の突き当たりの部分というのは、現在の並木通りのロータリーのところです。写真下側から並木通りが伸びてきて、ここで行き止まりになるわけですね。
不思議な道の構造ですが、そもそもここは運河が掘られていたのを埋め立ててこうなっているのですよね。

他にも、貴重な写真を何点か見せていただきました。



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そして、なんと、わがまま言って、屋台時代のお好み焼きを再現してもらいました。

戦後すぐのお好み焼きは、野菜のみだったようですね。
それも基本的にキャベツだけで、もやしが入るのもだいぶ後になってからのようです。

生地をクレープ状に引いて、その上にキャベツをのせて、つなぎの生地をかけて、天かすをのせる。
旨味の出る食材と言えば天かすくらいで、あとはほんとにキャベツだけですね。



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これを焼いて、ソースを塗って、二つに折って、またソースを塗る。

これを鉄板から直接ヘラで食べるわけですが、新聞に包んで渡すこともあったようです。

戦後すぐは、これが15円くらいだったようですね。
ちなみに、H部長の話では、市内中心部を離れると、これより少し安くて10円のだったのではないかとのことでした。
H部長のお住まいの近くでは、これで10円、うどんを入れると35円だったそうです。



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御覧の通り、具はキャベツだけです。

でも、これが予想以上に美味しかったです。
キャベツの甘みが良くわかるんですね。

それに、二つ折りにしているから、キャベツの上も下も生地で、二つに折った間にもつなぎにかけた生地がありますから、結構もっちりした食感があるんですね。
チヂミに近い食感ですね。

そして、次第にこのキャベツの上に重ねる具材が増えていき、二つ折りにすることができなくなって、現在の広島風お好み焼きになるわけですね。


戦後すぐがこういうお好み焼きあったというのは、話には聞いていたのですが、やはり実際に食べてみると、しっかり実感が持てますね。
しかも、その時それを作っていた方の手で、その時のものを再現していただくなんて、感激です。



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と、話していると、理事長さん、一銭洋食も作ってくださいました。

戦前は、具材というより生地がメインの一銭洋食。
生地がメインのものなので、もう一回り生地が大きかったとのことでした。
また生地がメインなので、鰹節で味をつけるようです。(今日は削り節)
ネギもほんとはもっと少なかったそうですが、今日はサービス(笑)
そして、天かす。



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これをひっくり返して、こんがり焼きます。

こんがり焼けたら、もう一回、表に反して、、、



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ソースを塗って、、、



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二つ折りにして、もう一回ソースを塗る。

これを新聞に包んで渡されるのだそうです。
新聞紙が張り付いたり、新聞紙をはがすと文字が写っていたりするらしい(笑)

この一銭洋食というのは、戦前のもので、戦争とともになくなって、戦後は復活しなかったようですね。
というのは、一銭洋食はもともと駄菓子屋などで売られる子供むけのお菓子で、戦後は大人の食欲を満たすきちんとした食事になる食べ物が求められたということのようですね。



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でも、この一銭洋食、今復活させたら、結構売れる気がします。

具材が少なくて、ほとんど生地なんですけど、食感はまさにチヂミそのもの。
実は関西風のお好み焼きも、その直接の祖先はこの一銭洋食なのですが、これを食べていると関西風のお好み焼きに発展していくのも分かる気がします。

広島風も関西風も同じ祖先を持っているということが実感できる、面白い食べ物です。



さて、ここまで読んだ方は、ぜひもう一度1枚めの写真を見てみてください。
この一銭洋食のネギがキャベツに変わって、もやしや、豚肉やキャベツが入って、ついにはうどんやそばが入るようになって、もはや二つ折りにできるものではなくなって、現在のお好み焼きになるわけです。
重ねるものが多くなってくると、火の通りを良くしようと、ぎゅうっと押さえつけて平らなお好み焼きを作る店も増えてきます。
しかし、こちらのお店では、上手く蒸気を含ませて、じっくり蒸しあげる方法をとってきた。
だから、あんなふうにドーム型になるのです。
すごく今風のドーム型の外観なのですが、もう50年近く前からこの形なんだそうですから、これはもうまさにドーム型のパイオニアと言えるでしょうね。

こんなことを考えて1枚めの写真をもう一度見てください。
そうすると、1枚めのお好み焼きの、あの高さが、積み重ねてきた歴史を表しているようで、また一段と美味しそうに見えてくるでしょう。


理事長さん、今日はたくさんわがまま聞いていただいて、ありがとうございました!



新ちゃん
広島県広島市中区新天地5-13 新天地プラザビル お好み村 2階 奥
082-248-0188
http://www.okonomimura.jp/floor/2f-shichan.html
http://r.tabelog.com/hiroshima/A3401/A340101/34002527/




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閉じる コメント(28)

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あー、昔よくお祭りで食べた、屋台のお好み焼きにそっくり〜
ルーツは広島にあったんですかね。
1967年って私が生まれた年です。
あの写真すごい〜

2012/2/12(日) 午後 9:03 maiu_zokutyou 返信する

お好み村、ずっと前に行ったことがあります。出張の夜、広島支店の方が連れて行ってくれました。半分に折ってはなかったですが・・・おいしかったなあ。

2012/2/12(日) 午後 10:14 [ みけねこ姫 ] 返信する

一銭洋食って、これだったんですね。
広島に来て初めて入った?と言うか、座ったお好みが、実は新ちゃんでした。
理事長さんの店だったんですね。
すごいボリュームで、腹いっぱいになったことを思い出しました。
お好みの歴史など、ホント勉強になりますね。
ありがとうございます! ポチッ☆

2012/2/12(日) 午後 11:48 き〜よ 返信する

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懐かしい写真ですネェ

ただ、小さい頃は、近所にお好み焼きやさんが何軒もあったので お好み村までやってくることはなかったですネェ

まだ、そばなんかが入る前で 必ず半分に折ってましたね。

2012/2/13(月) 午前 2:13 ○丸ちゃん○ 返信する

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Natです。はじめまして。m(uu)m

先日はNatのブログにご訪問をありがとうございました。


完成したお好み焼きに、生ネギどっさり・・・!
しかもモヤシ入れ!!とろろ昆布も入れる!!!


いきなり衝撃的な内容を拝見しました。さすが、本場ですね。


お好み焼きは、広島風と関西風(大阪風)があるように思いますが、
Natは断然広島風が好みです。
家でNatが家族に振舞うのも広島風です。

Natが小学生の頃、その頃住んでいた三重県桑名市の駄菓子屋さんで、
10円、20円、30円お好み焼きというのがありました。
たこ焼きは3個で10円。

古き良き時代でしたね。(笑)

2012/2/13(月) 午後 10:15 [ Nat ] 返信する

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ぷち助さん
そうそう、二つ折りが多かったようですね。
今でも呉にはだいぶ残っているようですが、広島市内では見かけませんね。
本もね、出したいのはやまやまですが、調べれば調べるほど、謎が深まるのですよ(苦笑)

2012/2/14(火) 午前 0:37 Hosoi 返信する

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にゃーごさん
これがまた、調べれば調べるほど、謎が深まるのですよ。
といっても、いつまでも食べ歩きばかりというわけにもいかないので、今年は、一部でも、論文にようと思ってますけ。

2012/2/14(火) 午前 0:39 Hosoi 返信する

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ジーナさん
そうそう、呉は今でも二つ折りが多いらしいですね。
お好み焼きは、海軍が持ち込んだピザに由来するという説もありましてね、広かんらんというキャベツの固有種もあるようで、、、まぁ、あまり有力な説ではないので、後回しにしているのですが、いつかそのあたりも確認しておかなければとは思っているのです。

ほんと、調べることがたくさんありすぎで、、、(^_^;)

2012/2/14(火) 午前 0:42 Hosoi 返信する

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なおさん
そうですね、写真で大きさを伝えるのは、なかなか難しいですね。
比較対象物があると分かりやすいというのも、比較するものや置き方によっては、錯覚でかえって実際の大きさが分からなかったり。。。

それはともかく、そうなんです。
こういう昔からの店は、観光お客相手のまがい物みたいなモノはつくらないので、嬉しいですね♪

2012/2/14(火) 午前 0:45 Hosoi 返信する

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なおさん
白黒の写真は、もっと古いですね。
この写真の正確な撮影年代は不明ですが、昭和30年代と思われます。
東新天地にお好み焼き屋台が登場するのが1950年(昭和25年)、屋台村が西新天地広場(この写真に写っている現在のアリスガーデン)へ移転するのが1957年(昭和32年)です。1960年には、屋台村がいったん立ち退きますから、この写真は1950年から60年までのどこかで撮影されたはずです。
背景はというとね、、、なかなか色々ありますよ。
それは、まぁ、またの機会に。

2012/2/14(火) 午前 0:54 Hosoi 返信する

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D-dayさん
この2階建ての建物は1967年にできて1990年まで使われましたから、おそらくD-dayさんが行かれた当時も2階建てだったのではないでしょうか?
もっとも、2階といっても、棒きれを渡してその上に板をはったという簡単な作りで、風が吹くと怖かったと言いますから、2階と呼べるほどではなかったのかもしれませんけどね(笑)

2012/2/14(火) 午前 0:57 Hosoi 返信する

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ヒロシ!さん
ええ、そうなんです。
当時はまだお好みソースがありませんから、ウスターソースだったという違いがありますけどね。
それに、当時のままに具材を少なめに入れたつもりでも、現在の習慣でつい多めに入れてしまうというあたりも違うようです。
でも、意外と美味しいですよ♪

2012/2/14(火) 午前 0:59 Hosoi 返信する

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かめさん
ね、食べたくなるでしょう♪
ぜひ召し上がってください!!

2012/2/14(火) 午前 0:59 Hosoi 返信する

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zokutyouさん
そうそう、お祭り屋台のお好み焼きって、こういうあたりがルーツかもしれません。
もっとも、一銭洋食は西日本全体にあったはずで、関東ではほぼ同様のものでどんどん焼きというのがあったはずです。
ですから、広島がルーツというよりは、これが全国のお好み焼きの共通の祖先ですね。
戦後はこれに小麦粉を増量した、関西風の混ぜ焼きが登場し、全国的にそれにとってかわられます。

広島風はルーツというよりは、生き残りですね。
広島にだけ生き残って、固有の発展を遂げたという、「ガラパゴス化」です。

2012/2/14(火) 午前 1:02 Hosoi 返信する

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みけねこ姫さん
次回、お越しの際には、お連れいたしますので、ぜひお声をおかけください♪

2012/2/14(火) 午前 1:03 Hosoi 返信する

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き〜よさん
おお、初めて入ったお店が新ちゃんとは!
由緒正しきお好み焼きを召し上がられたわけですね。

ちなみに、初代の理事長さん(村長さん)は、また別の方で、こちらは2代目の理事長さんなんですが、初代と同じ、お好み村第一世代で、広島風お好み焼きのパイオニアのお一人です。

2012/2/14(火) 午前 1:06 Hosoi 返信する

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丸ちゃんさん
おお、そういう昔のお話、ぜひうかがいたいです!
今度お好み焼きでも食べながら、当時の思い出を語ってください!

2012/2/14(火) 午前 1:07 Hosoi 返信する

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Natさん
コメントありがとうございます。
一銭洋食や、戦後すぐのお好み焼きまでは、全国的に存在していたのではないかと思います。
そのあと、小麦粉を増量して混ぜてしまう関西風が出てきて、全国的に関西風に撮って変わられます。
クレープ状の記事の上に具材を重ねていく「重ね焼き」は広島風だけが唯一の生き残りと思っておりました。
それが、名古屋にもあるという、しかも広島とは違った形で残っているという、Natさんのブログの記事を拝見した時は、衝撃でした!
100円お好み焼きのレポート、今後も楽しみにしております!!

2012/2/14(火) 午前 1:10 Hosoi 返信する

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私の実家は広島市内ですが、そうえいば子供の頃は2つ折、ありました。特に持ち帰りがそうだったなー。
そうするとお皿にのるからだと思うんですが、確かに最近は見ませんね。

2012/2/18(土) 午後 4:40 めぐみぃ 返信する

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めぐみぃさん
そうそう、二つ折りは、そういう理由もあったようですね。
特に一番最初の一銭洋食の頃は、新聞紙に包んでテイクアウトするというものだったようですね。
最近でも、呉では二つ折りがだいぶ残っている層なのですが・・・調査不足で、いまだいただいたことがありません。
近いうちに調査に行きたいと思います。

2012/2/27(月) 午前 9:27 Hosoi 返信する

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