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網膜に積もる淡雪のように(まとめサイト:http://kinoshitan.com)

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O:岡倉覚三(その3)

                     ☆

さて、岡倉の美術史から拾ったキラメキの一例。それは、岡倉を読んでいて、そこから岡倉が語ってもいなかった美術史を発見することでもあるんです。というより、岡倉の語っていることを考えているうちに、岡倉の語ってもいないところまでいっちゃえるという体験があるということです。
岡倉は若い頃の「日本美術史」講義の中で、「伴大納言絵」「餓鬼草紙」「北野天神縁起絵」などの絵巻物のことを語りながら、そこには「一種の殺気がある」といっています。この殺気を後世の絵描きたちは喪失してしまった、嘆かわしいことであるとも。
こういう言葉が出てくるのに、ボクは驚きます。というより唸ります。そして、彼はどういうふうにこの殺気を感じたのか知りたいと腕を組みます。
彼は国宝調査などをやっている過程で、昔の人と同じように絵巻をじかに手に持ち巻物をたぐり捲きながら見ていて、それを感じたのでしょう。美術館のガラスケース越しに、あるいは複製の画集でバラバラになった絵をみるしかない現代のわれわれにはもうこういう環境は与えられないのかもしれないとも思います。
しかし、彼がこんなことを言ったということは、忘れてはいけないと思います。(これこそ「古人の泣き笑ったこと」でわれわれが泣きも笑いもできないことを考えることである。)
彼のこんな観じとりかたは、現代のわれわれにはどうしたらもういちど可能か、そういう観じとりかたにもういちどどうしたら迫れるか、じっくり考えてみなければいけないと思うのです。
そんな思いに励まされ、「伴大納言絵」などあらためてみていて気づいたことがあります。
それは、絵巻とかな文字(女文字)の出現のあいだにある深い関係です。10世紀の初め頃、「古今和歌集」が勅撰されてそれを書写した「高野切(こうやぎれ)」などが遺っています。「高野切」が書写されたのはそれから100年位後だといわれながらその筆を「伝紀貫之筆」と必ず言い添えられます。貫之の筆でないことが分かっていても「貫之」をそこに重ね見たいのでしょう。
貫之はそういう意味で、和歌の古今体のスタイルを育て、それを書くかな文字を成熟させた人と誰もがみているのです。和歌(古今体)というのはかなで書かれることと一体となっているのだということが、そんな「高野切」をみていると納得出来ます。和歌は朗誦されるものではなく、書かれる物としてのありかたがこのとき成熟したのです。
細かい書体の分析はここでは省略しますが、それまで万葉集や唐詩などの書写で行われていた書体は、真行草の三体でした。その「草」が「かな」(女文字)を産み出すというのは定説です。
しかし、「かな」は、真行草の楷書スタイルとまったくちがう描き方、書体を発明しました。「連綿体」と呼ばれている書きかたです。文字を続けて途切らさずに書くことです。
何文字かを途切らさずに続けて書き、ひと息入れたりします。筆先は細く、しかも墨の色は濃くあるいは淡く、紙面一杯を使いしかも思い切りのいい空白がある。それはリズムを産み出しています。リズムそして形態(かたち)。「升色紙(ますしきし)」(藤原行成筆)などになると、重ね書きをやっていてわざわざ読み難くしているかのようです(しかし、決して読めないわけではない)。
こういう自由なかつ技巧的な書きかたは、9世紀以前の書跡にはなかったことです。これだけなら、かな書きの歴史としてまとまる話なのですが、この書体で一首の和歌(うた)を書き上げる美意識とでもいうものは、その時代の建築、寺院装飾、絵などに浸透しているのです。
「高野切」と同時代の「聖徳太子絵伝」は、ひとひろがりの紙(障子)に、17歳から49歳までの太子の行状が短冊の説明文入りで描かれていますが、その一つ一つの場面の配置がぐるぐると廻って連続していて、この動きは「高野切」と「升色紙」の筆の動きと響き合います。こんな動きが自覚されて、「伴大納言絵」の有名な子供の喧嘩に親がちょっかいを出す(それによって事件が急展開するきっかけになる)連続画のその四場面の動き・つながり方も生まれたのです。
同じ連続画でも、玉虫厨子の「捨身飼虎図」のサッタ太子が「衣服を脱ぎ」「岩から身を投げ」「虎の母子に身を投げ出す」場面の連続画は、まさに楷書風であることと比べてみると、絵巻の世界が連綿体の美意識に支えられていることを納得してもらえるでしょう。
「升色紙」にしても「高野切」にしても、紙面に筆を踊らせて、文字の美しさの極みを楽しむと同時に、和歌の意味の区切りとはわざとちがう切れ目で文字を切って書き継ぐとか、書いた文字の上に文字を重ねるように書くとか、こういうのは一言でいえば「遊び」の精神が発揮されているということでしょう。しかし、この「遊び」は現代人の理解している「遊び」とは色合いがちがいます。これはこういう「かな―絵巻」世界を産み出した院政という時代のことをもっと考えないといけないのですが、かれらの「遊び」は死とひきかえになるような、死と裏合わせになったそんな必死の「遊び」だったのです。
「高野切」や「升色紙」、そのほかの当時のかな文字をじっくりみていると、その軽やかにみえる筆跡にそんな切実な思い詰めた気持が感じとれてきます。凄い書です。
おなじような思い詰めた必死な感興が、たとえば「伴大納言絵」のおおいかぶさる黒煙や人物を描く線などに、なんどもじっくりみていると滲んできます。
こういうのかな、岡倉のいう「殺気」とは、とふと思ったことでした。
しかし、たとえば宮本武蔵の「枯木鳴鵙図」や単庵智伝の「鷺図」とかだと、ぼくは「殺気を感ずる」といいやすいのだけれど、絵巻からこれを感じとるのは難しい。そういうことを観じとったといっている人の発言を受け止め、自分のいたらなさに内省しながら絵巻(の複製)を見なおしているときに、彼らの「遊び」が生死を賭けた遊びなんだと言うことを知ったのは収穫でした。

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その2の中にあげられた様々な欲望に加え、「遊び」もそういった根源的な欲求なのかもしれない(と、その3を読み終えてふと思いました。)mizutani

2006/2/26(日) 午前 3:55 [ franny_zooey ]

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小野道風が「平仮名の原初」と申せるでしょぅね。
実に独創的で素晴らしいフォントです!

紀貫之伝については
藤原定家が、ほとんど「書写で貫之の揮毫の墨蹟を消した」
と考えられますね。

2013/9/20(金) 午前 10:29 1082001(紫音)


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