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1月5日のブログでご紹介した、エレーヌ・グリモーの「ベートーベン:皇帝&ピアノ・ソナタ28番」ですが、もう一回紹介させてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kn_hosoi_hue/12392454.html
1月5日のブログでは、「皇帝」のほうばかり解説しましたが、28番のほうをこそ、ご紹介すべきだったと思うのです。何度聞いても聞きあきない演奏で、iTuneの記録を見ると、すでに今月だけで40回聞いているのです。
楽譜にフォルテと書いてあれば、フォルテで演奏するのは、演奏者の義務でしょう。
しかし、作曲家が楽譜にすべてを書き込めるわけではありません。
フォルテといっても、人を威嚇するようなフォルテもあるし、雄々しく包み込むような雄大なフォルテもあるのです。
この辺をどう演奏するかは、演奏者の解釈に任されるほかないわけです。
そこで多くの演奏家は、作曲家の意図をくみ取ろうと、作曲家の伝記を読んだり、作曲家の生きた場所を旅したりします。
こうして聞き手のほうは、演奏家の「解釈」を聞かされることになるわけです。
そうなると、その解釈次第で、同じ曲でも退屈な曲に聞こえたり、滑稽な曲に聞こえたり、何の感想も持てないようなよくわからない演奏に聞こえたりします。
で、このグリモーの演奏する28番ですが、「なるほどこういう曲だったのか」と、腑に落ちる演奏でした。
ふつう、この曲の演奏は、「ドイツ的」というんでしょうか、第一楽章で鬱々と悩むベートーベンが、第二楽章で発狂して、第三楽章にかけて疾走するという、きわめて男性的、しかも荒々しい演奏がほとんどのように思います。そういう演奏は、激しい部分こそパワーにあふれて実にいい音楽だけれども、静かな部分の存在の意味がわからなくて、気がつくと終わっているという演奏が多いように思います。
グリモーの演奏は、男性的というよりはむしろ女性的な強さという感じでしょうか。第一楽章は優しくゆったりとした朝にキラキラと朝日が差し込むように美しく奏でられ、第二楽章からは、まるでその美しい朝に目覚めて、夜の間に見ていた夢がどんどん叶っていくような、明るくて軽やかな旋律があふれ出します。弱音は、鬱々とせずむしろ優しくゆったりとして、強音は、フォルテシモでも威嚇するようなところが一切なく、清々として輝きを増す。そんな演奏です。これなら、全曲通して一貫性があり、「意味のない部分がない」という気がします。こういう曲だったんだなと腑に落ちました。
1月5日にご紹介した時にも書きましたが、ほんとにこの写真の目のような演奏です。
※もっとも、いろいろ検索をかけると、このCDにも賛否両論あるようですね。ベートーベンらしくないといえばないのかもしれません。あるいは、CDを再生する環境にもよるのかもしれません。ディスク・レビューなどというのは、所詮その程度のものでしょう。あくまでご参考までということでご容赦ください。
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