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網膜に積もる淡雪のように(まとめサイト:http://kinoshitan.com)

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山岨眞應副住職から、こんな便りをいただきました。大乗寺に関心のあるかたには、聞き捨てならない話だと山岨さんのお許しをもらって、転載します。
                            
                            ☆

山岨です。NHKハイビジョンで応挙さんの番組があって、見ていて気づいたことがありました。

芭蕉から山水に移動する時、襖を開けて先ず目に入るのが、正面の違い棚です。左の床の間はほとんど金地(つや消し)ですから存在感は余りありません。
彩色された芭蕉の間から水墨の山水の間に入る時、違い棚の彩色された果物が先ず目に入り、続いて墨の絵が目に入る。そんな仕組みでしょうか。違和感はありません。
山水の間の水墨画に、彩色された果実図があるのは違和感があるといわれて、高価な岩絵の具が残ったから應瑞が彩色したといっていましたが、そうではなさそうです。
山水の間だけで考えるから、そんな理屈がまことしやかに通ったのかと思います。部屋を移動すること、それぞれの部屋の関係から考えることをぬかっていたように思います。

12月お待ちしています。

追伸
蛇足かもしれませんが、孔雀の間の格子戸の睡蓮図は、遠くから眺めると色彩があることがわかりませんが、近くによって見ると、緑、ピンクが鮮やかに彩色されています。完全に水墨画になっています。むしろ、墨の色彩の方が鮮やかかもしれません。
孔雀図全体としては、客殿内の金箔張りの部屋で最初に入る墨絵の世界に、彩色は違和感を与えるのでしょう。それをうまく処理せんがために、睡蓮図は、特に金泥で金箔をつや消しし、彩色部もうまく処理しているように思います。

再来年に仕上がる物は、汚れ(?)を除いて、鮮やかな色彩の睡蓮を復元するそうです。

                        ☆

現在大乗寺で進行中の「復元」計画(これの完成とともに、現在の応挙一門の真筆襖絵は収蔵庫に隔離される)は、「金泥で金箔をつや消し」した部分を「汚れ」と判定して、新しい「復刻版」を制作しつつあり。12月には、再来年になると「寺院空間」のなかで確かめることができなくなるこんな微妙な味を、しっかり味わっておきたいと思います。

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キリスト教の講義を聞いて、マトリュシュカのような入れ子型の知の体系の中でただただ世界を傍観していてはならぬ、と我に返り今後はどでかいスケールでマトリュシュカを掴み取りたいと思いました。新島の血を引く神学部の教員などはいま、教育の場面で(私学の建学の精神といったキャッチコピー的な場面ではなく)、真の意味で岐路に立たされていると思いました。このことは僕の内部で、大乘寺の寺院空間を宗教空間として掴み取る夢叶わないことをどう克服するか、という問題へと繋がりました。

2005/11/15(火) 午後 10:30 [ sstc1777 ]


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