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「日本は人間関係重視の社会だ」というのは、社会科学の文献によく出てくる話。特に、日本的な組織とか、日本的な社会とか、日本的な取引とか・・・日本的と名のつく文献にはだいたいそう書いてあります。
しかし、日本人が人間関係重視という時、それは必ずしも「信頼」関係を意味しないというのが、この本の主張。
たとえば私がゼミ生のヤマサさんを信頼しているというのは、ヤマサさんの能力やら、人柄やらといった、ヤマサさんの属性を評価したうえですることです。ヤマサさんのような真面目な学生が、ゼミを無断でさぼったりしないだろうと思うのは、ヤマサさんを信頼していればこその話。
しかし「ヤマサさんがゼミをさぼるはずがない」というのは、ヤマサさんを信頼していなくても、言えるのです。ゼミをさぼったら単位がなくなるし、卒業もできなくなるんだから、ヤマサさんがさぼるはずがない!このとき、ヤマサさんの能力や人柄は問題ではなくて、ヤマサさんがさぼれるわけがないという状況がポイントなのです。
このように、相手の属性ではなく、相手の置かれた状況を信じているという時、それを「安心」と呼びます。
日本人が、「あの人は裏切らない」と思っている場合、その人を信頼しているのではなくて、その人の置かれた状況に安心している場合がほとんどだというのが著者の主張。
確かにそうだと思います。
だから、日本企業では、自分の仕事をきちんとこなして「私の能力を信頼してください」というシグナルを発信することよりも、飲み会にマメに顔を出しているとか、同僚が残業していたらそれに付き合って自分も遅くまでオフィスにいるとかして、「私は裏切りませんよ」というシグナルを出すことのほうが大事だったりする。これを怠ると、能力があって信頼にたる人であっても、「あいつは能力を鼻にかけている」とか変ないちゃもんをつけられることになる。
なんとも、面倒な話です。
そう、グローバル化が進んで、世界標準で仕事をしないといけないこの時代に、この安心型社会こそが、諸外国の人から「面倒だな」と思われているわけです。
今、ゼミの4年生は、卒論に取り掛かっています。
ぜひ、物事を深く掘り下げて、こういう根本的な問題にまでたどり着いてほしいものです。
山岸俊男
『安心社会から信頼社会へ』
中公新書
※ところでヤマサさん、こないだのゼミの時にこんな話をして「なるほど〜」とむちゃくちゃ納得していたようだったね。それで、この本を持ってもらって、記念撮影までしているというのに・・・なぜ今日のゼミは無断欠席なのか!?このブログを読んだ上で、反省文を出してもらおう!
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