東日本大震災

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感謝状を頂戴しました

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公益財団法人「音楽の力による復興センター・東北」から、感謝状を頂戴しました。
ありがとうございました。
2011年5月14日に仙台フィルのメンバーを招いて開催させていただいた、震災復興チャリティ・コンサートへのお礼とのこと。なぜこのタイミングかというと、こうした復興支援のコンサートが500回を超えた節目ということのようですね。改めてこうして感謝状をいただいたりすると、当時のことが思い出されます。





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それにしても、我々も震災直後から大急ぎで準備して、これ以上無理というくらい早くコンサートを開催したつもりでしたが、あの段階ですでにこの手の支援コンサートが100回を超えていたというのがすごいですね。「絆」というのが当時のキーワードでしたけれども、改めて絆を感じますね。

当時コンサートを一緒に開催した学生たち、もうすでに卒業して、それぞれに活躍しています。
彼らにも、このブログ記事で、感謝状をいただいたことを伝えられるといいなと思います。
そしてまたそれが彼らとの絆を強めることになってくれると、もっといいなと、思います。



コンサート当日の模様はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/kn_hosoi_hue/38365537.html


今回の感謝状だけでなく、当日ご出演いただいたorchla木管五重奏団の皆さんからは、2014年の広島豪雨災害に際し、義援金もいただいております。ありがとうございます!
http://blogs.yahoo.co.jp/kn_hosoi_hue/41701050.html

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orchla(オケラ)木管五重奏団の皆さんから、8月20の豪雨土砂災害に対する義援金をお預かりいたしました


同五重奏団は、仙台フィルのメンバーで構成される木管五重奏団。ファゴットの水野一英さんが細井の高校時代の先輩というご縁もあって、震災から間もない5月14日に、広島にお招きしてチャリティ・コンサートを開催させていただいたのでした。

仙台フィル自体もコンサート会場に設置した募金を広島市に寄付されているのですが、それとは別に、「何かと関係の深い、広島経済大学を経由して、何かに役立ててほしい」ということで、五重奏団のメンバー5名と、このコンサートに同行された仙台フィルのマネージャーのW氏の計6名から、義援金をお預かりした次第です。

2011年のチャリティ・コンサートは、とにかく何かお役に立てればという一心で開催させていただいたものでしたが、それが時がたってこのような形で仙台フィルの皆さんから逆にご支援をお寄せいただけるとは、、、あの時は想像もしなかったことで、とても嬉しいです!

広島経済大学では、教職員や学生からの、義援金を募っておりまして、中国新聞社会事業団を通じて寄付を行う予定です。orchra(オケラ)木管五重奏団の皆さんからいただいた義援金も、その際に、一緒に寄付をさせていただく予定です。

orchla(オケラ)木管五重奏団の皆さんありがとうございました!


orchla(オケラ)木管五重奏団
http://orchla.exblog.jp/
https://www.facebook.com/Orchla



2011年5月14日、仙台フィル・メンバーによる復興支援チャリティ・コンサート
http://blogs.yahoo.co.jp/kn_hosoi_hue/38373053.html
このコンサートをきっかけに、広島経済大学では東日本大震災後も様々な支援活動に参加させていただいております。そんなご縁で、昨日ご紹介したボランティア活動でも、気仙沼から送られてきたスコップが大活躍しています!



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閖上(ゆりあげ)

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3月下旬の仙台出張最終日、にゃーごさんに、荒浜地区の様子を見せてもらった後、さらに南下して名取市閖上(ゆりあげ)地区に連れて行ってもらいました。

お地蔵さんに導かれるように、車を止めて、ここから少し歩いてみることにしました。



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荒浜地区と同様、見渡す限り、何もない光景です。

もちろん、見渡す限り何もないと言っても、ただの空き地ではないというのも、荒浜地区と同様です。
このあたりは住宅街のど真ん中です。



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このあたり、避難できるような高台と言えば、この日和山くらいでしょうか。



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しかし、この日和山に避難したとしても、どうだったのか。。。

山の上にあったはずの石碑が、みな津波で流されてしまっています。



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登ってみましょう。



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慰霊碑が立てられていました。



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見渡す限り、何もないですね。
しかし、このあたり、約7,000人の方が暮らしていたのだそうです。



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ここには神社があったはずなのですが・・・

そして、その背後、あの遠くの山まで、高台らしい高台がない。
逃げようがないです。



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週末だったし、お彼岸だったということもあったのでしょうか、日和山の慰霊碑のところには、ひっきりなしに人が集まってこられていました。

何もないかつての街を茫然と見つめる人、あちこち指をさしてかつての街を確認する人、慰霊碑に手を合わせる人、、、

ここにいらっしゃる方、それぞれに大変な思いをされていらっしゃることなのでしょう。



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かつての街の向こうに見える海が、この日はとても怖く感じました。



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日和山を下りて、少し歩いてみました。
貞山堀沿いに、小舟が数隻つけてあって、漁業が少しずつ回復しつつあるのかなと思います。

この閖上地区には、魚市場もあって、賑やかなところだったのだそうです。
魚市場の方には、まだまだ壊れた船がたくさん放置されているのですが、難を逃れた一部の船だけでも、こうしてかつてのように漁業が始められれば、、、


と、思って、ふと足元を見ると・・・



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あの時計を見つけてしまったわけです。
津波が押し寄せた時刻で止まっているあの時計です。



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そして、その時計の周りには、ガラスの破片や、瓦の破片などが、たくさんあります。

これを見て、初めて津波にのまれるというのが、どういうことなのか、実感できた気がしました。
津波に流されるというのは、ただ水に流されるだけではないんですね。
こういう凶器と一緒に流されるということなんですね。
こんなものと一緒に津波にのまれた人は、どんなにつらかったか・・・

もちろん、実際には、こんな小さな破片が流れてくる程度ではすまないのです。
閖上と入力して動画検索をかけてみてください。
家が、車が、流されて、7,000人の街が消えていく様子がわかります。



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え、これは、、、持ち主は子供だよね、、、
そりゃ、7,000人の中には、子供もいるか、、、
あの瓦礫の中を流されたのか、、、

持ち主が無事であることを祈りたい。



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かつて住宅だったはずの土地に、こんなふうに花が供えてある光景をよく見ました。



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花が供えてあるということは、
供える人と、供えられる人がいるということですね。
つまり、身内の一部がなくなって、一部は生きているということか。

では、何も供えていない家はどうなのか。
供える必要がないのならいいけれど、まさか供える人さえいなくなってしまったのか。。。

考えれば考えるほど、何をどうしたらいいのか分からなくて、ただただ祈るしかなかったです。


***
さて、この記事で、先月下旬の仙台出張のご報告は終わりです。
大変な状況を見るのも辛かったですが、報告記事を書くために色々調べ直したり、震災当日起きたことを想像したりする作業は、まるで震災を追体験するようで、もっとつらかったです。
もっとも、広島に帰ってくれば、被災地のことを考えずにいることもできます。被災地のことを考えなければ、その時は、追体験する辛さから解放されます。
だけど、被災地に実際に住んでいらっしゃる方は、毎日震災のことを考えて暮らしていくしかないわけで、その精神的な負担というのは、ものすごく大きなものがあるだろうと思います。
震災そのものも大変ですが、その後の精神的な負担というのも、少しだけですが、理解できたような気がしました。


とはいえ、被災地のごくごく一部を、ほんの一日見て回ったというだけのこと。被災地の状況や、被災された方のお気持ちがわかったなどというつもりはありません。
むしろ、想像以上に大変そうで、まだまだ理解不足だということが良くわかったというのが正直なところです。

知るのも辛いことですが、でも、もっと知らなければいけませんね。



※今回の被災地視察は、出張の最終日(移動日)に、ブロ友のにゃーごさんに無理言って、あちこち連れて行っていただきました。にゃーごさん、ありがとうございました。

また、にゃーごさんが、この閖上地区に7,000人が暮らしていた2009年の様子を、記事にしてくださっていますので、ぜひご覧ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/nya_geo/12456134.html
http://blogs.yahoo.co.jp/nya_geo/12456166.html




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荒浜

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3月下旬の仙台出張のご報告です。
2泊三日の仙台でしたが、最終日は移動だけで空いていましたので、にゃーごさんに無理言って、あちこち連れて行っていただきました。
まず連れて行っていただいたのは、荒浜地区(仙台市若林区)。
仙台市の沿岸部で、津波で大変な被害を受けたところです。

写真は、荒浜交差点近くの、コスモ石油荒浜SS。
無残な姿が津波の威力を感じさせますが、このあたり、海沿いというわけでもないのです。
このあたりでも海岸から1キロは離れているのです。



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あの松林の向こうが海岸線。
見渡す限り、何もない光景です。


にゃーご「何もないと思うでしょ。でもほら、あの黄色いハンカチ。住民の方が、また戻ってきたいという希望を託したものなんですよ。」
細井「住民の方って・・・?ここに人が・・・?」



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これがその黄色いハンカチ。
そして、そこには確かに家の土台が。
さらにその奥に小学校が見えますね。

確かに、誰もすんでいないところに、こんな土台があったり、小学校があったりはしない。。。



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仙台市立荒浜小学校。
今、私が立っているのは、住宅街のど真ん中で、この小学校からわずか100メートルのところ。
震災前は、子供たちのにぎやかな声が響いていたはずの場所なわけか・・・


この小学校、津波で3階まで水につかったらしい。。。



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3階まで達するほどの津波が、あんなにはるか遠くから押し寄せたのか?
そんなことがあり得るのか?



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信じられないとしか言いようがありません。



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私が立っていたのは、どうやらコンビニの駐車場だったらしい。
このコンビニにいた人は、避難することができたのだろうか。
ご無事であることを祈るしかないけれど・・・



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ここから海まではもちろん、右を見ても左を見ても、後ろを振り返っても、この近くに避難できるような高台はない。
こんなところに、3階までつかるような津波が押し寄せたら・・・



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荒浜交差点のコンビニの駐車場で見つけたお地蔵さん。
と、思ったら、にゃーごさんによるとこれは古い墓石だそうです。
延享三年と読めるらしいです。(にゃーごさん、さすが!)

延享三年というと、1746年。徳川吉宗の治世。
どこから流れ着いたのか知りませんが、こんなものすごい大災害に会って、まるで地区の守り神のように、ここに鎮座することになるとは、この墓石の主は知る由もなかったでしょうね・・・


この地区にいると、はるか昔の墓石だろうと何だろうと、つい手を合わせてしまいます。
何を見ても、とにかく、無意識に祈ってしまいます。

そして、祈るしかない自分のことをかえりみる時、もう何をどう言ったらいいのか、言葉を失ってしまいます・・・



【追記:2012-04-10】
にゃーごさんが、この石碑についてさらに調べてくださいました。
−−−
細井さん、ごめんなさい、再度訂正
よく見たら、下にみざるきかざるいわざるがいますよね
これ、庚申講の碑だと思います
六十日ごとの庚申の晩に、身体の中の虫が天帝にその人の悪事を報告に行くとされているので、集落の人たち(主に男性)が集まって、一晩寝ないで過ごすという講です
おそらくこの日この講の場で話されたことはみざるきかざるいわざるなんでしょうね。
ってことは、この三猿の上の神様は、青面金剛だと思います
http://koktok.web.fc2.com/KOZA2007/koz31/kos2.htm
−−−
墓石ではなかったようですが、この地に昔から人々の様々な営みがあったことがしのばれますね。



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七ヶ浜

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3月23日、オタフクソース仙台営業所長のKさんに、塩竈のお好み横丁さんに連れていってもらう途中に、無理言って立ち寄ってもらった、七ヶ浜町の様子です。
七ヶ浜町のキャッチフレーズは「うみ・ひと・まち・七ヶ浜」、オーシャンビューの素敵なリゾート地だったそうです。

このあたりは菖蒲田海水浴場。
いい景色ですね。

こんなのどかなリゾート地にも、津波が押し寄せたのか・・・


なんて、ことを思って、ふと振り返ると・・・



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え、門柱?!

何もない砂浜と思っていたら、ここは住宅地だったのか?



そして、一歩下がって足元を見ると・・・

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今、私が立っていたところ・・・

何もない空き地と思って、のんびり海を眺めていたこの場所も、どなたかの住宅の敷地だったのか・・・



皆さん、「七ヶ浜」と入れて、地図検索でもかけてみてください。
菖蒲田海水浴場はすぐ見つかると思います。
そして、この写真奥のコスモ石油の跡もすぐ発見できるでしょう。

すると、ここがどういうところか、すぐにわかりますね。

そう、なにもない砂浜どころか、思いっきり住宅地のど真ん中です・・・



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そう思って、あわててあたりを見回すと、、、

見渡す限り、土台だけが残された、住宅地の跡・・・

この七ヶ浜町、町の面積の4分の1が浸水したそうです。



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もともと砂地ということもあるのかもしれませんが、土台の土から根こそぎ流されてますね。



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このあたりは、高低差があるので、海岸からほど近いところでも、小高い丘の上は、無事残っているところもあるようです。



と、思って近づいてみると。。。


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その小高い丘のすぐ手前の建物は・・・

どうやら水をかぶったようですね・・・



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見渡す限りの、土台だけ残された住宅地・・・こんな光景は初めて見ました。



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津波避難経路・・・・

この表示がどのくらい役に立ったんでしょうか。



ちなみに、この日は、陸前高砂のオタフクソース仙台営業所から、仙台塩釜港のキリンビール工場(ビールサイロが流されて有名になりました)のあたり、自衛隊多賀城駐屯地、七ヶ浜を一周しいて塩釜まで、あちこち見て回りました。
自衛隊、物流拠点、石油精製施設、いろんなものがこのあたりにあったんですね。
津波の直接の被害はもちろんですが、こうした様々な施設を破壊したことが、その後の様々な問題を引き起こしたわけですね・・・


何をどう書いたらいいものか、これ以上言葉も見つかりません。



七ヶ浜町ホームページ
http://www.shichigahama.com/



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