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マックス・ヴェーバーは、資本主義社会の成立の契機をプロテスタンティズムの精神に求めました。またさらに、そのプロテスタンティズムの支えを失ったとしても、いったん成立した合理主義は、合理化が一層の合理化を求める形でどんどん推し進められることも指摘しました。資本主義社会に生きる者がこの流れから抜け出せないことを鉄の檻にたとえて「合理性の鉄の檻」と呼びました。 その合理性の鉄の檻から逃げ出せない資本主義社会の住人が作り上げた、合理化の究極の姿、それが「マクドナルド化」です。マックス・ヴェーバーは官僚制という、社会の生産局面のみに合理性を見出していたわけですが、マクドナルド化は社会のあらゆる局面に及びます。そして欧米はもとより、極東のこの日本にまで、見事なまでに浸透しました。 さてさて、この本を持ってくれている彼女は中国の桂林出身の留学生。桂林といえば、世界的な観光地ですから、多かれ少なかれマクドナルド化されつつあることは、当然予想されます。 しかし、欧米とは全く違った文化背景を持った中国で、しかも資本主義とは全く正反対の共産主義体制を経験した中国で、マクドナルド化は本当に進むのか。あるいは進むにしても、中国の伝統文化と融合した中国らしい進み方をするのか。 今、彼女は、この本を読みながら、こうした問題を考えています。 ジョージ・リッツァ 『マクドナルド化する社会』 早稲田大学出版部 ※以前、彼女にもらった山水画をこのブログでご紹介しました。桂林には今もまだこの山水画そのものの風景が残っているそうです。 http://blogs.yahoo.co.jp/kn_hosoi_hue/8441583.html ※日本のマクドナルド化がアメリカのマクドナルド化と同じなのかという問題は、実は上に書いたほど単純な問題ではありません。ご関心の向きは、以下の書籍も合わせて御覧になると参考になるでしょう。 ジョージ・リッツァ他 『マクドナルド化と日本』 ミネルヴァ書房 |
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2008年05月25日
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