3月下旬の仙台出張最終日、にゃーごさんに、 荒浜地区の様子を見せてもらった後、さらに南下して名取市閖上(ゆりあげ)地区に連れて行ってもらいました。
お地蔵さんに導かれるように、車を止めて、ここから少し歩いてみることにしました。
もちろん、見渡す限り何もないと言っても、ただの空き地ではないというのも、 荒浜地区と同様です。
このあたりは住宅街のど真ん中です。
このあたり、避難できるような高台と言えば、この日和山くらいでしょうか。
しかし、この日和山に避難したとしても、どうだったのか。。。
山の上にあったはずの石碑が、みな津波で流されてしまっています。
見渡す限り、何もないですね。
しかし、このあたり、約7,000人の方が暮らしていたのだそうです。
そして、その背後、あの遠くの山まで、高台らしい高台がない。
逃げようがないです。
週末だったし、お彼岸だったということもあったのでしょうか、日和山の慰霊碑のところには、ひっきりなしに人が集まってこられていました。
何もないかつての街を茫然と見つめる人、あちこち指をさしてかつての街を確認する人、慰霊碑に手を合わせる人、、、
ここにいらっしゃる方、それぞれに大変な思いをされていらっしゃることなのでしょう。
かつての街の向こうに見える海が、この日はとても怖く感じました。
日和山を下りて、少し歩いてみました。
貞山堀沿いに、小舟が数隻つけてあって、漁業が少しずつ回復しつつあるのかなと思います。
この閖上地区には、魚市場もあって、賑やかなところだったのだそうです。
魚市場の方には、まだまだ壊れた船がたくさん放置されているのですが、難を逃れた一部の船だけでも、こうしてかつてのように漁業が始められれば、、、
と、思って、ふと足元を見ると・・・
あの時計を見つけてしまったわけです。
津波が押し寄せた時刻で止まっている あの時計です。
そして、その時計の周りには、ガラスの破片や、瓦の破片などが、たくさんあります。
これを見て、初めて津波にのまれるというのが、どういうことなのか、実感できた気がしました。
津波に流されるというのは、ただ水に流されるだけではないんですね。
こういう凶器と一緒に流されるということなんですね。
こんなものと一緒に津波にのまれた人は、どんなにつらかったか・・・
もちろん、実際には、こんな小さな破片が流れてくる程度ではすまないのです。
閖上と入力して動画検索をかけてみてください。
家が、車が、流されて、7,000人の街が消えていく様子がわかります。
え、これは、、、持ち主は子供だよね、、、
そりゃ、7,000人の中には、子供もいるか、、、
あの瓦礫の中を流されたのか、、、
持ち主が無事であることを祈りたい。
かつて住宅だったはずの土地に、こんなふうに花が供えてある光景をよく見ました。
花が供えてあるということは、
供える人と、供えられる人がいるということですね。
つまり、身内の一部がなくなって、一部は生きているということか。
では、何も供えていない家はどうなのか。
供える必要がないのならいいけれど、まさか供える人さえいなくなってしまったのか。。。
考えれば考えるほど、何をどうしたらいいのか分からなくて、ただただ祈るしかなかったです。
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さて、この記事で、先月下旬の仙台出張のご報告は終わりです。
大変な状況を見るのも辛かったですが、報告記事を書くために色々調べ直したり、震災当日起きたことを想像したりする作業は、まるで震災を追体験するようで、もっとつらかったです。
もっとも、広島に帰ってくれば、被災地のことを考えずにいることもできます。被災地のことを考えなければ、その時は、追体験する辛さから解放されます。
だけど、被災地に実際に住んでいらっしゃる方は、毎日震災のことを考えて暮らしていくしかないわけで、その精神的な負担というのは、ものすごく大きなものがあるだろうと思います。
震災そのものも大変ですが、その後の精神的な負担というのも、少しだけですが、理解できたような気がしました。
とはいえ、被災地のごくごく一部を、ほんの一日見て回ったというだけのこと。被災地の状況や、被災された方のお気持ちがわかったなどというつもりはありません。
むしろ、想像以上に大変そうで、まだまだ理解不足だということが良くわかったというのが正直なところです。
知るのも辛いことですが、でも、もっと知らなければいけませんね。
※今回の被災地視察は、出張の最終日(移動日)に、ブロ友のにゃーごさんに無理言って、あちこち連れて行っていただきました。にゃーごさん、ありがとうございました。
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